毎日がDay-1

人間関係においては、長い付き合いがあっても、些細な掛け違いや考えの衝突で、突然ガタガタと関係性が崩れることがある。

長く信頼関係を築いてきた人との関係であれば、それまでに費やした自分や相手の時間を考えれば、何故そんなことになったのか、自分が悪かったのだろうかと悩んだりもする。しかし自分が悪いのかと素直に反省モードになれるなら素晴らしいことで、どちらかといえば、どうしても無意識に相手が悪い、今までの信頼関係があるのになぜ理解されないのか、と思いがちだ。

最近そのようなことがあり、冷静になってみると「積み重ねたもの」に無意識に依存している自分があるということに気づいた。

誰だって人間である以上、当然過去の延長線に今がある。しかし気をつけておくべきことは、過去の延長線に今があっても、今は今だということだ。

過去に積み重ねたものは意味がないわけではなく、今がプラスの方向に働いているときにはそれをレバレッジさせる方向に働く。しかし、今が「ゼロ」であれば、どんなに素晴らしい過去があってもそれは全く意味をなさないと考えておいたほうが良く、過去に蓄積したものがあるのだからそれが土台にあるべきだ、という考え方はある種の傲慢なのだ。

つまり、人間関係においては、以下の式が成り立つように思う。

関係値スコア=「今の関係」x「過去に累積した関係の積み重ね」

今の関係が「ゼロ」であれば、どんな過去の積み重ねがあってもスコアは「ゼロ」だし、仮に今の関係がマイナスであれば、寧ろ過去の積み重ねが逆方向の失望として表れ、マイナス度を上げてしまう。

だから、どれだけ素晴らしい時間を築いたとしても、今日という日が終わればまたそれらはリセットされ、明日はまた新しく真摯に向き合わなければならない、ということになるし、そう思っておけば、今この時間を大切にしつつ、過去の経験もプラスに活かし、更に信頼関係を積み重ねていくチャンスを増やし、無駄に自分自身や他人に失望することを無くせるのではないだろうか。

Amazonの創業者ジェフ・ベゾスが掲げた「Day-1」の思想は、ビジネスだけでなく、人間関係においても同じなんだなと思った次第である。

これからは日常の中で常にDay-1を意識していきたい。

日本のコロナ専門病床の病床利用率を劇的に低下させるには?簡易予算シミュレーションと考察

日本のまんぼうなどのコロナ関連政策の発動基準はコロナ対応可能な病床の利用率が基準になっていて、大阪などは50%に迫る状況、東京も21%となっています(1/22段階 NHKまとめ)。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/hospital/

これはあくまでも%の話。

実数はどうかというと大阪は1084床/3734床、東京は1793床/6919床です。なので、社会的なロックダウンを避けるには、病床使用率を下げればよいので、東京や大阪に3000床規模の専門病床を増設すれば感染者数が今の5倍ぐらいになってもほぼ問題ないという極めて簡単な構図が浮かび上がります。

さて、これにはどれぐらいの予算が必要なのでしょう?

サラッと調べたところ大体300床ぐらいの病院を設立すると建設費は70億円ぐらいのようです。

https://gemmed.ghc-j.com/?p=42150

なので単純計算だと郊外に3000床程度の超大型病院を作っても700億円程度で建設できる可能性が高い。でも、これは通常の多機能型の病院です。コロナ専門病棟ならもっと安くできますよね。

イギリスではナイチンゲール病院と呼ばれる専門病院を全国で複数建設していてその規模はロンドンに建設されたものだけで4000床というもの。東京もこれ1つで病床キャパがほぼ2倍になるということです。イギリス政府が組んだ仮設病院用の予算はたったの300億円(!)激安です。

https://diamond.jp/articles/-/278599?page=2

一方日本では政府の監督を効かせやすいであろう公立病院が不採算で減り続けており、ここ10年で病床数でいえば20000床減っている。つまり日本でも増やそうと思えば物理的には20000床程度は増やせる余地があるということになる。後は人の確保ができるかどうかですが。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000742388.pdf

こう考えると、主要都市や地方の中心となる東京都、埼玉県、神奈川県、大阪府、福岡県、宮城県、北海道など10都道府県に3000床クラスのコロナ専門病棟を作れば、イギリスの事例を考えればおそらく2000-3000億円もあれば30000床増やして簡単に病床利用率を減らすことができそうですね。民間病院の一般患者受入キャパも大幅に上がりそうですし。

そんな中、厚生労働省が組んだ令和3年度補正予算はコロナ関連で約8.5兆円!!

