カテゴリー別アーカイブ: ライフ

毎日がDay-1

人間関係においては、長い付き合いがあっても、些細な掛け違いや考えの衝突で、突然ガタガタと関係性が崩れることがある。

長く信頼関係を築いてきた人との関係であれば、それまでに費やした自分や相手の時間を考えれば、何故そんなことになったのか、自分が悪かったのだろうかと悩んだりもする。しかし自分が悪いのかと素直に反省モードになれるなら素晴らしいことで、どちらかといえば、どうしても無意識に相手が悪い、今までの信頼関係があるのになぜ理解されないのか、と思いがちだ。

最近そのようなことがあり、冷静になってみると「積み重ねたもの」に無意識に依存している自分があるということに気づいた。

誰だって人間である以上、当然過去の延長線に今がある。しかし気をつけておくべきことは、過去の延長線に今があっても、今は今だということだ。

過去に積み重ねたものは意味がないわけではなく、今がプラスの方向に働いているときにはそれをレバレッジさせる方向に働く。しかし、今が「ゼロ」であれば、どんなに素晴らしい過去があってもそれは全く意味をなさないと考えておいたほうが良く、過去に蓄積したものがあるのだからそれが土台にあるべきだ、という考え方はある種の傲慢なのだ。

つまり、人間関係においては、以下の式が成り立つように思う。

関係値スコア=「今の関係」x「過去に累積した関係の積み重ね」

今の関係が「ゼロ」であれば、どんな過去の積み重ねがあってもスコアは「ゼロ」だし、仮に今の関係がマイナスであれば、寧ろ過去の積み重ねが逆方向の失望として表れ、マイナス度を上げてしまう。

だから、どれだけ素晴らしい時間を築いたとしても、今日という日が終わればまたそれらはリセットされ、明日はまた新しく真摯に向き合わなければならない、ということになるし、そう思っておけば、今この時間を大切にしつつ、過去の経験もプラスに活かし、更に信頼関係を積み重ねていくチャンスを増やし、無駄に自分自身や他人に失望することを無くせるのではないだろうか。

Amazonの創業者ジェフ・ベゾスが掲げた「Day-1」の思想は、ビジネスだけでなく、人間関係においても同じなんだなと思った次第である。

これからは日常の中で常にDay-1を意識していきたい。

チームラボ・猪子氏が語る、「やりたいこと」を見つけるたったひとつの方法

やりたいことがみつからなくてもいい。

「やりたいことなんか見つからないですよ。見つからない、見つからない! 時代とともに必要なスキルってすごい勢いで変わっていくわけです。新しい時代で必要なスキルを学校が若い子に教育してくれたら、古い人たちはその新しいスキルを持ってないから(若い子が)必要がられるんですよ。

そうすると適当な感じでも「やってやって」みたいな感じで仕事がいっぱい貰えるし、就職も受かるし。そのうちに社会に必要とされているから何か嬉しくなってきて、もう少しやろうかっていう感じで「この仕事もいいかな」と思ってくるっていう。何が言いたいかわからなくなってきたけど。」(logmiより

古い記事だが猪子さん、いいことを言うなと思う。

ずっと、自分はやりたいことがたくさんあるし、やれることもたくさんあると思ってきた。でも、いくつかサービス立ち上げたり、起業してみたり。でも、段々と自信がついてきたら、いつの間にかそれは単なるエゴになっていた。

やりたいことをやれば、はキレイ事。

やりたいことが明確な人はそれだけで幸せなこと。分かっていてもやらないなら何か理由があるか、実はやる気がない。

普通は突き詰めれば突き詰めるほど何も見つからなくて悶々とするわけで。だからこそ、無駄に理由を探して時間を過ごすよりも、行動して、身の回りに波を作り出してみたほうがいい。

それでも、そんなことは分かっていても、時には時間が必要なこともある。分かっていても、理由を探したくなるからこそ人間なのであって責めることはできないなと思う。

でも、生きがいというものは、人との関わりの中からしか生まれてこないものだし、自分が切り拓いたように見える道も、全て、両親を含め、誰かとの関わりの中で自然と背中を押され、自分が役に立てたという感覚があり、そういった繰り返しの中で無意識に創りだされ、歩みだしていったものだということは言えると思う。

