ならではの価値、の落とし穴

Is marketing that important? Ask these 20 brands. They sell the same product. Marketing is their only differentiator.

新しいことを何か仕掛けようとするとき、「それ”ならでは”の真似できないことって何だろうね?」という議論は、発生しがち。

大体、人が新しい分野に入っていくときに、最初に存在するのは、一人の人間が持つ、「これ、面白そう。いけそう!」という直感。その熱い空気が周りに伝染することで、更に人が集まってきて、徐々にその直感の上に殻が作られていき、できあがってくる形自体が勝手に推進しはじめる。

上のような議論が発生するのは、大抵そんなタイミング。

ちょっと頭の良い人や、無駄にロジカルシンキング本をかじっているような人ほどこの議論を開始しがちです。少しブレーキをかけて周りを見つめ直したくなる。その議論を行う必要性があることは、大抵の場合正論に見えるため、その議論を開始すること自体を却下するのは非常に困難。

今まで、そういう議論を何度も見てきたけれど、回を重ねるごとに結果として感じているのは、「”ならではを追究する議論”にはあまり生産性がないなぁ」ということ。

2000年頃、無線LANホットスポットという概念が米国で誕生し、3Gなどの高速な携帯電話のパケット電話網が無かったし、家庭のインターネットも殆どがダイアルアップ回線だった時代に、当時としては画期的な高速インターネットが楽しめるものとして、スターバックスや空港などで、ビジネスマン向けに急速に普及を始めていた。日本でもこの概念に飛びついて、NTTグループや当時の日本テレコム、Yahoo!BBなどの通信大手が場所の争奪戦を繰り広げ始めていました。

当時自分がいた職場でも、海外無線LANスタートアップとの提携の検討が始まり、国内のロケーションオーナーへの営業活動を行った。が、結局、その事業は日の出を見なかった。

その時繰り広げられた議論が、「コンテンツを充実させないと」という話し。

当時は、ソニーのコンテンツビジネスが脚光を浴びるなど、ハードからソフトへ、エレクトロニクスの時代は終わり、コンテンツがキングだという発想が爆発的に世の中で取り上げられていた時代だったので、自分がいたチームでも、「無線LANは誰でも設置できる」。だから、「そこで流すサービスこそが鍵だ」、というテーマで議論が何度も繰り返された。

無線LANホットスポットならではの地域限定コンテンツを、、ホットスポットで楽しめるゲームサービスを、、そこで広告配信を、、そんな議論が交わされたということ。

結局、そんな良いアイデアが出るはずもなく、そうこうしているうちに全体のモーメンタムは下がり、海外の提携予定先の事業も変わり、プロジェクトは殆ど何もしないまま頓挫した。

誰も分からなかった「コンテンツ戦略」や、無線LAN「ならでは」のものが何か必要でしょう、という議論。

その場にいたアメリカ人はシンプルにこう主張していたことを今でもよく覚えている。「無線LANのキラーアプリは電子メールなんだ」と彼は言っていた。

しかし日本側チームは、「電子メールなんて当たり前過ぎるから何か差別化要素を考えないと。それは無線LANの特性を活かしたコンテンツなんだよ」「アメリカは遅れている(当時はブロードバンドでは完全に出遅れていた)けど、日本はコンテンツビジネスなんだよ」と、いかにもありそうな机上の空論を述べてそのアメリカ人の主張をいなしていました。

いま、振返れば何の事はない。無線LANがもたらしたものは、安価で高速なネット回線そのものであって、それを使う人たちが何よりもそこでやりたいことはメールのやり取りと自由で快適なネットサーフィンというごくごくシンプルなことであることは明白なわけです。日本の未だに不便な無線LAN環境と、海外の快適な無線LAN環境を比較すると、ビジネスマンであればみな感じていると思います。これは、ブロードバンド回線に無線LANアンテナを設置すれば即座に提供可能なサービスであり、ビジネスとして見れば、コンテンツはネットの向こう側にいる人たちにお任せし、それを極力シンプルなステップで高速に提供すること、コンテンツ戦略よりも、たんにキーとなる場所をたくさん押えて面を広げることがサービスの利便性を実感してもらうために最も大事な戦略だったのに、このシンプルな事実が、「誰でも出来て当たり前すぎる」ということで無視され、難しい理由を考え出そうとみなで無駄な苦労をしてしまったのです。