散々予算使いまくってきたあげくの補正予算だけでこの金額です。日本の国家予算は100兆円だから10%近い金額を注ごうとしている。大変なことです。でも、その内訳を見ると、病床確保などの施策は一切無いんですよねー

https://hojyokin-portal.jp/columns/korosho_hosei_r3

(以下上記リンク先記事より引用)

新型コロナウイルス感染症の拡大防止【8兆1,832億円】

1. 医療提供体制の確保等
・新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金等による支援:2兆1,033億円
・医療用物資等の確保等:467億円
・ワクチン接種体制の確保等:1兆3,879億円
・治療薬の実用化支援・供給確保等:6,075億円
・行政検査の実施等の感染拡大防止対策:1,972億円
・児童福祉施設等における感染症対策への支援:181億円

2. 感染症の影響により厳しい状況にある方々の事業や生活・暮らしの支援
・雇用調整助成金等による雇用維持の取組への支援:1兆854億円
・雇用保険財政の安定等:2兆1,611億円
・小学校等臨時休業等に伴う保護者の休暇取得支援:55億円
・個人向け緊急小口資金の特例貸付等の各種支援の実施:5,621億円
・生活困窮者・ひきこもり支援体制、自殺防止対策、孤独・孤立対策の強化等:66億円
・通いの場をはじめとする介護予防や施設での面会等の再開・推進の支援:4.1億円
・生産活動が停滞している就労系障害福祉サービス事業所への支援:6.5億円
・生活衛生関係営業者への経営に関する相談等支援:2.0億円
・国民健康保険・介護保険等への財政支援:273億円

「ウィズコロナ」下での社会経済活動の再開と次なる危機への備え【3,803億円】

1.安全・安心を確保した社会経済活動の再開
・検疫におけるワクチン接種証明書の電子化への対応:9,700万円
・障害福祉サービス事業所等に対するサービス継続支援:36億円
・イベントの実施等による生活衛生関係営業の消費喚起:4.2億円
・新型コロナウイルス感染症に対応した心のケア支援:5,100万円

2.感染症有事対応の抜本的強化
・新興感染症の治療薬等に関する研究開発等の推進:145億円
・新型コロナウイルスワクチン開発支援等:2,562億円
・プレパンデミックワクチンの備蓄等様々な感染症対策の充実・強化:48億円
・国立感染症研究所等の体制強化:14億円
・機動的な水際対策の推進、入国者の健康確認の体制確保:788億円
・国際機関と連携した国際的な研究開発等の推進:5.0億円

水道の水を止めておいて、一方で税金を使って政府が直接水を配る施策って、それはなんら抜本的な政策じゃないですね!水道の水を止めた原因のほうを解消させるのが普通だと思いますが。。

効果のないワクチンや心のケアとか休業支援とか、そんなことより病床増やせばいいと思うんですけど、日本の政治はコスパよりもコロナを機に大量の予算を使うことを重視しているんでしょうか?

無駄な公共工事はつまらないネタでも徹底的に叩くけど国家予算の10%にも相当する大規模な医療予算の無駄使いを叩かない野党は一体何をしてるんでしょうか??

日本の政策決定プロセスは一体どうなってるんでしょうね。本当に意味不明です。

情報流通の逆転とサイクルマーケティング

例えば美味しいパン屋はいくらでもある。そんな中である店を経営している人と知り合いになり、その気持ちを知って共感する。そうするともう他で買う気はなくなる。それがエンゲージされた状態。

情報の誕生、成長、流通、出口まで、時系列に揃い、その一つ一つのプロセスが全て信頼する人の手を介して伝えられることで初めて完璧なメッセージになる。情報は、6人を介すると世界中の全員に届くということが実験で証明されていることを考えれば、最初の1人に正しく相対することのレバレッジ効果は機械的に配信される企業のマス広告を遥かに上回る。それは商品開発の段階、種を見つけるときのコミュニケーションからスタートしている。

コンテンツは意図せず広告になり、広告フォーマットはコンテンツ化する。純粋コンテンツと広告の垣根は無くなり続ける。情報の流通は、完全にマスからピン対ピンになリ続ける。流通した情報の質は、実体験だけでなくその拡散によって検証され続ける。

マス情報の流通の縮小と反比例して広告倫理的に重要になるのは発信者のアイデンティティが個人レベルで明らかであって、誰のクレジットで発信されているのかということではないだろうか。

あらゆるハードがオンライン上のエレメントとなり、AIがコンテンツすら自在に作る世の中は、好まなくても確実に実現するだろう。情報が誰の手を経てどう流れてきたかもトレースできること。これによって情報の信頼性を担保すること。これがオンライン社会で大きなテーマになるかもしれない。

