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感覚値に訴える印刷コンテンツの世界に、テキスト文化のウェブがもたらすもの

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最近仕事柄、そのあたりに沢山置いてある情報誌、タウンペーパー、フリーペーパー、ちらしのようなものを注意して見るようになりました。

そうやってよく見てみて気付いたのが、誌面の大部分が写真やデザインフォントで飾られていて、しっかり文章が書かれているものは実はあまりない。普通の人がブログに書くようなレベルの文章のほうが文章量としては多かったりする。たまにしっかり文章が書いてあるなと思うと、それは企業のタイアップ広告記事だったりする。

つまり、印刷物は、視覚的に美しくデザインし、レイアウトすることで、そこに大量の情報コンテンツがあるような錯覚を与えることに成功している。逆に言うと、印刷物の場合、テキストで情報を伝えるよりも、一目で何かを語るような写真とそのデコレーション技術だけでもかなりのボリュームのコミュニケーションを行うことが可能だということ。

一方、ウェブ上での情報の主体はテキスト情報であり、フォントもそれほど多様ではないので、あまりごまかしが効かず、テキストのボリュームの少ないコンテンツは文字通り薄いコンテンツという捉え方になる。よく、通信社から配信されてくるニュース記事などを見ると、タイトルで引きつける割りにはニュース本文のボリュームが非常に少なく、「わざわざクリックさせておいてこれだけ?」と思うようなことがありますが、それがその典型的な例かと思います。

先日、ある著名雑誌の編集長が、雑誌のコンテンツをウェブに展開するのはかなり難しいんだ、ということを仰っていました。その時は、元のコンテンツのボリュームが相当あるのにどう難しいのか?、と、いまいちピンと来ていなかったのですが、実はそういうことなのかもしれない。つまり、できるだけ読まなければいけない情報を削ぎ落とし、視覚情報8割ぐらいの感覚イメージで訴求するのが出版の世界で、「読む文化」が主体のロジカル訴求のウェブとは大分異なるということ。

そう考えると、ブログを更新し続けている人など、この膨大なコンテンツが氾濫するウェブ空間の中で多くの読者を集め、鍛えられているような人のほうが、実は紙の世界のライターよりも文章力があるという世の中に既になりつつあるのかもしれません。

同時に、いま、印刷の世界で、本当はもっと物を書きたいのになかなか紙面や予算の関係で思うように書けずに、力を発揮できていないと感じているライターや記者の方も沢山いるのではないかという気がする。そういう人たちは、実はウェブ上で思う存分に書いていただいたほうが、その本当の実力を発散できる可能性が十分にある。

これまで、紙からウェブの世界への情報発信の軸が移り変わっていくことについては、主にビジネスモデルの観点から比較的消極的な論調が多いですが、実は、本物の物書きにとっては、寧ろウェブの世界に移行することが必然で必要なことであって、本来あるべき価値に回帰できるチャンスだと考えてもいいのかもしれません。

自分は今までこの事実にあまり気付いていなかったので、やはり「書く」という文化の主体は印刷物だと思っていましたが、実態としてはそうではない可能性があるということで、最近自分が興味がある、オンラインとオフラインのハイブリッド出版というもの意味合いを考える上でも面白い発見になりました。