確かに、端末を一台設置して無線サービスを開始することは誰にでもできます。しかし、それを何万カ所でやろうとすればそれは誰でもできることではないという、今考えれば簡単なことを、当時そのチームでは、誰も重要視しなかったということです。

この手の議論は頻繁に発生し、「ならではの価値はなんですか?」と言われて無理な理由をつけたくになったり、つけないと前に進めないという状況に追い込まれる事業リーダーは多いと思います。

でも、本当に大事な「ならでは」は、単にスケール性だったり、ものすごくシンプルなものであって、無理に「ならではの価値=永遠に存続しそうな差別化要因」なんてものを考えると気持ちが萎えてろくな結果にならないことのほうが多い。

新しいことをやるときには、最初に思った「いける!」を大事にして、シンプルにそれを実現するためにまず大海原に石を投げつづけることを優先し、難しく考えて時間を使わないよう、気をつけなければと思います。自分もそういう傾向が無い人間ではないので。

ならでは論は常にまきおこるので(コミットしているチームならそれが起きないのも変)、それが、何か事を起こした後のフィードバックを元にした話しなのか、事を起こす前に概念のみで話しをしようとしているのかを整理してみるのが良いかもしれません。前者なら、議論する価値がありそうですね。

ワークアンドライフバランスよりワークプロダクティブリィ

photo by a200/a77Wells

photo by a200/a77Wells

海外の人と話していて、日本人は本当によく働くね、と言われた。

よくあることだが、実際には、その裏には「そんなに遅くまで何をしてるのか分からない」というニュアンスが含まれていた。つまり大したアウトプットが出て来ないのになんだかよく働いている、という感じ。

彼が続けて、日本人は私生活のことをどう思ってるんだ、仕事の後に飲みに行く回数もやたらと多いし、と言うので、「日本人は仕事が充実しないと私生活も充実できないことを知ってるんだよ」とちょっと日本人のことを美化して返しておいた。その捉え方はあながち間違っていないとも思うが、実際、日本人がオフィスにいたり会社の人と一緒にいる時間はかなり長いのは事実だと思う。散々残業したあげくに更に飲みに行こうとするのは日本人ぐらいだろう。仕事と私生活の分離も何も、もはやオフィス生活が私生活そのものであり、会社員としての自分が自分の全てに近いのが多くの人にとっての実態ではないかと思う。

自分は、「ハードワーク」は嫌いじゃないし、寧ろ、ハードワークからしか得られないものがあると思っている口なので、近頃の「ワークアンドライフバランス」のような、ワークとライフは別物で天秤にかけられるような錯覚を与える言い方が嫌いだったりするのですが、それでも日本人の仕事の仕方に対して海外の複数の人が疑問を持っているのは事実なので、何がおかしいのかと考えてみると、日本人はWork hardをWork productivelyに置き換えることが必要ではないかと思い当たった。

Productiveに働くには意味のある明確な目的と、それに沿った目標が必要で、それを合い言葉にすると仕事が目的と目標から逆算で設定できるので無駄な仕事が減らしやすい。ProductiveではないのにHardに働こうとすると実際にはそれは出口のない仕事になっているので、みな憂鬱になり、ワークアンドライフなんとかという話しになる。Productiveというのは気持ちの話しではなく、具体的で意味のあるProduct=アウトプットの生産効率のことであり、当然評価にも直結するのでProductiveであれば生活も快適になる。

更に、個々の社員がProductiveに働ける環境にしようとすると、自ずと、事業自体が顧客や社会に対してどういうアウトプットを出したいのかという意思とそのための最低限の戦略、目標設定がなければいけないので、Productiveかどうかを共通の合い言葉にすることは、事業体自体の存在意義とProductivityを見直すことにもつながる。マネジメントにとって、事業自体の存在意義を考え、1人1人がProductiveに働けるように環境を整えることは大変高度で難しい仕事だが、それを放棄していてはマネジメントとして失格なのでそれこそハードに考えぬいて設定しなければならない。