チームラボ・猪子氏が語る、「やりたいこと」を見つけるたったひとつの方法

やりたいことがみつからなくてもいい。

「やりたいことなんか見つからないですよ。見つからない、見つからない! 時代とともに必要なスキルってすごい勢いで変わっていくわけです。新しい時代で必要なスキルを学校が若い子に教育してくれたら、古い人たちはその新しいスキルを持ってないから(若い子が)必要がられるんですよ。

そうすると適当な感じでも「やってやって」みたいな感じで仕事がいっぱい貰えるし、就職も受かるし。そのうちに社会に必要とされているから何か嬉しくなってきて、もう少しやろうかっていう感じで「この仕事もいいかな」と思ってくるっていう。何が言いたいかわからなくなってきたけど。」(logmiより

古い記事だが猪子さん、いいことを言うなと思う。

ずっと、自分はやりたいことがたくさんあるし、やれることもたくさんあると思ってきた。でも、いくつかサービス立ち上げたり、起業してみたり。でも、段々と自信がついてきたら、いつの間にかそれは単なるエゴになっていた。

やりたいことをやれば、はキレイ事。

やりたいことが明確な人はそれだけで幸せなこと。分かっていてもやらないなら何か理由があるか、実はやる気がない。

普通は突き詰めれば突き詰めるほど何も見つからなくて悶々とするわけで。だからこそ、無駄に理由を探して時間を過ごすよりも、行動して、身の回りに波を作り出してみたほうがいい。

それでも、そんなことは分かっていても、時には時間が必要なこともある。分かっていても、理由を探したくなるからこそ人間なのであって責めることはできないなと思う。

でも、生きがいというものは、人との関わりの中からしか生まれてこないものだし、自分が切り拓いたように見える道も、全て、両親を含め、誰かとの関わりの中で自然と背中を押され、自分が役に立てたという感覚があり、そういった繰り返しの中で無意識に創りだされ、歩みだしていったものだということは言えると思う。

結局のところ、人は、テロリストでさえ、誰かの役に立たないと感じることはできない生き物で、何かを成し遂げたい、という欲望は全て最終的にそこに回帰している。それって本当に人間の根幹にあるもので、AI時代、ロボット時代でもロボットと人間の大事な差になるのかもしれない。

参照元:http://logmi.jp/9198(チームラボ・猪子氏が語る、「やりたいこと」を見つけるたったひとつの方法)

山登りの記憶。

高校時代は、自分は山岳部だった。1年の夏に行った北アルプス遠征の苦しさ、達成感は今でも記憶に残っている。

キャンプ地の朝は早い。朝4時には起きる。夕暮れが来る前に次の目的地に着かなければいけないからだ。

まだ暗いうちに火を起こし、みなが無言で手早く朝食を済ませる。

早朝5時にキャンプ地を出発し、30kgの荷物を担いで10時間の行程の一歩目を踏み出す。荷物は肩にずっしりとぶら下がり、気分の高揚などは一切ない。

ギリギリと肩に食い込むリュックの肩掛けだけに神経が集中し、あいつのリュックのほうが軽いのではないかとくだらないことに八つ当たりしたい気分になる。目指すべき山は遥か彼方に見える。一体あんな遠いところに辿りつけるのだろうかと信じがたい気持ちになり、そんなバカげた山行を計画した人間は誰なんだと先輩を罵りたくなる。

元気な人間は最初は「おぉ」とか「やっほー」などと無駄に体力を消耗する遊びをし、多少のジョークで笑いも起きる。しかしすぐに全員が無口になる。1時間ほどアップダウンを繰り返す。見てはいけないと思いながら顔を上げてしまうと、稜線の彼方に改めてその山の頂が見える。分かってはいても、まったく近づいていない気がして絶望的な気持ちになる。その瞬間、体から一気に体力が抜ける。

そんなときは、下を見るか、横を見るしかない。

歩きながら横を見れば木立は着実に自分の前から後へと過ぎていく。自分が前に向かって進んでいることが分かる。ふと無意識の状態になり、体力の消耗をつかの間忘れる。アリなら一生辿りつけないような距離をすでに歩んでいると、無意味な比較で自分を鼓舞する。無心の状態は長くは続かないが、できるだけ考えることをやめ、前の人間の靴が前後する様子だけに視点を集中し、足を進める。