結局のところ、人は、テロリストでさえ、誰かの役に立たないと感じることはできない生き物で、何かを成し遂げたい、という欲望は全て最終的にそこに回帰している。それって本当に人間の根幹にあるもので、AI時代、ロボット時代でもロボットと人間の大事な差になるのかもしれない。

参照元:http://logmi.jp/9198(チームラボ・猪子氏が語る、「やりたいこと」を見つけるたったひとつの方法)

山登りの記憶。

高校時代は、自分は山岳部だった。1年の夏に行った北アルプス遠征の苦しさ、達成感は今でも記憶に残っている。

キャンプ地の朝は早い。朝4時には起きる。夕暮れが来る前に次の目的地に着かなければいけないからだ。

まだ暗いうちに火を起こし、みなが無言で手早く朝食を済ませる。

早朝5時にキャンプ地を出発し、30kgの荷物を担いで10時間の行程の一歩目を踏み出す。荷物は肩にずっしりとぶら下がり、気分の高揚などは一切ない。

ギリギリと肩に食い込むリュックの肩掛けだけに神経が集中し、あいつのリュックのほうが軽いのではないかとくだらないことに八つ当たりしたい気分になる。目指すべき山は遥か彼方に見える。一体あんな遠いところに辿りつけるのだろうかと信じがたい気持ちになり、そんなバカげた山行を計画した人間は誰なんだと先輩を罵りたくなる。

元気な人間は最初は「おぉ」とか「やっほー」などと無駄に体力を消耗する遊びをし、多少のジョークで笑いも起きる。しかしすぐに全員が無口になる。1時間ほどアップダウンを繰り返す。見てはいけないと思いながら顔を上げてしまうと、稜線の彼方に改めてその山の頂が見える。分かってはいても、まったく近づいていない気がして絶望的な気持ちになる。その瞬間、体から一気に体力が抜ける。

そんなときは、下を見るか、横を見るしかない。

歩きながら横を見れば木立は着実に自分の前から後へと過ぎていく。自分が前に向かって進んでいることが分かる。ふと無意識の状態になり、体力の消耗をつかの間忘れる。アリなら一生辿りつけないような距離をすでに歩んでいると、無意味な比較で自分を鼓舞する。無心の状態は長くは続かないが、できるだけ考えることをやめ、前の人間の靴が前後する様子だけに視点を集中し、足を進める。

更に2-3時間も歩けば、いまだ遠方にあることに変わりはないものの、明らかに出発時とは違う角度と大きさで山の頂が見える。ゴールに多少近づいたことを認識できる。

これを繰りかえしているうち、無口な一行は、その山の麓にたどり着く。あとこの登りを登りきれば山頂だ!という先生の声が聞こえ、誰もが小さな歓声を上げる。まだ多少体力の残っている者は、「頑張れ、よし行くぞ!」などと周囲を鼓舞する。この瞬間、ボロボロだった自分の体に突然力がみなぎり、ガンガン登り出す。ほどなくキャンプ地に到着し、みなが荷物を地面に放り出す。

「やったぞー!!」

どんな状況であっても一歩ずつ進んでいれば、かならず到達する。今歩いている道の次の一歩を踏み外さずに確実に踏み、大きな方角を見誤らければ。

レインボーマーク

米国で同姓結婚が合法化されたことを受け、巷にレインボーマークがあふれている。2年ほど前に、NYCでBanana RepublicのLGBT向けのCMを見て衝撃を受けたことを思い出す。この2-3年で世界は一気に変わった。

公序良俗、犯罪につながらない限り、嗜好が差別の原因になってはならない。だからこの流れは人権保護という観点で必然だろうと思う。ただし、結婚が合法になったからといって人の意識がすぐ変わるわけではない。

一方で、これによって、子どもと親の関係は今後どうなっていくのか、家庭とは何なのか?、その辺はまだどう考えていいのか正直よく分からない。だから一概に「良いこと」とは括れない自分がいる。社会の仕組み、自分たち自身も、本当に自分たちが主張している概念の進化に追いついているのだろうか?むしろこれから考えていくべきことが沢山あるように感じる。ここは新しい人類の試みのスタートラインに過ぎず、それをどう社会として本当の意味での意識改革に結びつけていくかはこれからの話し。

いずれにしてもLGBTと呼ばれてきた人たちの存在がますます大きくなり、それが社会全体の通念となり、普通になってきているし、多くの人がそれを歓迎しているという事実がある。この人たちの人口はどんどん増えているようだし、それを考えると、人類は豊かになった結果、子孫を残す、という生物の根源的な欲求と義務から解放されはじめていて、ますます精神的な存在になっているんだろうと思う。これは地球上に生物というものが誕生して以来の進化だし、もしかするとトランスジェンダー型の新しい世代の人類が誕生しつつあるのかもしれない。