ここまで書いてみて、1つ思い出したことがある。それはある日本の伝統工芸の職人にインタビューをしたときのことだが、その職人は「繊細な細かいところに徹底的にこだわって技を磨くのが職人でしょうか」と聞かれて、「職人ていうのは機械では出来ないレベルの製品を均一な精度でどれだけ沢山量産できるかどうかがが職人の技なんだよ」と回答していた。それは思いもかけない視点だったが、結局高品質の製品を作ることが目的ではなく、より多くの人に高品質な製品を使ってもらうことで多くの人に良さを知ってもらい、それで自分たちも稼ぐことが目的なのであって、ただ単に技を追究したいというナイーブな話しではないということだった。その話しは、正に、Productiveかどうか、という話しに直結するように感じる。高度なProductivityの中に本当の技があるというのは、日本にも元々ある考え方なのかもしれない。よくよく考えて見ると、英語の「Work」は、ただ働くことではなくて、出来上がった作品のことも指すことに思い当たりました。日本人のイメージする「ワーク」と、英語ネイティブの人の「Work」はそもそもニュアンスが異なる可能性が高いですね。

ということで、You work very hard!と自分や他人を褒めるのではなく、You are so productive!と褒める思考を、個人的にもマネジメントとしても、より強く意識していこうと思います。

81歳の語録と「粋」。

81歳の職人にインタビューをして、韓国の若い人たちのネットの使い方は凄いね!と語られた。

どうしてそんなことを知ってるんですかと聞くと、テレビを見ていれば情報は入ってくるし、後は直感だと言う。小さな2畳の工房から世界を見ている。頭脳明晰。

諦めとは、「明目」だと言う。明らかに見えること。そこで初めて、諦め、諦観の境地に。明らかに見えるまでやりきって、深く究めてみて、初めて諦めという概念が出てくる。昇るまでは大変だ。根性で突き詰める。昇ってみたら小川だよ。諦めじゃなくて、明らかに見えている、ということ。

今でも仕事したいんだ。一時間でもいいから仕事したいんだ。職人は作るんですよ。詰まるところてめえが食えればいいんだ。商人は儲けるのが仕事だ。そこが違う。

コンピューターは、1から1000までいくらでも作れるけど、0から1を作れるのは人間だけなんだ、とも。

ちょこまか落ち着きのない小学生だって、教えてやるからそこ座れ、と言えばちゃんと座って話しを聞く。自分がやりたいことを教わろうとする人は、素直なんだよ。

なんでも夢中になるんだよ。

こんなことを、たくさん。

言っていることは、全部受け売りなんだよ、と笑っていたけど、全部受け売りで全然いいと思った。

大事なのはその思想、受け取った人の衝撃、自分事に置き換えられたときの思想の進化が、次に伝わっていくこと。そこで救われる人がいること。伝えることをやめて、自分だけのものにして、途切れて、知恵が失われることのデメリットより余程いい。表層の受け売りは問題じゃない。中身がその人自身の体験に置き換えられていれば、それはもう受け売りじゃない。

他人様の考えを、自分が考えました、人がやったことを、自分がやりました、みたいに言う、リスペクト精神の無い人もたくさんいるけれど。

人生とは蓄積だと思った。蓄積された結果のその人の知恵、世界観、歴史観についてのバランス感覚、いろんな問題も人の感情も、理解し、自分自身のこともよく知り尽くした上での、素の自分への許容、人を受け入れる気持ち、それでいて、本質に一歩でも近づこうとする厳しい心、静かで、人を傷つけることの無い、目的に対する、本人だけが持っている激しい情熱。

そういう、深い内面にあるあらゆる経験と考え抜いた思想を踏まえた上でなお失われない若さ、チャレンジ精神を感じさせるもの、それが、人の「粋」なんだと感じた。

最高に楽しい90分。人から人への贈り物。

ステージ

今朝ふと、人生のステージ、自分がやるべきことが変わってきたのかもしれないということを、それはまだ小さなもので、確信とはいいきれないが、今まで一度も感じたことのなかった感覚を、今日初めて感じた。