更に2-3時間も歩けば、いまだ遠方にあることに変わりはないものの、明らかに出発時とは違う角度と大きさで山の頂が見える。ゴールに多少近づいたことを認識できる。

これを繰りかえしているうち、無口な一行は、その山の麓にたどり着く。あとこの登りを登りきれば山頂だ!という先生の声が聞こえ、誰もが小さな歓声を上げる。まだ多少体力の残っている者は、「頑張れ、よし行くぞ!」などと周囲を鼓舞する。この瞬間、ボロボロだった自分の体に突然力がみなぎり、ガンガン登り出す。ほどなくキャンプ地に到着し、みなが荷物を地面に放り出す。

「やったぞー!!」

どんな状況であっても一歩ずつ進んでいれば、かならず到達する。今歩いている道の次の一歩を踏み外さずに確実に踏み、大きな方角を見誤らければ。

投資するということ。

3年前に僕は会社を作る、という選択を行い、そして失敗した。今、3期目の決算をしているが、おそらく、この会社の決算業務を行うのは今年が最後になるだろう。

失敗から学ぶことは多いというが、事業をたたむことになってから5ヶ月、まさに今、この3年あまりの間に繰り返してきた数々の失敗の意味を振り返ることができる自分がいる。

実を言うと、起業をするその直前まで、自分は起業ということをまともに自分事として捉えたことがなく、会社員としての人生が自分の人生だと何の疑いもなく考えていた。もっと厳密に言えば、起業してからもまだ自分事として捉えられていなかったというのが真実であり、失敗して初めてそのことを理解している。

会社を失敗させ、関係者、特に何人かの共同創業者の人生の1-2年を無駄に過ごさせてしまったという取り返しのつかない悔恨。妻と2人で築いた資産を大いに減らし、妻に不安な思いを抱かせるだけで何も返せなかった自分。自分は何の価値もない人間なのではないかという絶望に繰り返し襲われる日々。多分そんな日々はこれからも続くのだと思う。しかし、不思議なことに、そんな中で漸く起業する、ということの本当の価値、意義がうっすらと見えてきたように感じている。実際に起業しているときには不安しか感じなかったことに対して、また次の機会があればチャレンジしてみたいとも感じている自分がいる。ただし、自分という人間の本分、役割がより明確に解った今、仮にそのようなチャンスがあっても形も、入り方も、3年前とは違うことになると思うが。

失敗した人間に語る資格は無いが、これは未来の自分に対する戒め、アドバイスとして書き留めておきたい。

起業とは投資である。自分が持つ理想に対する投資であり、それは同時に社会が発展を続けていくという社会全体の期待に対する投資である。誰かに投資してもらうものではなく、自分が投資するものだ。

だからこそ起業家は頑張れるのであり、信じるものを広げられるのであり、その先には必ず誰かの役に立てる未来があると信じられるのであり、それに対して共感する仲間が集まれるのであり、みなで苦しい時を耐え、達成の喜びを分かちあえるものだ。

人にはそれぞれ関心事があり、それに応じて様々な起業の形があると思う。だが、自分は情熱を注げると感じられるだけのミッションを感じなければ動けないタイプの人間だ。

だが、理想はあれば叶うものではない。むしろ最初から徹底的につまづくもの。それは最初から覚悟して、常に大きな時間軸の中でのパルスだと捉え、長期的に着実に歩みを進めていく覚悟で望まなければならない。理想の達成はそんなに簡単なはずがなく、顧客の利益を考え、社会の利益を考えれば、理想を追うことは永遠に続くのであって、立ち止まる瞬間があるわけがないから。

自分の欠点は、サラリーマン根性が染み付いた結果、常にせいぜい2-3年程度のスパンでしか物事を考えていなかったということだ。実際は、本物の事業であれば100年単位、少なくとも10年スパンで考える必要がある。それが、顧客に対する責任というものであり、自分が信じる「誰かのため」には「それを提供し続ける」という責任が伴うことをリアリティをもって考えなければならない。イノベーションは、いつまでもイノベーションであってはならない。最後にはコモディティになるべきものなのだ。

振り返れば、ある会社の海外向け事業子会社をやったとき、不思議なほどに良い仲間が集まってきた。いい人だと思えば情熱を持って口説いたし、説得に失敗したことが無かった。会社は常に赤字で、傍から見れば厳しい事業だったが、自分自身は事業の将来性に対する確固とした見通しを持っていた。唯一懸念していたことは、その事業の見通しについての肌感を持てる人間が自分しかいないことが分かっていた中、適切な投資を適切なタイミングで実行できるように、経営層を説得し続けられるだろうか、という内部営業の部分だけであり、チーム内部からも不安が何度もあがってきていたが、対外的に最終的に成功するというイメージがそれによって揺らぐことはまるでなかった。

