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情報流通の逆転とサイクルマーケティング

例えば美味しいパン屋はいくらでもある。そんな中である店を経営している人と知り合いになり、その気持ちを知って共感する。そうするともう他で買う気はなくなる。それがエンゲージされた状態。

情報の誕生、成長、流通、出口まで、時系列に揃い、その一つ一つのプロセスが全て信頼する人の手を介して伝えられることで初めて完璧なメッセージになる。情報は、6人を介すると世界中の全員に届くということが実験で証明されていることを考えれば、最初の1人に正しく相対することのレバレッジ効果は機械的に配信される企業のマス広告を遥かに上回る。それは商品開発の段階、種を見つけるときのコミュニケーションからスタートしている。

コンテンツは意図せず広告になり、広告フォーマットはコンテンツ化する。純粋コンテンツと広告の垣根は無くなり続ける。情報の流通は、完全にマスからピン対ピンになリ続ける。流通した情報の質は、実体験だけでなくその拡散によって検証され続ける。

マス情報の流通の縮小と反比例して広告倫理的に重要になるのは発信者のアイデンティティが個人レベルで明らかであって、誰のクレジットで発信されているのかということではないだろうか。

あらゆるハードがオンライン上のエレメントとなり、AIがコンテンツすら自在に作る世の中は、好まなくても確実に実現するだろう。情報が誰の手を経てどう流れてきたかもトレースできること。これによって情報の信頼性を担保すること。これがオンライン社会で大きなテーマになるかもしれない。

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日本の朝と「社畜予備軍」を生産する仕掛け

日本の会社員の朝は遅い。

ちょっと以前は大半の会社が9時出社だったと思うが、大半の人がほぼきっかり9時に出社しようとする。朝は少しでも眠っておこうということだ。

これが最近は9時15分、9時30分、10時と、どんどん遅くなっている。朝の出社時間が遅くなることで喜んでいる若い人は多いと思う。逆に今の時代に9時出社ということでは採用も苦戦しそうな状況だ。

しかしよく考えてみると、朝の出社時間が遅くなるということは、そのまま夜の退社時間の定時も遅くなるということになる。ワークアンドライフバランスが叫ばれているご時世であり、社畜、ブラック企業などという言葉が氾濫していながら、退社時間が遅くなり、ゆったりとしたプライベート時間を持てる時間を削るような仕掛けを歓迎していては、何にしても夜型になりがちな若いうちはともかく、長い目で考えれば自ら仕事とプライベートのバランスを取れない状況に追い込んでいるようなものだと考えたほうがいい。

以前アメリカで仕事をしたときには、17時にはほぼ全員が退社。まだ外が明るい18時ごろには家族や友人とレストランで食事を楽しんだりコンサートに出かけたり、といった光景が日常だった。

でもその代わり彼らの朝は早く、8時や7時に出勤してくる。家に書斎がある場合も多いので、レジャーを楽しんだ後に自宅で仕事、という人も多かった。自分で自分の時間が持てるようにコントロールしている人は多い。

一方、何をバランスしたいのかは人それぞれだと思うが、例えば19時に退社すると、自宅に着くのは20時。そこから楽しめる家族との時間はせいぜい2-3時間。子どもとの会話は殆ど持てないし、夕食を食べる時間も非常に遅くなる。結局、18時ぐらいから21時ぐらいまでの間にどれだけ仕事以外のことに集中する時間を自分次第で持てるかどうかが、クオリティオブライフの向上にはとても大事なことではないかと思う。

朝、遅く出社するとすぐにお昼の時間になるので本来もっとも生産性が良いはずの午前中に、生産量の最大値が物理的に削られている。仲間と一緒にお昼を食べに出かければ眠くなるので午後の生産性も低い=仕事が遅くなり、帰れない。

定時が何であれ、仕事が遅くまでかかってしまうことは常ではありつつ、規定の出社時間が遅いことをもって会社が提供してくれた福利厚生的なものだと考え、嬉しいと考えるのは、「私はこれから社畜になります」と言っているようなものだと、若い人は認識したほうが良いと思う。

石原莞爾と最終戦争論

石原莞爾という人が昭和の軍部にいた。満州事変を起こした。ここまでは少し歴史が好きな人だったら頭の片隅ぐらいにはあると思う。学校で教えられたことは、「満州事変で中国との戦争を引き起こした、先のよめない頭のイカレタ軍国主義者」ぐらいだと思う。