ただ、こういう流れはいつも欧米から始まる。抑圧に対する権利。理想像を性急に判断して性急な変化を求める。たまに理解しがたい思想がある。

欧米の人権思想の根本にあるのは、キリスト教が課してきた義務的な人生観、性に対する抑圧、家族価値に対する厳しい規定にある気がしている。彼らは、キリスト教と教会の束縛から逃れるために様々な社会的仕組みを構築して、政教分離して、自由に息が吸える空間を確保してきた。

宗教から逃れるために多くの人が苦しみ、暴力に走り、陰湿で倒錯的な性癖に走ったのが欧米社会。それと比較すれば、日本をはじめとしてアジアはもっとおおらかで、自然な価値観の中で人生や社会を築いてきた歴史があると僕は思っている。いたずらに欧米の価値観を拾うことはとても危険だ。

アジアはアジアのスピードで実感して、自然と感じることだけを拾えばいいと思う。

「コミュニティ」の前提とソーシャル

インターネットが出てきてから、ありとあらゆる形の「コミュニティ」サービスが誕生してきては衰退するというサイクルを繰り返している。

なぜ衰退を繰り返すのかなと考えていたら、ふと、コミュニティ作り、の考えの潜在意識の中の前提が間違っていたような気がしたので書いておく。

「コミュニティ」という言葉はもはやそれ自体が正義のワードとなっていて、もちろんその実態はとても曖昧な言葉ではあるけれど、「コミュニティ」という言葉には独特の=それができたら面白いよね、という引きがあり、「わたしはコミュニティを作りたい」というだけで正しい方向に向かっている気をおこさせてしまうので、これからも延々とこの文脈を標榜するサービスは出てくる気がする。もちろん自分もネット業界に入ってこのかた、メディア作りにおいてはコミュニティを意識しないことは無い。

ネットを離れて考えてみると、身の回りにはありと意識せずともあらゆる形のコミュニティがあって、それらは当たり前のように勝手に押し寄せてくる。家に住めばご近所さんが出来る。学校に子どもを通わせれば学校付き合いがでる。自分は下町に住んでいるがそこにはそこには町会がある。地域活動をはじめればそこにもチームができる。これらはすべてコミュニティであってその瞬間瞬間ではなにしろ時間を使って生で向き合うものなので、結構濃い付き合いのものとなる。

にもかかわらず、コミュニティはある時期が過ぎると突然活動レベルが落ち、消えてなくなってしまうものも多い。ママさんネットワークなんかはその最たるもので、まるで一生のお付き合いになるかのようにお付き合いしているのに、子どもが卒業すればスッと消滅する。たまに理解不能になるぐらいだ。

考えてみると、つまりコミュニティというものは、そもそも人間というのは欲求の塊で、本質的には複数の人が集まれば自然と争いを起こしてしまう生き物なのであって、そうならないようにお互いにうまく生きていき、自分と家族を守るための自然発生的な知恵なのだなということに思い当たる。それは実は、コミュニティという甘い言葉とは裏腹にとても面倒な存在だということになる。だから若者は町から出ていきたくなるわけで。

それが本当の酸いも甘いも吸収した上で、互いの生き様もある程度知り尽くした中で、「まあお互いがんばってきたね」ということを自然に思えるようになるには、コミュニティの活動が3-40年ぐらいの長い年月を経てホソボソと続いていく中で熟成されてくるものなのだろうと、身の回りの下町の生活を見ていると感じる。

そう考えると、核家族化する社会の中でコミュニティに対するノスタルジーな部分がクローズアップされる傾向の強いネット上のコミュニティが常に栄枯盛衰をたどる運命なのも納得できる。つまり、そもそもネット上の向こう側の人とは仲良くする必要が本質的に全く無い。

よく、ネットで争いが起きると「荒れる」という表現が使われるが、ここで、リアルコミュニティであれば、そもそもコミュニティは生きる知恵として存在しているもので、延々と続く(つきまとう)ものなので、仮に荒れても付き合って行かざるをえない。これがネットであれば、「退会」すればおしまい。荒れることは人が付き合いをすれば避けられない性質なので仕方がないが、そこに何の目的と意味があるのか、がネットコミュニティには存在しない。