この数年、自分はあの時のうまくいっていたときのイメージを、単に自分は失敗を知らず、恐れを知らなかったためだと解釈していた。しかし、本当はそうではないことを最近思い出した。本当は、あのときの自分を迷いなく走らせていたのは、その子会社を設立したときに持っていた経営理念だったのだ。

海外向け事業を始めるにあたり、まずマーケットを知ろうということで自分は各国の事前調査を行う出張をした。表向きの理由は市場感を知る、ということだったが、実は内心、当時既に国内外で何社も同じ事業で先行している会社がある中で、周回遅れで二番煎じな事業を始めることに大きな不安を感じていた。もともと商社出身でその海外展開の事例をいくつか見てきていた自分は、単に日本企業が現地企業と単なるシェア争いを繰り広げるような事業はやりたくなかったのだ。その思いは、出張を重ねるたびに強くなっていった。どこにいっても先駆者の存在があったからだ。

あるきっかけがあり、その気持ちがふっとかき消えた。それは、ソウルで「東横イン」を見たときだった。

東横インは、日本とほぼ変わらないあの箱舟のようなホテルを韓国で展開していた。韓国にも普通にありそうな格安ビジネスホテルが、海外展開することの意義を感じられなかった自分がそこに宿泊してみると、ホテルの部屋には、日本から持ち込んだ日本のままのあのコンパクトながら機能的で便利な部屋があり、そしてその快適さをぜひ味わってほしいという、ホテル側の思いが書かれたチラシが置いてあった。それを見て、自分の思いが急激にまとまったのを今も鮮明に覚えている。

一言で言えば、他社がどうだから、ということはどうでも良くなった。それよりも、日本で培ったノウハウを活かして、自分たちのサービスの利用者、顧客だけを見て、その人たちに対して最高の価値をもたらすものを提供することだけにフォーカスしようと思ったのだ。その当時の先行他社のサービスが、決して最高とは言えないことは明らかだった。

その結果できあがったのが、「Empower people, empower Asia」という、事業そのものとは一見まるで関係のないミッション・ステートメントだった。だが、自分にはこれこそがその事業を行う意味だった。僕達は、ただそこにマーケットがあるから事業をスタートするんじゃない。新しい価値を作って、アジアの人たちのため、アジアの発展のためにこの事業をやるのだという意味をこのメッセージに込めた。

その結果、全ての事業運営の軸にある理想は、このキーワードになった。このキーワードのもとにサービスを運営し、このキーワードのもとにチームを採用し、キーワードを体現するために必要な運営を行った。迷いが出てきたときにはここに立ち返ってメッセージを出した。このキーワードのもとに自分たちの意義を発信した。その時、取るに足らない小さなチームだったけど、自分たちのチームは業界で最高のチームだし、これからも発展していくという確信があった。中心にあった概念は「愛」だった。チームに対して愛をもち、ビジネスに対して愛を持ち、利用者に対して愛を持つ。これこそが、当時の自分を、足元の収益性がなかなか伴わない中で突っ走らせた土台にあったものだし、優秀なメンバーが入ってくれた源泉だったのだ。ただ、残念ながら、当時の自分には、投資の概念が決定的に欠けていた。自分が投資しているのだ、という考えがなかった。もともとこの事業をスタートしたいと考えたのは経営陣であり、会社が投資しているのだと思っていた。

問題が発生し、自分の愛情をかけて育てた子会社から自分が去らざるを得なくなったとき、自分の中身は空っぽになり、人生を賭けたものが奪われた怒りで気持ちは充満し、無気力になった。

次のやり甲斐を見つけなければいけないことは分かっていたが、人間、自分を賭けるべき大きなミッションをそう簡単に見つけられるものではない。会社からは次の機会を提示されたが、全くやる気が起きず、尊敬する知りあいの会社に転職した。

その時は新しい価値を提供するし、自分にはできると思っていたが、それは時期尚早だった。目標感を失った空っぽの器に子会社の社長をやっていたという無駄なプライドだけが残り、すぐに状況は悪化した。自分で会社をやりたいという考えが急浮上した。それは今思えば単なる逃げだった。起業することの本当の意味を理解しないまま、「金銭的に今なら可能である」「他にやりたいことがない」ということを主な理由として起業した。もちろん、それは考えぬいた上での自分に対する投資ではなかった。強いて言うなら、見返したいという気持ちはあったが、怒りや恨みに基づく感情がビジネスに良く働かないことぐらいは分かっていたから、それをモチベーションにすることは出来なかった。にも関わらず、古巣に対する意識は常に自分を蝕んでいた。