28で自分が没頭できる分野を見つけ、それから10年。
漸く自分の中の何かが内面で変わりつつあるのかもしれない。

このブログのテーマはten cycles。

自分が今の道を選択する一つのきっかけを与えてくれた人の人生観からいただいたタイトル。

大事なことなので、記録しておこう。

尊敬される文化を持つということ

ドイツが欧州を救っている、というFTの広告。


ドイツが欧州を救っている、というFTの広告。

久しぶりに海外に出ていました。 そこで改めて感じたことは、
日本という国へのリスペクト。 海外に出て、日本人だと分かると、比較的丁寧な対応をされることがあります。
勘違いかもしれませんが、こちらをGentlemanとして扱ってくれるのです。つまり、日本人は文化人だ、という認識をされているということです。
日本人に会えた、ということに対して”今日はファンタスティックな日だ”という反応を示す人さえいます。

これまであまり意識しませんでしたが、今回は一人出張だったこともあり、頼りになるものも友人もいない中、日本へのリスペクトを背景に話しかけてくれる人が何人も現れたことは驚きでもあり、救いでもありました。

その中には勿論、勘違いもあるし、日本を必要以上に美化している人たちもいます。
が、そういう日本という国の印象を形作ってきた先人、現代においてはアニメや映画のクリエイターにも、本当に自分たちは感謝しなければいけない。
そう思いました。

同じアジアの国、アジアに限らず世界中の国で、その国の文化や習慣に対して幅広くリスペクトを示される国というのがどれだけあるのかと考えて見ると、それほど無いのではないかと思います。
基本的に日本人は真面目で、よく働くし、奥ゆかしく、礼儀正しい、という印象をもたれています。そして、そのことは非常にセクシーだと感じる外国人がそれなりにいます。

それは部分的には事実ではないかもしれないけど、そういう印象をもたれていることは、海外で何かをする際には何かとアドバンテージに働くことが多いのは間違いないと思います。
江戸時代、日本は鎖国を続け、それによって国が弱体化する可能性があったにも関わらず、規律と責任感を重視する武士によるある種の共和制的な統治体制が、精神的な部分での弱体化を防ぎ、寧ろ世界に通用する独自の道徳観と正義感を生み出したことは本当に素晴らしい。

今やサムライなどと言われてもこちらは時代錯誤を感じることもあるし、寧ろ、世界の中には日本人よりもサムライと呼ぶのにふさわしい人たちも沢山いるわけですが、世界の人は日本人というよりも、サムライの哲学とその生き方に憧れている。そのことは心のどこかにとどめておき、日本人としてはサムライの生き方に恥じないように背筋を正して世界で行動すれば、必ず世界で通用すると感じます。

よく、海外に出ると、Which country do you like?、などと聞かれます。

日本人は、自分たちの国のことは良く知っているので、憧れの国であるアメリカやイギリス、フランス、最近であればアジアの国を答える人も多いのではないかと思います。
が、僕は、日本も、世界のどこにも負けない、素晴らしい国だと思います。というよりも、はっきり言えばBest countryなんではないでしょうか。
だから最近では自分は素直に、Japanだと答えます。

日本には、世界にもっと理解され、採用されていい文化やモノの考え方が、沢山あります。その中には僕ら自身も理解していたり、過小評価していることがある。
日本のことを自分たち自身もよく理解し、世界のこともよく自分の肌で見聞きして、沢山の文化に触れる中で、これまで築いてきたreputationとrespectを、僕ら以降の世代にも絶やさないように、進化させながら受け継いでいかなければいけないと思います。
それは、大袈裟な話しというより、海外にでた日本人の1人1人が日々の行動の中で担っているもの。

出来ていないこと、未熟で至らないことは大量にあるわけで、独立してみたりすると、そういったことを尚更痛感することだらけですが、それでも日々、日本人としてはちょっとだけ背筋を張って、それでいて謙虚な心を忘れずに、行動したいと思います。

冒頭の写真は、ドイツが欧州を救っている、というFinancial Timeの特集です。

ドイツ人はヨーロッパ人の中でもっともよく働いているから、という選択肢が用意されています。
日本とドイツは捉えられ方としてはよく似た国ではないかと思ったので使ってみました。

欧米勢に勝たずにアジアで勝てる勝機はあるのか?