ネット上でコミュニティを作る努力をする場合、どうしてもサービス運営側は「お付き合い上手の理想の人たちのあつまりの中から集合知が生まれてみんなでそれを高め合って延々と続いて。。」みたいな絵を描きがちだ。

実際にはネットコミュニティはリアル社会ではどうしても発生する葛藤のはけ口になりがちで、「たまたま同じ場所に住んでいる人ではない、理解してくれる好きな人とだけ付き合いたい」という目的で必至に場を探している。つまりノスタルジーの中で描かれる理想のコミュニティ=リアルの付き合いの中から熟成されていくもの、とはそもそも違うものを人は探してネットのコミュニティに来ているのだという前提に立ったほうが答えに近いのではないかと思う。

そう考えると、短絡的かもしれないけど理想の密なコミュニティを作ろうとしたmixiが、もっとドライで疎な誰でもデビュー可能な社交界としてのソーシャルネットワークであるFacebookにあっけなく負けたのも理解できるし、逆に誰にたいしてもコミュニティにおける一員としての自分を見せることを強要されるような感覚がFacebook離れを生むのも理解できる。あれは、あまりうざくない程度にネットワーキングされたマイクロブログの集合体なのだ。

自民党憲法改正草案(平成24年4月27日)の要点を整理してみた

池上彰さんの「池上彰の憲法入門」を読んで、自民党の憲法改正案を知っておかなければと思い、早速、改正案を読んで、自分なりに気になった点を整理してみた。

自民党は今後も政権を長く務めるだろうし、彼らが目指す世界は限りなくこの草案の中に盛り込まれているはずなので、読んだことの無い人も是非読んでおいたほうがいいと思う。

自民党憲法改正草案(平成24.4.27)

・前文:伝統や歴史があること、それらへの誇りや尊重と継承が憲法の目的として新たに強調される。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないように」というくだりは削除されている。

・第1条:天皇は単なる象徴ではなく、日本の「元首」だと明記される

・第3条:国旗と国歌が明確になり、それへの「尊重」が国民に求められる

・第9条の1、2項:自衛権の行使は認められる。

・第9条の2:自衛隊は国防軍に変わる。

・第9条の2、5項:国防軍は独自の「裁判所」を持つ。

・第9条の3:領土の保全は国の義務となる

・第12条:自由と権利には公益に反しない「責任と義務が伴う」ことを自覚した行動が国民に求められる

・第21条の2:「公益」を害する活動、結社は表現の自由の対象外となり、禁止される

・第24条:「家族は互いに助け合うこと」が国民の責務になる

・第25条の2:国が「良好な環境」を提供するために「国民が協力すること」が義務になる

・第25条の3:在外国民の保護に努めることは国の義務になる

・第56条:議員の1/3の出席で議決ができる(↔過半数)

・第63条:大臣は議会から答弁を求められても欠席して良い場合がある

・第83条の2:「健全」な財政を維持することは国の責務として明記される。

・第92条の2:地方自治の公平な負担は住民の「義務」になる

・第92条の3:国と地方自治体は「協力しあうこと」が求められる

・第99条:「緊急事態」が宣言されたときには国民は国の指示に従うことが必要になる

・第100条:憲法改正は両議院の「過半数」の賛成で国民投票にかけることができ、「投票者の過半数」の賛成で成立する

・第102条:「憲法を尊重」することが国民の義務になる

良いか悪いかは実際の運用に依ることになるが、全体的に伝統的と言われる価値観の尊重や、国が進めることへの協力を地方や国民に対して求める項目が増えている。

また、戦争を引き起こした当事者だったのでその反省の中から憲法を作った、という考え方は、消えてしまったように見えなくもない。

追加されたり修正された理由がよく分からない条項もいくつかある。突然現れた必要性の低そうな条文で、背後にある各省の思惑を感じるものもある。

中身についてはこれを機に政治の流れも見ながら考えてみたいと思う。

ただ、自民党がいろいろな人の意見を取りまとる困難な作業を完遂し、具体的な改正案を作ったこと自体は、政治的リスクを踏まえてもやるという明確な意図を感じるし、それが政治だと思うので、素晴らしいことだと思う。