それくらいの認識はあったこの人について、なぜかふと興味を持ち、「最終戦争論」というものにたどりついた。彼が1940年ごろに講演した内容を筆記したもので、余計な脚色のない、彼自身の肉声と言える。

あまり期待をせずに読み始めたが、これが、読んでみるとバカみたいに面白い。戦後の日本の世代に対してある意味封印されてきているのは仕方ないが仕方なくない、化け物みたいな内容である。少なくとも日本の政治家はみな読んでおいて損は無い内容ではないかと思う。

なぜ面白いかといえば、彼が感覚的にとらえている世界をまたにかけた歴史の流れ、それに基づく未来予想が、ことごとく現代にあてはまっているからだ。かつ、彼がこの話しをしたのが1940年、真珠湾攻撃のちょうど1年前ぐらいであり、既に欧州では第二次大戦が始まっている(もちろん日本自身も日中戦争の真っ最中)という、激動の最中に語られたもので、当時日本の政治や軍部に対して大変大きな影響力をもっていたということ。そういった背景を考えると、当時の日本のトップクラスの秀才が何を考え、語り、どう日本の行動に影響を及ぼしたか、どこが封殺されたのか、といったことを窺うことができる。

いくつかピックアップしてみる。

「今次日支事変の中華民国は非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の国民皆兵にはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来た漢民族の悩みは非常に深刻なものであります」

「大隊、中隊、小隊、分隊と逐次小さくなって来た指揮単位は、この次は個人になると考えるのが至当であろうと思います。、、(中略)その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。」

「この次の、ものすごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。」

「一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。」

「(最終決戦では)もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません。

「目下、日本と支那は東洋では未だかつてなかった大戦争を継続しております。しかしこの戦争も結局は日支両国が本当に提携するための悩みなのです」

「アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。」

「統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、安全弁を欠く結果となる。。(中略)統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。」

「最終戦争を可能にする文明の飛躍的進歩は、半面に於て生活資材の充足を来たし、次第に今日のような経済至上の時代が解消するであろう」

「人類の前史は将に終わろうとしていることは確実であり、(中略)今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります」

「人類が経済の束縛からまぬがれ得るに従って、その最大関心は再び精神的方面に向けられ、戦争も利害の争いから主義の争いに変化する、、(中略)即ち最終戦争時代は、戦争の最大原因が既に主義となる時代に入りつつあるべきはずである。」

「発明奨励の方法は官僚的では絶対にいけない。よろしく成金を動員すべきである。独断で思い切った大金を投げ出し得るものでなければ、発明の奨励はできない」

航空機の時代が来ていること、最終兵器≒原爆のようなものの登場が迫っていること、究極の戦争のあとには戦いに明け暮れていた歴史が変わること、経済発展がおき、利害を超えた主義の争いが勃発すること、発明は奨励されるべきで、発明の促進は民間の投資家によって行われるべきであること。これらの思想に石原莞爾が到達したのは1940年よりも大分以前のことのようで、その後の日本と世界の歩みを考えれば、2015年の今にまで通じる的確な予想だというしかない。

一方、明晰であるようで、あくまでも「天皇」が未来の世界の諸国民の中心にあると考え、そこに対する疑問がないこと、中国を讃えつつ今の「犠牲」は仕方がないものだと捉えていること、などは、当時の視野の限界なのか、それとも当時の環境にいればこう判断することが本当の大局だと考えても仕方のないものなのかは、現代に生きる自分達にはなかなか判断のつかないことだ。

そして、大きな戦略を描きながら、まるで曲芸のようにその激しい戦いを生き抜くための戦略を、国家戦略として描くということ自体が無理があるということに気づかないところが、満州事変を起こした彼の姿に透けて見える。

 

 

Religions that drive the battles

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My view of simplified images of some religions and faiths that have been driving the world from the ancient.

It is so ironic that the religions are always the cause of troubles and bloody battles while all ask for a peace.

I feel I need to learn more especially about the truth of the Islamic world, behind many propaganda and news made for and by the western world.