Googleの新しいプロジェクト、Project Loon。

また、グーグルにガツン!とやられた感覚をもったIT業界の人は大勢いるんじゃないでしょうか?一体自分たちは何をやってるんだろう?自分がやっていることに一体どれだけの人生を賭ける意味があるんだろう?なんて。

グーグルは、世の中の大半を占める我々中途半端な人種に、どれだけ無力感を与えるつもりなんでしょうね?w 最早その辺で野菜の露地栽培でもやって細々と暮らしていいのではないか?という気になりますが、まあそんなことを言っていても仕方ないので、無力は無力なりに前に進んで、神が作ったインフラの上で、神の手には負いきれないエリアで遊ばせてもらうしかありませんね。

 

ところで、こうネットサービスのグローバル化が進んでくると、IT企業もやはり海外に出て行かなければ成長機会を失う、と感じるわけで、相変わらず多くの企業が海外進出を企画しています。

が、アジアに出て行く日本企業の多くが、どうも、「アジアなら何とかなるかも」という感覚で出て行くように思います。

それは、日本企業のほうがアジア企業よりは金もあるし、技術も、ノウハウもある、という無意識の前提がそこにあります。

もしかするとそれは一部正しいのかもしれませんが、「現地を知らない」「現地語が分からない」というハンデを考えれば、そんなアドバンテージは殆ど何の役にも立たないのが現実だと思います。

実際、資金があまりかからないという点についても、「当の日本人自身がめちゃめちゃ金食い虫である」という事実を都合良く棚上げしています。日本人の給与をかんがえると、アジアの平均的会社員の20人分は働く必要があります。いくら日本人が優秀でも結構大変なことです。

そして、もっと多くの日本企業が忘れがちだと感じるのが、「美味しそうなところには欧米勢も目をつけている」という事実です。今であれば、日本企業よりも資金力を持った中国企業や韓国企業が同列に参戦してきています。彼らの投資は日本企業よりも余程組織的であり、必要な準備を整えた上で、一気に攻めてきます。浪花節でなんとかなるものだと考えている会社は殆ど無いんではないでしょうか。

ところが、多くのIT系の日本人と海外市場について話していて、欧米の企業のことが話題になることは殆どありません。サービス提供側も、広告主も、全てにわたって欧米ブランドが大量の資金を動かしているのに、です。

 

例えば、海外調査をして、この国の◯◯の市場は100億円市場だとする。

ですが、そのうち90%は欧米企業の予算だったりする。

これを取りにいかなければ、のこり10億円市場を他の日本企業やローカル企業と三つどもえで争うことになる。厳しい戦いです。

 

日本人は、ローカル企業の手が届かない一部のエリアにおいては、アジアにおいて自分達がマスターになりえると思いがちですが、そういったインターナショナル系事業における真のマスターは欧米勢であり、欧米勢に勝たなければ真の成功は得られない市場が大半を占めると思います。特にソフトサービス、情報サービスの戦場は、欧米勢の独壇場です。

欧米勢は侮り難いです。彼らの侮り難さの背景には、巨大な資金力、超大型予算を持つグローバル企業とのネットワーク力、情報発信戦略への理解とそれによる強力なブランド力、そしてグローバル展開を現実のものにする人事組織力があります。特に後者2つは日本企業が極めて軽視する分野ですが、実際にはここで負けるとほぼ勝ち目がありません。

日本人がそこに勝つには、アジアにおいて同じ想いを持つアジアの人たちを味方につけ、運命共同体としてお互いに教えを請いながら、一緒になって戦うしかありません。

そして、単にアジアで勝つことではなく、強力な欧米勢を圧倒するつもりで事業展開するビジョンと、そこに対する確信が必要です。ここに賛同してくれる挑戦的なアジアの人はどの国にも少なからず確実にいるというのが自分の印象です。

 

自分自身、海外事業の立ち上げを行ったときには、実際に展開してみると、すぐにそれが「グローバルビジネス」であることが分かりました。つまり、グローバルプレイヤーとのガチンコの戦いだった、ということです。

