月別アーカイブ: 2013年10月

ならではの価値、の落とし穴

Is marketing that important? Ask these 20 brands. They sell the same product. Marketing is their only differentiator.

新しいことを何か仕掛けようとするとき、「それ”ならでは”の真似できないことって何だろうね?」という議論は、発生しがち。

大体、人が新しい分野に入っていくときに、最初に存在するのは、一人の人間が持つ、「これ、面白そう。いけそう!」という直感。その熱い空気が周りに伝染することで、更に人が集まってきて、徐々にその直感の上に殻が作られていき、できあがってくる形自体が勝手に推進しはじめる。

上のような議論が発生するのは、大抵そんなタイミング。

ちょっと頭の良い人や、無駄にロジカルシンキング本をかじっているような人ほどこの議論を開始しがちです。少しブレーキをかけて周りを見つめ直したくなる。その議論を行う必要性があることは、大抵の場合正論に見えるため、その議論を開始すること自体を却下するのは非常に困難。

今まで、そういう議論を何度も見てきたけれど、回を重ねるごとに結果として感じているのは、「”ならではを追究する議論”にはあまり生産性がないなぁ」ということ。

2000年頃、無線LANホットスポットという概念が米国で誕生し、3Gなどの高速な携帯電話のパケット電話網が無かったし、家庭のインターネットも殆どがダイアルアップ回線だった時代に、当時としては画期的な高速インターネットが楽しめるものとして、スターバックスや空港などで、ビジネスマン向けに急速に普及を始めていた。日本でもこの概念に飛びついて、NTTグループや当時の日本テレコム、Yahoo!BBなどの通信大手が場所の争奪戦を繰り広げ始めていました。

当時自分がいた職場でも、海外無線LANスタートアップとの提携の検討が始まり、国内のロケーションオーナーへの営業活動を行った。が、結局、その事業は日の出を見なかった。

その時繰り広げられた議論が、「コンテンツを充実させないと」という話し。

当時は、ソニーのコンテンツビジネスが脚光を浴びるなど、ハードからソフトへ、エレクトロニクスの時代は終わり、コンテンツがキングだという発想が爆発的に世の中で取り上げられていた時代だったので、自分がいたチームでも、「無線LANは誰でも設置できる」。だから、「そこで流すサービスこそが鍵だ」、というテーマで議論が何度も繰り返された。

無線LANホットスポットならではの地域限定コンテンツを、、ホットスポットで楽しめるゲームサービスを、、そこで広告配信を、、そんな議論が交わされたということ。

結局、そんな良いアイデアが出るはずもなく、そうこうしているうちに全体のモーメンタムは下がり、海外の提携予定先の事業も変わり、プロジェクトは殆ど何もしないまま頓挫した。

誰も分からなかった「コンテンツ戦略」や、無線LAN「ならでは」のものが何か必要でしょう、という議論。

その場にいたアメリカ人はシンプルにこう主張していたことを今でもよく覚えている。「無線LANのキラーアプリは電子メールなんだ」と彼は言っていた。

しかし日本側チームは、「電子メールなんて当たり前過ぎるから何か差別化要素を考えないと。それは無線LANの特性を活かしたコンテンツなんだよ」「アメリカは遅れている(当時はブロードバンドでは完全に出遅れていた)けど、日本はコンテンツビジネスなんだよ」と、いかにもありそうな机上の空論を述べてそのアメリカ人の主張をいなしていました。

いま、振返れば何の事はない。無線LANがもたらしたものは、安価で高速なネット回線そのものであって、それを使う人たちが何よりもそこでやりたいことはメールのやり取りと自由で快適なネットサーフィンというごくごくシンプルなことであることは明白なわけです。日本の未だに不便な無線LAN環境と、海外の快適な無線LAN環境を比較すると、ビジネスマンであればみな感じていると思います。これは、ブロードバンド回線に無線LANアンテナを設置すれば即座に提供可能なサービスであり、ビジネスとして見れば、コンテンツはネットの向こう側にいる人たちにお任せし、それを極力シンプルなステップで高速に提供すること、コンテンツ戦略よりも、たんにキーとなる場所をたくさん押えて面を広げることがサービスの利便性を実感してもらうために最も大事な戦略だったのに、このシンプルな事実が、「誰でも出来て当たり前すぎる」ということで無視され、難しい理由を考え出そうとみなで無駄な苦労をしてしまったのです。

確かに、端末を一台設置して無線サービスを開始することは誰にでもできます。しかし、それを何万カ所でやろうとすればそれは誰でもできることではないという、今考えれば簡単なことを、当時そのチームでは、誰も重要視しなかったということです。

この手の議論は頻繁に発生し、「ならではの価値はなんですか?」と言われて無理な理由をつけたくになったり、つけないと前に進めないという状況に追い込まれる事業リーダーは多いと思います。