スタートが良くなくて成功するわけがない。形だけを整えてみても、以前とはうってかわり、組織モーメンタムを感じることもないまま、3年が終わった。

他にも沢山の理由がある。自分自身の適性というものもこの3年間、よく理解できた。でもそれは原点、自分がもともと認識していた自分への認識に戻ったというのに近い。

「投資」ということが何なのか。それは単なる博打ではないし、手堅くわかりきったことをやるということでもなく、ただ勢いで散剤することでもない。自分と、他人と、社会にとっての新しい価値の実現に向けて、資金とかけがいのない時間を費やすことだということ、その実現に継続してコミットすることが投資であり、それがビジネスそのものなんだということ。それは起業していても、会社員としてであっても、全く変わらず同じことなんだということ。

友人と、パートナーと、家族の、失われた3年間に対して返済していかなければいけないこれからの自分への、忘れてはならない戒めとして。そして、もしかして同じような状況で起業を考えているかもしれない誰かのために。

レインボーマーク

米国で同姓結婚が合法化されたことを受け、巷にレインボーマークがあふれている。2年ほど前に、NYCでBanana RepublicのLGBT向けのCMを見て衝撃を受けたことを思い出す。この2-3年で世界は一気に変わった。

公序良俗、犯罪につながらない限り、嗜好が差別の原因になってはならない。だからこの流れは人権保護という観点で必然だろうと思う。ただし、結婚が合法になったからといって人の意識がすぐ変わるわけではない。

一方で、これによって、子どもと親の関係は今後どうなっていくのか、家庭とは何なのか?、その辺はまだどう考えていいのか正直よく分からない。だから一概に「良いこと」とは括れない自分がいる。社会の仕組み、自分たち自身も、本当に自分たちが主張している概念の進化に追いついているのだろうか?むしろこれから考えていくべきことが沢山あるように感じる。ここは新しい人類の試みのスタートラインに過ぎず、それをどう社会として本当の意味での意識改革に結びつけていくかはこれからの話し。

いずれにしてもLGBTと呼ばれてきた人たちの存在がますます大きくなり、それが社会全体の通念となり、普通になってきているし、多くの人がそれを歓迎しているという事実がある。この人たちの人口はどんどん増えているようだし、それを考えると、人類は豊かになった結果、子孫を残す、という生物の根源的な欲求と義務から解放されはじめていて、ますます精神的な存在になっているんだろうと思う。これは地球上に生物というものが誕生して以来の進化だし、もしかするとトランスジェンダー型の新しい世代の人類が誕生しつつあるのかもしれない。

ただ、こういう流れはいつも欧米から始まる。抑圧に対する権利。理想像を性急に判断して性急な変化を求める。たまに理解しがたい思想がある。

欧米の人権思想の根本にあるのは、キリスト教が課してきた義務的な人生観、性に対する抑圧、家族価値に対する厳しい規定にある気がしている。彼らは、キリスト教と教会の束縛から逃れるために様々な社会的仕組みを構築して、政教分離して、自由に息が吸える空間を確保してきた。

宗教から逃れるために多くの人が苦しみ、暴力に走り、陰湿で倒錯的な性癖に走ったのが欧米社会。それと比較すれば、日本をはじめとしてアジアはもっとおおらかで、自然な価値観の中で人生や社会を築いてきた歴史があると僕は思っている。いたずらに欧米の価値観を拾うことはとても危険だ。

アジアはアジアのスピードで実感して、自然と感じることだけを拾えばいいと思う。

Stop fighting for the fight. Stop exporting of the weapons.

Yesterday was a national holiday of Japan celebrating the promulgation of our constitution in 1947.

No single word of the constitution has been changed or modified since then. It is a big body of the spirit of Japan where law prevails. No matter how the foreigners imagine about Japan and its past, Japan has declared its eternal abandonment of its right to fight with other countries by the armed force, and all the post-war generations has been taught the constitution is the country’s pride. The first draft was created by a team of US officers from GHQ, but its spirit is shared and accepted among Japanese as our standard language.

In 1950, Korean war broke out and the same US-lead GHQ ordered Japanese government to re-build its army. It was the beginning of the hard time for the Japanese government as the constitution was kept unchanged. While it clearly says we do not rely on any kind of military power, the reality implies it is a childish dream.

