月別アーカイブ: 2015年10月

山登りの記憶。

高校時代は、自分は山岳部だった。1年の夏に行った北アルプス遠征の苦しさ、達成感は今でも記憶に残っている。

キャンプ地の朝は早い。朝4時には起きる。夕暮れが来る前に次の目的地に着かなければいけないからだ。

まだ暗いうちに火を起こし、みなが無言で手早く朝食を済ませる。

早朝5時にキャンプ地を出発し、30kgの荷物を担いで10時間の行程の一歩目を踏み出す。荷物は肩にずっしりとぶら下がり、気分の高揚などは一切ない。

ギリギリと肩に食い込むリュックの肩掛けだけに神経が集中し、あいつのリュックのほうが軽いのではないかとくだらないことに八つ当たりしたい気分になる。目指すべき山は遥か彼方に見える。一体あんな遠いところに辿りつけるのだろうかと信じがたい気持ちになり、そんなバカげた山行を計画した人間は誰なんだと先輩を罵りたくなる。

元気な人間は最初は「おぉ」とか「やっほー」などと無駄に体力を消耗する遊びをし、多少のジョークで笑いも起きる。しかしすぐに全員が無口になる。1時間ほどアップダウンを繰り返す。見てはいけないと思いながら顔を上げてしまうと、稜線の彼方に改めてその山の頂が見える。分かってはいても、まったく近づいていない気がして絶望的な気持ちになる。その瞬間、体から一気に体力が抜ける。

そんなときは、下を見るか、横を見るしかない。

歩きながら横を見れば木立は着実に自分の前から後へと過ぎていく。自分が前に向かって進んでいることが分かる。ふと無意識の状態になり、体力の消耗をつかの間忘れる。アリなら一生辿りつけないような距離をすでに歩んでいると、無意味な比較で自分を鼓舞する。無心の状態は長くは続かないが、できるだけ考えることをやめ、前の人間の靴が前後する様子だけに視点を集中し、足を進める。

更に2-3時間も歩けば、いまだ遠方にあることに変わりはないものの、明らかに出発時とは違う角度と大きさで山の頂が見える。ゴールに多少近づいたことを認識できる。

これを繰りかえしているうち、無口な一行は、その山の麓にたどり着く。あとこの登りを登りきれば山頂だ!という先生の声が聞こえ、誰もが小さな歓声を上げる。まだ多少体力の残っている者は、「頑張れ、よし行くぞ!」などと周囲を鼓舞する。この瞬間、ボロボロだった自分の体に突然力がみなぎり、ガンガン登り出す。ほどなくキャンプ地に到着し、みなが荷物を地面に放り出す。

「やったぞー!!」

どんな状況であっても一歩ずつ進んでいれば、かならず到達する。今歩いている道の次の一歩を踏み外さずに確実に踏み、大きな方角を見誤らければ。