でも、本当に大事な「ならでは」は、単にスケール性だったり、ものすごくシンプルなものであって、無理に「ならではの価値=永遠に存続しそうな差別化要因」なんてものを考えると気持ちが萎えてろくな結果にならないことのほうが多い。

新しいことをやるときには、最初に思った「いける!」を大事にして、シンプルにそれを実現するためにまず大海原に石を投げつづけることを優先し、難しく考えて時間を使わないよう、気をつけなければと思います。自分もそういう傾向が無い人間ではないので。

ならでは論は常にまきおこるので(コミットしているチームならそれが起きないのも変)、それが、何か事を起こした後のフィードバックを元にした話しなのか、事を起こす前に概念のみで話しをしようとしているのかを整理してみるのが良いかもしれません。前者なら、議論する価値がありそうですね。

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ワークアンドライフバランスよりワークプロダクティブリィ

photo by a200/a77Wells

photo by a200/a77Wells

海外の人と話していて、日本人は本当によく働くね、と言われた。

よくあることだが、実際には、その裏には「そんなに遅くまで何をしてるのか分からない」というニュアンスが含まれていた。つまり大したアウトプットが出て来ないのになんだかよく働いている、という感じ。

彼が続けて、日本人は私生活のことをどう思ってるんだ、仕事の後に飲みに行く回数もやたらと多いし、と言うので、「日本人は仕事が充実しないと私生活も充実できないことを知ってるんだよ」とちょっと日本人のことを美化して返しておいた。その捉え方はあながち間違っていないとも思うが、実際、日本人がオフィスにいたり会社の人と一緒にいる時間はかなり長いのは事実だと思う。散々残業したあげくに更に飲みに行こうとするのは日本人ぐらいだろう。仕事と私生活の分離も何も、もはやオフィス生活が私生活そのものであり、会社員としての自分が自分の全てに近いのが多くの人にとっての実態ではないかと思う。

自分は、「ハードワーク」は嫌いじゃないし、寧ろ、ハードワークからしか得られないものがあると思っている口なので、近頃の「ワークアンドライフバランス」のような、ワークとライフは別物で天秤にかけられるような錯覚を与える言い方が嫌いだったりするのですが、それでも日本人の仕事の仕方に対して海外の複数の人が疑問を持っているのは事実なので、何がおかしいのかと考えてみると、日本人はWork hardをWork productivelyに置き換えることが必要ではないかと思い当たった。

Productiveに働くには意味のある明確な目的と、それに沿った目標が必要で、それを合い言葉にすると仕事が目的と目標から逆算で設定できるので無駄な仕事が減らしやすい。ProductiveではないのにHardに働こうとすると実際にはそれは出口のない仕事になっているので、みな憂鬱になり、ワークアンドライフなんとかという話しになる。Productiveというのは気持ちの話しではなく、具体的で意味のあるProduct=アウトプットの生産効率のことであり、当然評価にも直結するのでProductiveであれば生活も快適になる。

更に、個々の社員がProductiveに働ける環境にしようとすると、自ずと、事業自体が顧客や社会に対してどういうアウトプットを出したいのかという意思とそのための最低限の戦略、目標設定がなければいけないので、Productiveかどうかを共通の合い言葉にすることは、事業体自体の存在意義とProductivityを見直すことにもつながる。マネジメントにとって、事業自体の存在意義を考え、1人1人がProductiveに働けるように環境を整えることは大変高度で難しい仕事だが、それを放棄していてはマネジメントとして失格なのでそれこそハードに考えぬいて設定しなければならない。

ここまで書いてみて、1つ思い出したことがある。それはある日本の伝統工芸の職人にインタビューをしたときのことだが、その職人は「繊細な細かいところに徹底的にこだわって技を磨くのが職人でしょうか」と聞かれて、「職人ていうのは機械では出来ないレベルの製品を均一な精度でどれだけ沢山量産できるかどうかがが職人の技なんだよ」と回答していた。それは思いもかけない視点だったが、結局高品質の製品を作ることが目的ではなく、より多くの人に高品質な製品を使ってもらうことで多くの人に良さを知ってもらい、それで自分たちも稼ぐことが目的なのであって、ただ単に技を追究したいというナイーブな話しではないということだった。その話しは、正に、Productiveかどうか、という話しに直結するように感じる。高度なProductivityの中に本当の技があるというのは、日本にも元々ある考え方なのかもしれない。よくよく考えて見ると、英語の「Work」は、ただ働くことではなくて、出来上がった作品のことも指すことに思い当たりました。日本人のイメージする「ワーク」と、英語ネイティブの人の「Work」はそもそもニュアンスが異なる可能性が高いですね。

ということで、You work very hard!と自分や他人を褒めるのではなく、You are so productive!と褒める思考を、個人的にもマネジメントとしても、より強く意識していこうと思います。