僕らが追い求めていたのは、本格的なビジネスだったので、一貫して、自分たちが攻めているエリアにおける圧倒的No.1になり、グローバルプレイヤーを駆逐するつもりでやっていました。

注意しなければいけないのは、欧米系の企業を相手に戦っていると、あたかも、遠く欧米からやってきた白人を相手にしているのかと思いがちですが、実際に相手にしているのは、彼らに高給で採用された、各国の超優秀な幹部社員であることが多い、ということです。

つまりブランドこそグローバル企業ですが、中身は最優秀なローカル企業だったりします。実態がどうなのか、よく見極める必要があります。

よく、同じアジア人である日本人の我々にはカルチャー理解という点でアドバンテージがあると思いがちですが、そんなことを持ち出すと、失笑されるだけ、ということです。

自分達が置かれていたステージを考えれば、圧倒的No.1を目指すなんてことは滑稽なアイデアだったかもしれないですし、実際内外からそう言われることもよくありました。社内ですら無理だという悲観的な空気は頻繁に出ていました。が、こちらは大真面目で考えていたし、それが出来ることについての確信もありました。出来ない理由ではなく、それを可能にするための施策だけを考えて進めていたわけです。

 

海外畑から離れてもう1年以上経ちますが、あらためて、アジアに出て行くのであれば、欧米勢についてもよく調べて、彼らに本気で勝つための戦略を考え、アジア人同士で結束して、自分たちが定めたエリアで世界一になる、というビジョンを持って出て行ったほうがよい、と思います。

そういう意味では、よく外野の批判にさらされるサッカー日本代表と、海外に出て行く日本人ビジネスマンは共感できるポイント多いんじゃないかと。

頑張れ日本代表!

最近自分がヒットした動画です。川崎選手ホントにかっこいいですね!

 

まあビジネスなので、上手にできることにこしたことはないわけで、こんな正面衝突戦略には異論もあると思いますが、どうでしょうか。

To the leaders of the three countries who must lead Asia and the World.

Today, my morning started with a disruptive news that one
of young Japanese political leader mentioned his personal view
about the necessity of sexual services for soldiers during wartime and it must be justified as it was historically accepted as such.

It is not so unusual to see such politician’s radical and biased opinion in a news as we all know, but because
it’s been just a few days since we saw a controversial mentioning about Islamic culture by Tokyo governor which threw Tokyo into a difficult position in the candidacy race to win the Olympic 2020 (by the way who cares about it in Tokyo?), I was so disappointed to hear that news and shocked to know inability of those political leaders to learn.

Historically accepted or not was
not an issue. If the comfort woman problem was a reality or not was
not an issue, neither. The real problem I saw was he spoke out to the nation (even on his twitter account) as his way of thinking that it should be justified if other nations do the same, and those
oppressed people if there were should accept it to some extent as it was a requirement of the era.

National leader must not speak in such a way.

Here is the situation we see in the political scene these
days.

China steps into the Japanese territory around the disputed island everyday just to show they are brave but they don’t know they look like just a thief.

Korea is trying to set up several int’l diplomatic meetings w/o calling Japan, even in the case it’s about their national security where Japan obviously has a concern because they want to behave Japan is not important for them while
it’s not true.

On the other hand, many Japanese politicians continually behave arrogantly and show they don’t have real sympathy or respect to the other cultures.

I think all of these are not about the history. These are about their own personality. All idiot and childish nationalisms.
Sometimes I feel it’s because of
these three countries that Asia can’t lead the world for long time. It’s been obvious from 1860s.

All should watch this video every time before they talk about any diplomatically sensitive issues, and should know how the pride of the nation should be shown.