The existence of the Japanese military (or self-defence force,,) has been a good resource for China and Korea to show conflicts that they produce by themselves and unite their nations against the “enemy”. They keep sending hostile words to Japan while they keep receiving ODAs and other forms of financial assistances from Japan.

Even in a domestic political scene, the self-defence force has been a super-nice political agenda for the left-wing parties and the debate about its lawfulness has stopped our congress many times.

Now, our PM is trying to change the the country’s direction more clearly towards the so called “standard” nations. He thinks Japan should coop more positively with the global society for the peace which may include a military effort. I can understand his concern, and share a view that Japan must be a “positive” player for driving a peace.

However, here is my big question: “why don’t we Japan put more efforts on terminating the weapon exporting?”

We have to acknowledge the fact that almost every weapon exported to the developing world are manufactured by the permanent members of the UN Security Council. They are pretending they are fighting for the peace, it could be true, but why don’t they stop exporting the weapons? It will cease fires automatically as those weapon-importing countries usually have no weapon production facilities or have no ability to maintain it.

See this chart > US and Russia remain world’s biggest arms exporters – study

Japan must watch carefully on what is going on underneath. We are not fighting for a benefit of any specific country. We must fight for the better future where no war can happen as it is said in our constitution. It is how we can show our respect to the soldiers who lost their lives during WW2.

地域活動をする理由

「お金にもならない地域活動の、何が楽しいんですか?」

ここのところ短い間に、どういうわけか何度か同じ質問を投げられています。

旅行をしたり出張したりして他の土地にいくと、その土地に対する印象というものは面白いほどに先入観や、最初に出会った人の印象によって左右されることに気づきます。

「あぁ楽しそうだな」「何が待っているだろう」なんて思いながら行けば、どんな土地や景色の中からも、良い部分や新しい価値観、親切で優しい人たちを探しだしてきてはそれを楽しんでそこに同化していこうとする自分がいるし、「あぁあそこ行きたくないな」「何もなさそうな町だな」と思えば、何を見ても新鮮に見えないし、住んでいる人も無機質な他人としか捉えず、土地の慣習だってくだらない因習としか捉えられず、そこに流れる空気から遮断された自分がいるものです。

自分の親もそうでした。関西出身の親は東京に住みたいと思っていたのに、実際に転勤で東京に来たときに住んだのは浦安でした。そうなると、浦安の良いところを楽しもうという姿勢にはならず、「なぜ千葉県なんかに住まないといけないのか。早く都内に引っ越したいものだ」という思いをつねに胸にかかえながら日々の生活を送ることになり、どうしたっていいことにはなりません。

自分は今は荒川区に住んでいるけど、ここも同じ。「荒川区みたいな柄の悪い下町に住んでいるけど、できれば台東区や文京区に引っ越したい」。そう思いながら心の中で「仮住まい」を続けている人の話しはよく聞きました。だいたい、もともとこの土地に住んでいる人がそもそもそうだったりします。文京区あたりに引っ越すようなことになれば、「凄いねぇ、出世したねぇ」なんていう羨望の眼差しで捉えがちです。

まったく、土地にはなんの罪もないのに可哀想な話しです。こうやって、足元にころがっている良い部分や、古い伝統、景観が、肝心のそこに住む人たちの無関心のために壊れていくのです。たくさんの人がふと気づいたころには、人の温もりも感じられない、すっかり変わってしまった無計画な町の残滓だけが残っていることになりかねません。私の実家がある神戸市ポートアイランドがそうなので、これは事実です。

もちろん、住んでみた結果、どうしてもその土地に合わないという人もいますしそれは否定しないですが、最初から「いつか離れたい場所」と思う人ばかりが住んでいるような土地では、10年20年たったころには間違いなく荒廃します。

別に子どものためにやっているわけでもないけれど、自分たちの子どもが大人になったときに、育ってきた土地が、ずっと住んでいたいなぁと思えるような、活気ある、楽しい良い町になっているほうがいいですよね。

だから、自分が情報発信という地域活動をはじめた理由は簡単なのです。

「自分が住んでいる町を、できるだけたくさんの他の人にも好きな町になってもらいたいから」

やり方はいろいろあると思いますが、根本的にそういうことなのです。その中で出来ることをやっているということであって、だからまあ自分や家族のためということです。

まぁ、活動をしてみると、地元というだけで仕事では会えないような人たちとのつながりが生まれて、活動を通じた知りあいのお店も増えて、町なかでばったり会っては「こんにちは!」なんて挨拶できるご近所さんができたりして、実際はそういうことが楽しかったりするんですが。別にそういうことっていうのは、わざわざ他の土地に探しにいく必要は無いわけです。