100年単位での都市開発と人の記憶

神戸ポートアイランド-ホテル付近空き地

神戸ポートアイランド-ホテル付近

自分の実家は神戸のポートアイランドにある。

ポートアイランドは、高度成長期に神戸市が可住地域の拡大を求めて計画し、80年代に完成した海上の人工島であり、東京のお台場などを含むその後のあらゆる日本の人工島/海上都市計画の模範となった場所である。当時、神戸市の大事業は、「山から海へ」ともてはやされたとされている、

1981年にはそのオープニングセレモニーとして「ポートピア博覧会」が開催され、海上に建設された当時としては圧倒的にモダンな高層マンション群には大量の住民がなだれこんだ。ポートアイランドには島内を巡る最先端の無人列車が走り、ポートアイランドの埠頭に建設された当時世界最大級のコンテナターミナルにはいくつもの巨大ガントリークレーンが設置されて大量の海上物流を支えた。その頃神戸市は絶頂期だった。

それだけではない。ポートアイランドに建てられた住環境と一体になった商業施設、よく設計された遊びやすい広大な公園、ヨーロッパなどの先端教育事情を学んだ校長を迎え、開放的な作りを取り入れた学校施設など、ソフト面でもポートアイランドは当時の最先端をいっており、それはおそらく、日本人にとって当時憧れだった「欧米風ライフスタイル」を体現した住環境だった。

その後、神戸市はポートアイランドよりも更に広大な敷地を持つ「六甲アイランド」を完成させ、それだけでもまだ足りないとばかりに1987年には「ポートアイランド二期工事」を開始する。完成したのは2005年。

いま、ポートアイランドは竣工後30年以上が過ぎ、高齢化が進んでいる。人口もピーク時より減少に転じ、第1期工事区内にあった島内の商業店舗はその大半が閉鎖され、閑古鳥が鳴いている。大規模な商業施設としては今はダイエーが1軒、細々と営業を続けているだけだ。

ポートアイランド2期工事によって拡張された区域に関しては開業当初から惨憺たる有様となっており、膨大な空き地が広がっている。2期工事区域だけでなく、その沖合にある神戸空港の敷地も含め、資産処理に困った神戸市が実績作りのためだけに土地を叩き売っているが、それでもまるでテナントが入らない状況がもう10年以上続いているのが現状だ。

先端医療研究都市という標語を掲げる一方で、すぐ横にある旧「神戸市民病院」は、メンテナンスも滞って民間に売却され、現役の病院でありながらまるで廃墟のような外壁を晒す姿に変わってしまった。

確かに、1995年に発生した阪神大震災は、神戸市の事業計画を大きく狂わせたのは間違いない。復興が必要になっただけでなく、その間に産業や物流拠点としての神戸の役割が失われ、神戸に対する人の憧れも過去のものになった。それでも、今、ポートアイランドに見られる空虚な環境は、地震の災害による影響だけによるものではない。未だにこの土地の店舗閉鎖は続いており、年々空疎化が進んでいる。それは、神戸市の本土地域においてかつてとは違う形とはいえ、復興が進んでいるのとは対照的な状況だ。

今、ポートアイランドにあるのは、誰の帰属意識もない「住んでるだけ」「働いてるだけ」「通学してるだけ」という土地に見える。お金を追い求めて行われた野放図な開発行政の一方で、本来あるべきコミュニティ作りという部分が疎かになり続けた結果が、今のポートアイランドだ。

かつて大量の人がショッピングに訪れ、にぎわったショッピングセンターは閉鎖され、島のシンボルだったホテルの周りは空き地になってしまった。冒頭の写真がその空き地の様子。

なぜこんなことになってしまったのか。

人工島は、行政にとってはビジネスを目的とした土地でしかなく、保護すべき土地としては考慮されていない可能性がある。しかし、そこで育った人間にとっては故郷であり、幼少時の記憶が詰まった土地だ。それが無惨な姿になっているのを実家に帰るたびに見るのは、非常にせつないものがある。

とはいえ、商業施設には栄枯盛衰があり、多少の入れ替えも仕方ない局面もあるのだが、もっとせつないのは、子どものころの記憶と連結したものが消失してしまっているという事実に直面することだ。

南公園

南公園

この写真はポートアイランドのかつての沿海部にあった「南公園」の残骸である。正確にいえばそこは今も南公園なのだが、この写真の手前にあった「ポートピア遊園地」は閉鎖され、代わりに巨大な「IKEA」が立っている。しかしそれよりも悲しいのは、この写真に見える道路だ。この道路は、かつて一続きにつながっていたこの公園を情け容赦なく直線的に分断し、向こう側を広大な野球場に変えてしまった。