感覚値に訴える印刷コンテンツの世界に、テキスト文化のウェブがもたらすもの

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最近仕事柄、そのあたりに沢山置いてある情報誌、タウンペーパー、フリーペーパー、ちらしのようなものを注意して見るようになりました。

そうやってよく見てみて気付いたのが、誌面の大部分が写真やデザインフォントで飾られていて、しっかり文章が書かれているものは実はあまりない。普通の人がブログに書くようなレベルの文章のほうが文章量としては多かったりする。たまにしっかり文章が書いてあるなと思うと、それは企業のタイアップ広告記事だったりする。

つまり、印刷物は、視覚的に美しくデザインし、レイアウトすることで、そこに大量の情報コンテンツがあるような錯覚を与えることに成功している。逆に言うと、印刷物の場合、テキストで情報を伝えるよりも、一目で何かを語るような写真とそのデコレーション技術だけでもかなりのボリュームのコミュニケーションを行うことが可能だということ。

一方、ウェブ上での情報の主体はテキスト情報であり、フォントもそれほど多様ではないので、あまりごまかしが効かず、テキストのボリュームの少ないコンテンツは文字通り薄いコンテンツという捉え方になる。よく、通信社から配信されてくるニュース記事などを見ると、タイトルで引きつける割りにはニュース本文のボリュームが非常に少なく、「わざわざクリックさせておいてこれだけ?」と思うようなことがありますが、それがその典型的な例かと思います。

先日、ある著名雑誌の編集長が、雑誌のコンテンツをウェブに展開するのはかなり難しいんだ、ということを仰っていました。その時は、元のコンテンツのボリュームが相当あるのにどう難しいのか?、と、いまいちピンと来ていなかったのですが、実はそういうことなのかもしれない。つまり、できるだけ読まなければいけない情報を削ぎ落とし、視覚情報8割ぐらいの感覚イメージで訴求するのが出版の世界で、「読む文化」が主体のロジカル訴求のウェブとは大分異なるということ。

そう考えると、ブログを更新し続けている人など、この膨大なコンテンツが氾濫するウェブ空間の中で多くの読者を集め、鍛えられているような人のほうが、実は紙の世界のライターよりも文章力があるという世の中に既になりつつあるのかもしれません。

同時に、いま、印刷の世界で、本当はもっと物を書きたいのになかなか紙面や予算の関係で思うように書けずに、力を発揮できていないと感じているライターや記者の方も沢山いるのではないかという気がする。そういう人たちは、実はウェブ上で思う存分に書いていただいたほうが、その本当の実力を発散できる可能性が十分にある。

これまで、紙からウェブの世界への情報発信の軸が移り変わっていくことについては、主にビジネスモデルの観点から比較的消極的な論調が多いですが、実は、本物の物書きにとっては、寧ろウェブの世界に移行することが必然で必要なことであって、本来あるべき価値に回帰できるチャンスだと考えてもいいのかもしれません。

自分は今までこの事実にあまり気付いていなかったので、やはり「書く」という文化の主体は印刷物だと思っていましたが、実態としてはそうではない可能性があるということで、最近自分が興味がある、オンラインとオフラインのハイブリッド出版というもの意味合いを考える上でも面白い発見になりました。

海外進出をまかせられた日本企業の日本人社員の一番大事な役割

北京のスターバックス

北京のスターバックス

日本企業が海外展開を迫られるなか、海外で事業立ち上げなどを任される日本人は今後もますます増えるのだろうと思います。

が、肩肘をはって、俺は海外でもやれるはずだ、その土地に骨を埋める覚悟で、とか、グローバルビジネスマンになるんだ、とか、そんなことは思わなくていいと思っています。

知らない土地に行くのに、そんな覚悟を決めるのは非現実的です。

大体、そんな覚悟を決めなければいけないような人はあまり海外に向いていないです。その人がやれることは、たいがい、現地の人にしっかりした給与と目標と権限をあたえてやってもらえば、その人よりもずっと上手にやるはずです。

あまりに仕事仕事と考えている生真面目な人ほど、プレッシャーと義務感、故郷に錦を飾るんだ、という感覚が強すぎて、気がつけば事務所とアパートの往復しかしていない日々を過ごし、本社の日本人との関係だけを頼りに何ヶ月も孤独に過ごすことになります。 肩肘をはらず、余暇をみつけてはいろんな地方を巡り、現地の人たちと友達になり、そういうスタンスを大事にしておかなければ、現地マーケットを知る人間になる、という、会社にとっても自分個人のキャリアにとっても一番大事なミッションを実現できないのは自明のことです。

