月別アーカイブ: 2012年5月

心にひびかす修行

『おたがいに修行をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、』

 

これは、『道をひらく』(松下幸之助)、におさめられている、

『恵まれている』

の中の一編。

 

今朝読んで、心にすーっと、沁みた。

 

文中にあるように、

人は日々家族や他人から、恵みを受けていきている。

 

日々、ただ死ぬ心配もせずに、「いかに成功するか」「如何に楽しく生きるか」だけを考えて生きていれるだけでも、恵まれているのは間違いない。

 

それでも、どうしても、「もっと成功したいのに成功できない」「あれもこれもしたいのにあれしかできない」という、できないのほうに目を向けてしまう。

「感謝してます!」と言ったそばから、一方でどこかに不満を抱えていたりするもの。

 

よく、電車の駅で駅員に詰め寄ったり、

レストランやお店で店員のサービスの質に文句をつけたり、

そういうことをやってプンプンしている人を見かけるが、

こういう人達は、自分は◯◯なサービスを受けるべきだと勝手に決めていて、それが提供されていないほうに目を向けている典型的な例と言える。

 

そういう状況を見ると、多くの人がその理不尽な要求ぶりに目をひそめて「そこまで言わなくてもいいのに」とは思う。

ただ、それは程度の差でしかなくて、こと、自分自身のことに関わるとなると、やはり多くの人が過大なことを期待し、それが提供されない不満のほうに目を向けがちになると思う。

結局、本質的には駅で駅員をどなりつけているイライラサラリーマンと何も変わらないんだろう。

 

自分は、

だからといって、

「ありのままの境遇をまず受け入れてみよう」

とか

「その中に楽しみを見いだす努力をしよう」

とかは言いたくない。

 

ただ、

自分のいまある環境は、

それがつつがなく動いていると自分が勝手に思いこんでいる部分については親、家族と社会に支えられていて、

そのつつがなさを超えて何かを成し遂げたいと思う部分については、

単純に自分自身の努力によるものだということを、

いつでも素直に受け止められて、

心と体が一体となった自然な行動を出来るようになりたいものだと、

あらためて思う。

なぜ非営利の活動、団体が増えているのか。

最近、思わぬきっかけで、非営利団体、非営利業界というところに関わりをもたせてもらうことになり、色々と調べたり、行事に参加させたりさせてもらっています。

その気になってみると、そういった非営利の活動に参加している方が、どういうわけか身の回りに沢山増えてきました。

 

東京に出てきたばかりの新卒社会人時代に一度、NGO団体のボランティアに参加したものの、すぐになんとなく違和感、自分自身の心の準備が出来ていない感じがあって辞めてしまって以来、興味は持ちつつも現実的には何もやってこなかった自分ですが、時代は変わり、今ではNPOという組織形態も普通に耳にするようになり、NPOだけでなく、様々な形態の非営利組織が作れる時代になっています。

 

実際、内閣府のホームページには、認定NPO法人の設立数の推移統計が掲載されていますが、現在では45,000法人にも達しており、毎年順調に法人数が増えています(下図)。

私の身近なところでも、地元の町会が、古くから「慣習」としてやってきた町の同志による互助組織としての運営では町会事務所などの不動産を含む資産管理の都合上、限界が出てきたため、NPO法人としての運営を具体的に検討し始めたりしています。

 

一方、残念ながら、非営利団体、の中には、怪しげな出自の団体がいたり、活動実態が希薄だったりすることもあり、世間での非営利組織に対する見方は、特に市民レベルの団体に対してはまだまだ「得体の知れない怪しい団体」、みたいな見方も多分にあるのが現状だと思います。

私自身、この業界について調べ、何が出来るのかを考える中で、正直、非営利組織とは何であるか、それの社会的必要性は何なのか、について根本的な疑問を持ちながら、私なりに業界を勉強し、課題に取り組んできました。ずっと営利会社に所属してきた自分としては、非営利という考え方をわざわざ取り入れることのメリットがよく分からなかったわけです。

 

ですが、ここに来て、少しずつ分かってきた気がします。

一言で言うと、非営利組織の台頭はつまり、

「市民政府」

の誕生に他ならないように感じています。

 

あまり、他の先人の仕事を調べたりしていないので、このようなことは既に言われ尽くしたことなのかもしれませんが、自分なりに、非営利組織の台頭の背景をまとめてみました。

 

非営利、地域活動団体が増えている背景:

①経済成長が飽和し高齢化社会になる中、税収の減少もあって行政の出来ることに限界が見えてきている。これにより、行政が解決できない社会的課題が発生しており、民間努力による解決のニーズが高まっている。