責任。

あまりにも刺さる言葉だったので全文メモ。

 

さて、時々「オレはこの仕事から降りる」なんていう人いますよね。
「こんなんじゃ責任取れません!」とか言ったり。
ぼくはこういう人をうらやましく思えます。
いいなー、すぐ降りられて。
なんちゃって。

そのそも責任って何でしょうか。
責任ある人ってどういう人なんでしょうか。
ぼくは、気楽に降りられないこと、なんだと思うんですよ。
降りられないから、仕方なくでも踏ん張らざるを得ない。
踏ん張るからなんとか責任を果たせる。

だから、安易に「仕事から降りる」という人は気楽に思えちゃうんです。
「責任取れない」という人は、もともと責任なんかない人なんですよ。
責任がないから気楽に降りることもできるんです。
その代わり、そんなことを繰り返しているといつまでたっても腕は上がらない。

降りられないから、踏ん張らざるを得ないから、泣きながらでも何か打開策を探る。
過去の経験を生かしたり、多くの人の力を借りたり、知恵を出して解決への道筋を見つけていかなくちゃならない。
そういう努力をするから、腕も上がっていくんだと思うのです。

藤原和博『新しい道徳』ちくまプリマー新書\760-にこうありました。

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あなたが「夢」を追うためにも、もっと「自由」になるためにも、技術と経験を蓄積するのが王道なのである。
このとき、大事な言葉がもう一つ。
「自由」の裏腹である「責任」という言葉だ。
「責任」を引き受ける仕事の仕方をしなければ「技術」は蓄積しないだろう。
「経験」の蓄積も豊かにはならない。(158p)
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誰だって逃げたくなるような仕事はあります。
自分がそうなら他の人だって逃げたくなっているんです。
それを踏ん張って解決するから、技術と経験は蓄積し、他の人からのクレジットレベルも上がる。
逃げていたらダメですよね。

技術と経験が蓄積し、他の人からのクレジットレベルが上がっていくと、やりたいことがやれるようにもなれます。
やりたいことがやれる、すなわち「自由」です。
世の中にはまったく同じことなのに、それが許される人と、お前がそれをやっちゃマズイぜ、という人がいます。
それはクレジットレベルの違いなんですよね。

だって、結果に違いが出るからです。
クレジットレベルの高い人なら、困難があってもそれを克服して成功に導いてくれる見込みがある。
そうじゃない人は、またこの仕事から降りちゃうじゃないかって思われちゃう。

いい結果を出してくれる人と、中途半端で投げ出しちゃう人と、どちらに重要な仕事を任せるか、自明ですよね。
藤原さんはこうも言います。

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「責任」に裏打ちされていない「自由」は、ただの「奔放」にすぎない。(158p)
「責任」を引き受けて、はじめて、その「自由」な行動はクレジットに変わる。(159p)
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責任に裏打ちされていない自由なんか、意味がないってことですね。
子どもや若い人はよく「オレは自由に生きたいんだ」なんて言いますが、それは責任逃れでしかありません。
責任を引き受けて、嫌なこと、困難なことに出会っても、そこから逃げずに、ジタバタしながらも踏ん張って、知恵だし汗だしするから、自由も得られるということなんだと思います。

81歳の語録と「粋」。

81歳の職人にインタビューをして、韓国の若い人たちのネットの使い方は凄いね!と語られた。

どうしてそんなことを知ってるんですかと聞くと、テレビを見ていれば情報は入ってくるし、後は直感だと言う。小さな2畳の工房から世界を見ている。頭脳明晰。

諦めとは、「明目」だと言う。明らかに見えること。そこで初めて、諦め、諦観の境地に。明らかに見えるまでやりきって、深く究めてみて、初めて諦めという概念が出てくる。昇るまでは大変だ。根性で突き詰める。昇ってみたら小川だよ。諦めじゃなくて、明らかに見えている、ということ。

今でも仕事したいんだ。一時間でもいいから仕事したいんだ。職人は作るんですよ。詰まるところてめえが食えればいいんだ。商人は儲けるのが仕事だ。そこが違う。

コンピューターは、1から1000までいくらでも作れるけど、0から1を作れるのは人間だけなんだ、とも。

ちょこまか落ち着きのない小学生だって、教えてやるからそこ座れ、と言えばちゃんと座って話しを聞く。自分がやりたいことを教わろうとする人は、素直なんだよ。

なんでも夢中になるんだよ。

こんなことを、たくさん。

言っていることは、全部受け売りなんだよ、と笑っていたけど、全部受け売りで全然いいと思った。

大事なのはその思想、受け取った人の衝撃、自分事に置き換えられたときの思想の進化が、次に伝わっていくこと。そこで救われる人がいること。伝えることをやめて、自分だけのものにして、途切れて、知恵が失われることのデメリットより余程いい。表層の受け売りは問題じゃない。中身がその人自身の体験に置き換えられていれば、それはもう受け売りじゃない。