それよりも、自分がさっさと日本に帰ってこれるように、信頼に足る優秀な人を採用するための権限規定と給与モデル、そしてどういう付加価値をそのマーケットで出していきたいのかという、事業ビジョンを明確にすることに全力を注ぐべきです。それが日本から出ていく海外進出隊長の、最大の役割です。

日本に進出してくる外資の社長が、日本人をさしおいて日本語も分からないのにガンガン営業に出ていって、自分の思い込みで捉えた市場環境を本社に報告していたらどう思うか?という問題です。余程優秀な外国人でもない限り、きっと、その外国人社長はとんちんかんなことばっかりやっているに違いないし、日本人スタッフはやることもないから辞めるでしょう。

日本企業の多くがこれをなかなかできないでいるのは、海外進出にあたっての明確な目標やビジョンを後回しにしており、そのために現地採用スタッフの達成すべき目標と成果報酬を決め、それを達成するための必要な予算と権限を与える、ということを実行するのが非常に困難だからです。

ですが、この壁を超えてグローバル標準でやるか、徹底的に日本型でやるのか、それをまず経営意思としてはっきりさせ、従業員にも理解させるのはとても重要なことです。

このようなことも、まだ海外に実際に行ってないこれからの人にはなかなか意味が理解できないと思いますが、少し頭の片隅に置いておいてもらうと、現地での仕事で行き詰まったときにも、明確なゴールが見えてきて楽になるときがくるのではと思います。

広告モデルの違い:FacebookとGoogle

最近仕事の関係で広告業界の情報を大量にインプットし続けている。

モバイル領域の拡大とともに膨大な広告テクノロジーとスタートアップが新しく出て来ていて、既に業界関係者ですらその1つ1つの違いを理解するのが困難になってきていると思うが、ずっとトレンドを追っていると、結局、一部のニッチ領域を除き、市場自体は二つの企業によってその大半が専有されていくのだろうという、ある意味の諦め感というか、ゴールが見えてしまっているような感覚が生まれている。言うまでもなく、その2社は、GoogleとFacebook。

ただ、この2社の広告配信技術は、根本的に違う軸に基づくものなので、「どちらが覇者になるのか?」という議論が米国メディアでもよく取り上げられるが、いろいろニュース情報を見ているとどうやら行き着く先はそういうものでもなさそうだということで、両社の広告の特性が何なのか、備忘録を兼ねて整理してみた。

①広告配信のベースになるもの

Googleはクローラーが取得するテキスト情報とメタ情報。

Facebookはソーシャルグラフとユーザー属性。つまり人情報。

②広告配信先

Googleは静的な情報(ストック)に対して配信する。

Facebookは人(フロー)に対して配信する。

③広告配信方法

Googleは、Adsenseもあるが、基本的には能動的な情報検索アクションに対するレスポンスとしての配信である。

一方、Facebookは、属性とソーシャルグラフを元にしたプッシュ配信であり、ユーザから見れば受動的行動である。

 

細かな技術革新や買収、周辺領域サービスとの連携拡大などによって、2社の広告配信技術はどんどん変わっていくであろうけども、ベースがそれぞれ検索エンジンとソーシャルネットワークである以上、広告配信の発展の道も、基本概念は上記から殆ど変わらないのではないかと思う。

と捉えると、この2社の技術は、そのベースの発想や適性が異なるので、なかなか正面からぶつかることはないし、インターネット上に今後も膨大な数のサービスやサイトが生まれる中で、どちらかの技術で広告市場がdominateされるという事もなく、それぞれが、ストックとフローという、ネットの情報流通の中で絶対になくならない要素と密接にかかわり合った基幹広告インフラとして成長していく気がする。つまり、それぞれの得意領域で圧倒的に高い広告効果を出したとしても、相手の得意領域の中では、お互いになかなか勝てそうにない、ということ。

それにしても、今年のFacebookのモバイル向け広告ビジネスは段違いの成長となりそう。他の全ての広告テクノロジー会社の努力が霞んで見えるような成長を見せるのではないかという予感がしている。