②以前あったような、ご近所付き合い、のような身近な結びつきが希薄になったので、生活している場所の近辺にも沢山の課題が目につくにも関わらず、そこに何の貢献も出来ずに「地元愛」を発揮できる機会が減っており、週末などは無為に過ごしてしまうことが多い。

③インターネットや携帯電話が普及することで低コストでの個人間のコミュニケーションが簡単に取れるようになり、結果的にニッチであっても同じ想いを持つ個人同士が結びつきやすくなっている。

④インターネットのもう1つの側面としてあらゆる行政/社会課題にアクセスできる機会が格段に増え、何かをしたいと考える人を増やしやすい構造になっている。

⑤何よりも、食べるのに困る社会ではなくなったので、誰もがそういう活動をする余地が生まれている。

これらの要因の結果、あらゆる種類の中小規模の非営利の市民/地域/NPO活動などが増加の一途を辿っている。

 

非営利組織には様々なものがありますが、根幹を成すのは、営利を上げて株主還元することを目標にせず、あげた利益を社会還元することを事業運営の目的にする、ということです。

私も以前は勘違いしていましたが、営利を上げること自体は問題ないわけです。が、株主に還元することを目的にしないということを最初から宣言している中で事業活動を行うところが全く異なります。

 

では、「社会の利益とは何なのか?」というところが大きな争点になるわけであり、そんなのは人それぞれの勝手な思い込みであって、利益を上げる株式会社自体が社会利益でしょう、という考え方もあってそれは勿論正しいわけですが、では、株式会社が世の中の全てを解決する存在なのか、といえば、やはりそうはならない。そこには厳然たる株主利益をベースにした優先順位というものが存在しますし、会社の中で社会問題がどうのこうのと言う人は基本的に「そういうことは外でやってください」という話しにしかならないわけです。

特に、社員が住む地域の問題などは、それは法人税地方税を納めているんだからあとは行政の問題でしょう、ということで、会社は知ったことはないわけです。

 

しかし行政は前述のように問題を抱えているし、動きも遅い。

そもそも行政は社会変革をする組織ではなく、社会をうまく平和におさめるための組織です。

そこで、思い込みだろうが何だろうが、社会に貢献したいという人が増え、仕事時間以外を使って活動する人が増えるのはもう必然的な流れなのだろうと思います。

 

以前は、社会変革や社会インフラの整備は、税金を納めている行政がやることだと日本人は思っていたと思います。

しかしNPOのような社会利益を目的に掲げる団体が増えることは、結果的にその領域について行政の存在を不要にする可能性があります。

これはもう、市民政府ですよね。

 

最近のコンプガチャ規制なども含め、政府は余計な規制をすることばかり考えていると思う今日、民間の非営利団体の活動領域が増え、市民政府が役人による政府を代替えしていく未来像を思い描くと、これはとても面白い未来像だと感じています。

仕事としても、意外と無限の可能性がありそうです。

 

とはいえ、資金が無い業界なので、課題は山積みなわけですが、個人的にちょっとワクワクしている今日この頃です。

 

もう何年も海外にいっていた父が、ついに帰ってくると言う。

もう年も取ったし、何年も前から帰国を勧めていたが、「まだやらなあかんことがあるんよ」「俺じゃないとできんからな」と言い続けてなかなか帰国しようとはしなかった。

それが、今年中に帰ると言う。

 

海外では事業の立ち上げを担当していたが、周囲の理解もなかなか得られない中、一人で各地を転々としながら事務所を立ち上げ続けていた。

帰国するのは海外がそろそろしんどいというのもあるが、現地で任せられる人材が育ったので帰れるのだと言う。

 

「誰かに任せられる状況を作る」ことは、あらゆる仕事の究極のゴールであり、いちばん難しいことでもあると思っている。

自分自身、海外事業を担当していたことがある身として、海外でのチーム立ち上げは、常に現地では全てを自分でも分からない中で暗中模索でやる必要があり、一方では本社サイドからは現場を理解しきれないので、やはりどうしても「なぜこれしきのことが出来ないのか?」という不理解、あるいは放置、うまくいかないことがあれば常に厄介もの扱いされる、という状況が避けられない。相当良い状況でも、「相談する相手がいない」というシチュエーションが発生するので、精神面での気持ちの保ち方が特に大変なことだと認識している。

 

そんな状況の中、父親が仕事をやりきり、帰国しようと思える状況にまで持ってきたことを、自分は誇りに思う。

プライベートでもとても苦しい時期があり、きっと絶望的な状況を見たと思う。

そんな中、心にいろいろな思いを抱えながらも、何年もかけて1つの仕事をやりきったのだろうということを、この年になって自分もやっと理解してあげることが出来る。

 

おめでとう、そしてお疲れ様、と言いたい。