かつてこのポートアイランドを設計した人は、島内の全ての公園を実に美しく仕上げていた。この公園にも、斜めにくねった散歩道が整備され、手前に見える青い部分はその終端部に位置し、神戸の海岸線の美しさを示す噴水になっていた。そして、公園からはすぐ南側に広がる海を見ることが出来、カップルやファミリーのくつろぎの場になっていた。

しかし、ポートアイランド二期工事が始まり、南側の海は遥か遠くへと遠のいてしまう。かつて海の波を防いでいた巨大な堤防は単なる陸上の障害物になり、その向こうに土地が延伸された。

本来、海上の景色と一体になってその存在価値を示していたこの公園は、ただの中間地点になり、人通りが途絶えた。公園に隣接していた遊園地も「海が見える」という特徴が失われ、大きく魅力を減らした。二期工事後の土地が全く売れず、土地が余っている様子を覆い隠すように付け刃的に南公園の南側に更に別の公園が作られた結果、公園自体の姿が大きく変容してしまい、施設の密度も無くなり、何のコンセプトも無い野原になった。広すぎる公園に対して適切な管理を施すことが困難となり、草むらはジャングルに変わっていく。更に人口減少と高齢化が始まり、人が来なくなってしまった。

それでも、子どものころ、この公園に学校の遠足で何度も来ていた自分にとってはここは思い出のある土地だった。が、その土地を容赦なく直線で横切る道路に、自分は衝撃を受けた。写真だけではそれは分かりにくいが、そこで育った記憶がある人がそこに立てば分かるはずだ。まるで、幼少時代の自分自身を斧でまっぷたつに断ち切られたような感覚を覚えた。だから、自分は、戦後の混乱の中で壊滅した都市から新しい町を作り上げていく中で大量の記憶を失ってしまった人達のことが想像できる。例え生活の向上が引き換えに実現されたとしても、生きている間に記憶の中にあったものが失われ、何の感傷要素も無く上書きされることはなかなか耐え難いものだ。

このポートアイランドの現状は、都市計画というものがどうあるべきかを、端的に示すものだと思う。

町は、それが町であり続けるためには、常に活力の源である人が流れ込む必要がある。一定の人の密度がなければ町は成り立たない。そして町には、そこに住む古い人、新しい人の双方にとって、常に記憶の拠り所となる「何も変わらないもの」が必要だと思う。それが、文化であり、土地の帰属意識の軸となる。それが無ければ土地に対する愛着は生まれず、土地を育てていこうという気運も生まれない。

この、帰属意識をどう育て、捨て難い記憶にし、伝えていくのか。町の建設計画は常にどういう人の記憶と文化を作っていくのか、ということと一体になっていなければいけない。そこは決して変わってはいけない。20年30年の月日とともに、世代の記憶が積み重ねられ、年が経つほどに増々魅力が増し、また新しい若い世代が育って新たなよりどころにしていけるようなものを作らなければいけない。

これに関連して、日本では、「神社」がその大きな役割を果たすという話しを聞いたことがある。

実際に、新しいニュータウンが建設されたとき、そこに神社を作った場合と、神社が無い場合では、その後の土地の盛衰に大きな影響を及ぼすらしい。神社があれば、土地に対する土着的な愛着と信仰の拠り所になり、祭りも生まれ、大切にしようという気持ちが生まれる。これは、日本人が古来持っていた知恵なのかもしれない。

今度、神戸で地域政党が立ち上がる。

東北の震災はまだ復興の途上。

そして、東京都知事選では、オリンピック「後」についてのケアを求める声があがっていた。

“オリンピックで経済を活性化させるのは良いが、閉幕後の東京もしっかりと考えてもらいたい。壊して、作って、壊しての繰り返しは見たくない。

まさにそう思う。

都市開発計画を建てるあらゆる行政、政治家、建設会社の方には、ぜひ、ポートアイランドの惨状を視察してほしい。そして、あれを繰り返さないようにしてほしい。100年単位で何世代に渡って積み重ねられる人の記憶と文化の育成を、都市計画の中心に据えてほしいと思う。