他人様の考えを、自分が考えました、人がやったことを、自分がやりました、みたいに言う、リスペクト精神の無い人もたくさんいるけれど。

人生とは蓄積だと思った。蓄積された結果のその人の知恵、世界観、歴史観についてのバランス感覚、いろんな問題も人の感情も、理解し、自分自身のこともよく知り尽くした上での、素の自分への許容、人を受け入れる気持ち、それでいて、本質に一歩でも近づこうとする厳しい心、静かで、人を傷つけることの無い、目的に対する、本人だけが持っている激しい情熱。

そういう、深い内面にあるあらゆる経験と考え抜いた思想を踏まえた上でなお失われない若さ、チャレンジ精神を感じさせるもの、それが、人の「粋」なんだと感じた。

最高に楽しい90分。人から人への贈り物。

尊敬される文化を持つということ

ドイツが欧州を救っている、というFTの広告。


ドイツが欧州を救っている、というFTの広告。

久しぶりに海外に出ていました。 そこで改めて感じたことは、
日本という国へのリスペクト。 海外に出て、日本人だと分かると、比較的丁寧な対応をされることがあります。
勘違いかもしれませんが、こちらをGentlemanとして扱ってくれるのです。つまり、日本人は文化人だ、という認識をされているということです。
日本人に会えた、ということに対して”今日はファンタスティックな日だ”という反応を示す人さえいます。

これまであまり意識しませんでしたが、今回は一人出張だったこともあり、頼りになるものも友人もいない中、日本へのリスペクトを背景に話しかけてくれる人が何人も現れたことは驚きでもあり、救いでもありました。

その中には勿論、勘違いもあるし、日本を必要以上に美化している人たちもいます。
が、そういう日本という国の印象を形作ってきた先人、現代においてはアニメや映画のクリエイターにも、本当に自分たちは感謝しなければいけない。
そう思いました。

同じアジアの国、アジアに限らず世界中の国で、その国の文化や習慣に対して幅広くリスペクトを示される国というのがどれだけあるのかと考えて見ると、それほど無いのではないかと思います。
基本的に日本人は真面目で、よく働くし、奥ゆかしく、礼儀正しい、という印象をもたれています。そして、そのことは非常にセクシーだと感じる外国人がそれなりにいます。

それは部分的には事実ではないかもしれないけど、そういう印象をもたれていることは、海外で何かをする際には何かとアドバンテージに働くことが多いのは間違いないと思います。
江戸時代、日本は鎖国を続け、それによって国が弱体化する可能性があったにも関わらず、規律と責任感を重視する武士によるある種の共和制的な統治体制が、精神的な部分での弱体化を防ぎ、寧ろ世界に通用する独自の道徳観と正義感を生み出したことは本当に素晴らしい。

今やサムライなどと言われてもこちらは時代錯誤を感じることもあるし、寧ろ、世界の中には日本人よりもサムライと呼ぶのにふさわしい人たちも沢山いるわけですが、世界の人は日本人というよりも、サムライの哲学とその生き方に憧れている。そのことは心のどこかにとどめておき、日本人としてはサムライの生き方に恥じないように背筋を正して世界で行動すれば、必ず世界で通用すると感じます。

よく、海外に出ると、Which country do you like?、などと聞かれます。

日本人は、自分たちの国のことは良く知っているので、憧れの国であるアメリカやイギリス、フランス、最近であればアジアの国を答える人も多いのではないかと思います。
が、僕は、日本も、世界のどこにも負けない、素晴らしい国だと思います。というよりも、はっきり言えばBest countryなんではないでしょうか。
だから最近では自分は素直に、Japanだと答えます。

日本には、世界にもっと理解され、採用されていい文化やモノの考え方が、沢山あります。その中には僕ら自身も理解していたり、過小評価していることがある。
日本のことを自分たち自身もよく理解し、世界のこともよく自分の肌で見聞きして、沢山の文化に触れる中で、これまで築いてきたreputationとrespectを、僕ら以降の世代にも絶やさないように、進化させながら受け継いでいかなければいけないと思います。
それは、大袈裟な話しというより、海外にでた日本人の1人1人が日々の行動の中で担っているもの。

出来ていないこと、未熟で至らないことは大量にあるわけで、独立してみたりすると、そういったことを尚更痛感することだらけですが、それでも日々、日本人としてはちょっとだけ背筋を張って、それでいて謙虚な心を忘れずに、行動したいと思います。

冒頭の写真は、ドイツが欧州を救っている、というFinancial Timeの特集です。

ドイツ人はヨーロッパ人の中でもっともよく働いているから、という選択肢が用意されています。
日本とドイツは捉えられ方としてはよく似た国ではないかと思ったので使ってみました。