アメリカ国民5割原爆投下間違っていなかった。松本人志がキレて号泣。
定期的に出回る、「アメリカ人は原爆を反省していない」的なネタはなんなんだろう?
なんどアンケートとったところでその意識が変わるわけがないし、逆に、日本人は重慶爆撃を反省していますか?なんてアンケートは見たことがない。無差別爆撃という本質は何も変わらないのだけど、日本だけがアンフェアに叩かれたかのような見方こそが戦後から抜けられない=負けた=自分たちが間違っていた、ということを受け入れられないということに見えてならない。
日本でこの議論が巻き起こるとき、たいてい、原爆という兵器そのものに対する人道性を非難している論調なのだが、いまどき人道性にもとる兵器は地雷も含めて数多くあり、日本政府も原爆廃止に向けた強力な動きをしているとは思えない。実際には、このネタを話題にする人はアメリカ人が科学の圧倒的な力で日本を木っ端微塵にしたという事実に対して、論争を通じてアメリカ人に一矢報いたいだけだと思う。
戦争に関しては、敵も味方も沢山死んだのであって、どんな政治的状況にあっても、それが相手の謀略に乗せられた結果だとしても、トリガーを引いてしまった政府とその決裁者がその全責任を負うべき。どんな大義名分があったとしても、絶対にトリガーを引いてはいけない。それが簡単に力に頼ろうとしたのが戦前の日本だし、そういうことは断じてしてはいけなかったのだ、というのが戦争の教訓だと思う。過程に関する事情は理解することができても、決断は正当化できないのだ。
軍事施設だけを叩き合って決着がつく戦争なんてもう起きないのだから、原爆という一つの型の爆弾は、それが爆弾として人類の滅亡に直結する力を持っているだけであって、むしろそれは、腕力に頼る世界を繰り返してきた人間社会が、それをおいそれと使えなくしてしまったという意味では人間に対する究極のギフトですらあって、その善悪論は枝葉末節なのだ。
日本は集団的自衛権を考えている場合ではない。
いまの憲法は、アメリカによって作られたものだから日本人が変えなければいけないという議論があるが、何が起きても一切の武力行使を放棄し、諸国の国民の信義を信頼して行動する、という憲法の大方針は、アメリカ人に強制されたものではなく、それが、当時の日本人の心にとっても大いに受け入れられる結果だったのではないかと思う。
自分はいまの日本国憲法前文がとても好きだ。