ワークアンドライフバランスよりワークプロダクティブリィ

photo by a200/a77Wells

photo by a200/a77Wells

海外の人と話していて、日本人は本当によく働くね、と言われた。

よくあることだが、実際には、その裏には「そんなに遅くまで何をしてるのか分からない」というニュアンスが含まれていた。つまり大したアウトプットが出て来ないのになんだかよく働いている、という感じ。

彼が続けて、日本人は私生活のことをどう思ってるんだ、仕事の後に飲みに行く回数もやたらと多いし、と言うので、「日本人は仕事が充実しないと私生活も充実できないことを知ってるんだよ」とちょっと日本人のことを美化して返しておいた。その捉え方はあながち間違っていないとも思うが、実際、日本人がオフィスにいたり会社の人と一緒にいる時間はかなり長いのは事実だと思う。散々残業したあげくに更に飲みに行こうとするのは日本人ぐらいだろう。仕事と私生活の分離も何も、もはやオフィス生活が私生活そのものであり、会社員としての自分が自分の全てに近いのが多くの人にとっての実態ではないかと思う。

自分は、「ハードワーク」は嫌いじゃないし、寧ろ、ハードワークからしか得られないものがあると思っている口なので、近頃の「ワークアンドライフバランス」のような、ワークとライフは別物で天秤にかけられるような錯覚を与える言い方が嫌いだったりするのですが、それでも日本人の仕事の仕方に対して海外の複数の人が疑問を持っているのは事実なので、何がおかしいのかと考えてみると、日本人はWork hardをWork productivelyに置き換えることが必要ではないかと思い当たった。

Productiveに働くには意味のある明確な目的と、それに沿った目標が必要で、それを合い言葉にすると仕事が目的と目標から逆算で設定できるので無駄な仕事が減らしやすい。ProductiveではないのにHardに働こうとすると実際にはそれは出口のない仕事になっているので、みな憂鬱になり、ワークアンドライフなんとかという話しになる。Productiveというのは気持ちの話しではなく、具体的で意味のあるProduct=アウトプットの生産効率のことであり、当然評価にも直結するのでProductiveであれば生活も快適になる。

更に、個々の社員がProductiveに働ける環境にしようとすると、自ずと、事業自体が顧客や社会に対してどういうアウトプットを出したいのかという意思とそのための最低限の戦略、目標設定がなければいけないので、Productiveかどうかを共通の合い言葉にすることは、事業体自体の存在意義とProductivityを見直すことにもつながる。マネジメントにとって、事業自体の存在意義を考え、1人1人がProductiveに働けるように環境を整えることは大変高度で難しい仕事だが、それを放棄していてはマネジメントとして失格なのでそれこそハードに考えぬいて設定しなければならない。

ここまで書いてみて、1つ思い出したことがある。それはある日本の伝統工芸の職人にインタビューをしたときのことだが、その職人は「繊細な細かいところに徹底的にこだわって技を磨くのが職人でしょうか」と聞かれて、「職人ていうのは機械では出来ないレベルの製品を均一な精度でどれだけ沢山量産できるかどうかがが職人の技なんだよ」と回答していた。それは思いもかけない視点だったが、結局高品質の製品を作ることが目的ではなく、より多くの人に高品質な製品を使ってもらうことで多くの人に良さを知ってもらい、それで自分たちも稼ぐことが目的なのであって、ただ単に技を追究したいというナイーブな話しではないということだった。その話しは、正に、Productiveかどうか、という話しに直結するように感じる。高度なProductivityの中に本当の技があるというのは、日本にも元々ある考え方なのかもしれない。よくよく考えて見ると、英語の「Work」は、ただ働くことではなくて、出来上がった作品のことも指すことに思い当たりました。日本人のイメージする「ワーク」と、英語ネイティブの人の「Work」はそもそもニュアンスが異なる可能性が高いですね。

ということで、You work very hard!と自分や他人を褒めるのではなく、You are so productive!と褒める思考を、個人的にもマネジメントとしても、より強く意識していこうと思います。

ステージ

今朝ふと、人生のステージ、自分がやるべきことが変わってきたのかもしれないということを、それはまだ小さなもので、確信とはいいきれないが、今まで一度も感じたことのなかった感覚を、今日初めて感じた。

28で自分が没頭できる分野を見つけ、それから10年。
漸く自分の中の何かが内面で変わりつつあるのかもしれない。

このブログのテーマはten cycles。

自分が今の道を選択する一つのきっかけを与えてくれた人の人生観からいただいたタイトル。

大事なことなので、記録しておこう。