「コミュニティ」の前提とソーシャル

インターネットが出てきてから、ありとあらゆる形の「コミュニティ」サービスが誕生してきては衰退するというサイクルを繰り返している。

なぜ衰退を繰り返すのかなと考えていたら、ふと、コミュニティ作り、の考えの潜在意識の中の前提が間違っていたような気がしたので書いておく。

「コミュニティ」という言葉はもはやそれ自体が正義のワードとなっていて、もちろんその実態はとても曖昧な言葉ではあるけれど、「コミュニティ」という言葉には独特の=それができたら面白いよね、という引きがあり、「わたしはコミュニティを作りたい」というだけで正しい方向に向かっている気をおこさせてしまうので、これからも延々とこの文脈を標榜するサービスは出てくる気がする。もちろん自分もネット業界に入ってこのかた、メディア作りにおいてはコミュニティを意識しないことは無い。

ネットを離れて考えてみると、身の回りにはありと意識せずともあらゆる形のコミュニティがあって、それらは当たり前のように勝手に押し寄せてくる。家に住めばご近所さんが出来る。学校に子どもを通わせれば学校付き合いがでる。自分は下町に住んでいるがそこにはそこには町会がある。地域活動をはじめればそこにもチームができる。これらはすべてコミュニティであってその瞬間瞬間ではなにしろ時間を使って生で向き合うものなので、結構濃い付き合いのものとなる。

にもかかわらず、コミュニティはある時期が過ぎると突然活動レベルが落ち、消えてなくなってしまうものも多い。ママさんネットワークなんかはその最たるもので、まるで一生のお付き合いになるかのようにお付き合いしているのに、子どもが卒業すればスッと消滅する。たまに理解不能になるぐらいだ。

考えてみると、つまりコミュニティというものは、そもそも人間というのは欲求の塊で、本質的には複数の人が集まれば自然と争いを起こしてしまう生き物なのであって、そうならないようにお互いにうまく生きていき、自分と家族を守るための自然発生的な知恵なのだなということに思い当たる。それは実は、コミュニティという甘い言葉とは裏腹にとても面倒な存在だということになる。だから若者は町から出ていきたくなるわけで。

それが本当の酸いも甘いも吸収した上で、互いの生き様もある程度知り尽くした中で、「まあお互いがんばってきたね」ということを自然に思えるようになるには、コミュニティの活動が3-40年ぐらいの長い年月を経てホソボソと続いていく中で熟成されてくるものなのだろうと、身の回りの下町の生活を見ていると感じる。

そう考えると、核家族化する社会の中でコミュニティに対するノスタルジーな部分がクローズアップされる傾向の強いネット上のコミュニティが常に栄枯盛衰をたどる運命なのも納得できる。つまり、そもそもネット上の向こう側の人とは仲良くする必要が本質的に全く無い。

よく、ネットで争いが起きると「荒れる」という表現が使われるが、ここで、リアルコミュニティであれば、そもそもコミュニティは生きる知恵として存在しているもので、延々と続く(つきまとう)ものなので、仮に荒れても付き合って行かざるをえない。これがネットであれば、「退会」すればおしまい。荒れることは人が付き合いをすれば避けられない性質なので仕方がないが、そこに何の目的と意味があるのか、がネットコミュニティには存在しない。

ネット上でコミュニティを作る努力をする場合、どうしてもサービス運営側は「お付き合い上手の理想の人たちのあつまりの中から集合知が生まれてみんなでそれを高め合って延々と続いて。。」みたいな絵を描きがちだ。

実際にはネットコミュニティはリアル社会ではどうしても発生する葛藤のはけ口になりがちで、「たまたま同じ場所に住んでいる人ではない、理解してくれる好きな人とだけ付き合いたい」という目的で必至に場を探している。つまりノスタルジーの中で描かれる理想のコミュニティ=リアルの付き合いの中から熟成されていくもの、とはそもそも違うものを人は探してネットのコミュニティに来ているのだという前提に立ったほうが答えに近いのではないかと思う。

そう考えると、短絡的かもしれないけど理想の密なコミュニティを作ろうとしたmixiが、もっとドライで疎な誰でもデビュー可能な社交界としてのソーシャルネットワークであるFacebookにあっけなく負けたのも理解できるし、逆に誰にたいしてもコミュニティにおける一員としての自分を見せることを強要されるような感覚がFacebook離れを生むのも理解できる。あれは、あまりうざくない程度にネットワーキングされたマイクロブログの集合体なのだ。