3年前に僕は会社を作る、という選択を行い、そして失敗した。今、3期目の決算をしているが、おそらく、この会社の決算業務を行うのは今年が最後になるだろう。
失敗から学ぶことは多いというが、事業をたたむことになってから5ヶ月、まさに今、この3年あまりの間に繰り返してきた数々の失敗の意味を振り返ることができる自分がいる。
実を言うと、起業をするその直前まで、自分は起業ということをまともに自分事として捉えたことがなく、会社員としての人生が自分の人生だと何の疑いもなく考えていた。もっと厳密に言えば、起業してからもまだ自分事として捉えられていなかったというのが真実であり、失敗して初めてそのことを理解している。
会社を失敗させ、関係者、特に何人かの共同創業者の人生の1-2年を無駄に過ごさせてしまったという取り返しのつかない悔恨。妻と2人で築いた資産を大いに減らし、妻に不安な思いを抱かせるだけで何も返せなかった自分。自分は何の価値もない人間なのではないかという絶望に繰り返し襲われる日々。多分そんな日々はこれからも続くのだと思う。しかし、不思議なことに、そんな中で漸く起業する、ということの本当の価値、意義がうっすらと見えてきたように感じている。実際に起業しているときには不安しか感じなかったことに対して、また次の機会があればチャレンジしてみたいとも感じている自分がいる。ただし、自分という人間の本分、役割がより明確に解った今、仮にそのようなチャンスがあっても形も、入り方も、3年前とは違うことになると思うが。
失敗した人間に語る資格は無いが、これは未来の自分に対する戒め、アドバイスとして書き留めておきたい。
起業とは投資である。自分が持つ理想に対する投資であり、それは同時に社会が発展を続けていくという社会全体の期待に対する投資である。誰かに投資してもらうものではなく、自分が投資するものだ。
だからこそ起業家は頑張れるのであり、信じるものを広げられるのであり、その先には必ず誰かの役に立てる未来があると信じられるのであり、それに対して共感する仲間が集まれるのであり、みなで苦しい時を耐え、達成の喜びを分かちあえるものだ。
人にはそれぞれ関心事があり、それに応じて様々な起業の形があると思う。だが、自分は情熱を注げると感じられるだけのミッションを感じなければ動けないタイプの人間だ。
だが、理想はあれば叶うものではない。むしろ最初から徹底的につまづくもの。それは最初から覚悟して、常に大きな時間軸の中でのパルスだと捉え、長期的に着実に歩みを進めていく覚悟で望まなければならない。理想の達成はそんなに簡単なはずがなく、顧客の利益を考え、社会の利益を考えれば、理想を追うことは永遠に続くのであって、立ち止まる瞬間があるわけがないから。
自分の欠点は、サラリーマン根性が染み付いた結果、常にせいぜい2-3年程度のスパンでしか物事を考えていなかったということだ。実際は、本物の事業であれば100年単位、少なくとも10年スパンで考える必要がある。それが、顧客に対する責任というものであり、自分が信じる「誰かのため」には「それを提供し続ける」という責任が伴うことをリアリティをもって考えなければならない。イノベーションは、いつまでもイノベーションであってはならない。最後にはコモディティになるべきものなのだ。
振り返れば、ある会社の海外向け事業子会社をやったとき、不思議なほどに良い仲間が集まってきた。いい人だと思えば情熱を持って口説いたし、説得に失敗したことが無かった。会社は常に赤字で、傍から見れば厳しい事業だったが、自分自身は事業の将来性に対する確固とした見通しを持っていた。唯一懸念していたことは、その事業の見通しについての肌感を持てる人間が自分しかいないことが分かっていた中、適切な投資を適切なタイミングで実行できるように、経営層を説得し続けられるだろうか、という内部営業の部分だけであり、チーム内部からも不安が何度もあがってきていたが、対外的に最終的に成功するというイメージがそれによって揺らぐことはまるでなかった。
この数年、自分はあの時のうまくいっていたときのイメージを、単に自分は失敗を知らず、恐れを知らなかったためだと解釈していた。しかし、本当はそうではないことを最近思い出した。本当は、あのときの自分を迷いなく走らせていたのは、その子会社を設立したときに持っていた経営理念だったのだ。
海外向け事業を始めるにあたり、まずマーケットを知ろうということで自分は各国の事前調査を行う出張をした。表向きの理由は市場感を知る、ということだったが、実は内心、当時既に国内外で何社も同じ事業で先行している会社がある中で、周回遅れで二番煎じな事業を始めることに大きな不安を感じていた。もともと商社出身でその海外展開の事例をいくつか見てきていた自分は、単に日本企業が現地企業と単なるシェア争いを繰り広げるような事業はやりたくなかったのだ。その思いは、出張を重ねるたびに強くなっていった。どこにいっても先駆者の存在があったからだ。
あるきっかけがあり、その気持ちがふっとかき消えた。それは、ソウルで「東横イン」を見たときだった。
東横インは、日本とほぼ変わらないあの箱舟のようなホテルを韓国で展開していた。韓国にも普通にありそうな格安ビジネスホテルが、海外展開することの意義を感じられなかった自分がそこに宿泊してみると、ホテルの部屋には、日本から持ち込んだ日本のままのあのコンパクトながら機能的で便利な部屋があり、そしてその快適さをぜひ味わってほしいという、ホテル側の思いが書かれたチラシが置いてあった。それを見て、自分の思いが急激にまとまったのを今も鮮明に覚えている。
一言で言えば、他社がどうだから、ということはどうでも良くなった。それよりも、日本で培ったノウハウを活かして、自分たちのサービスの利用者、顧客だけを見て、その人たちに対して最高の価値をもたらすものを提供することだけにフォーカスしようと思ったのだ。その当時の先行他社のサービスが、決して最高とは言えないことは明らかだった。
その結果できあがったのが、「Empower people, empower Asia」という、事業そのものとは一見まるで関係のないミッション・ステートメントだった。だが、自分にはこれこそがその事業を行う意味だった。僕達は、ただそこにマーケットがあるから事業をスタートするんじゃない。新しい価値を作って、アジアの人たちのため、アジアの発展のためにこの事業をやるのだという意味をこのメッセージに込めた。
その結果、全ての事業運営の軸にある理想は、このキーワードになった。このキーワードのもとにサービスを運営し、このキーワードのもとにチームを採用し、キーワードを体現するために必要な運営を行った。迷いが出てきたときにはここに立ち返ってメッセージを出した。このキーワードのもとに自分たちの意義を発信した。その時、取るに足らない小さなチームだったけど、自分たちのチームは業界で最高のチームだし、これからも発展していくという確信があった。中心にあった概念は「愛」だった。チームに対して愛をもち、ビジネスに対して愛を持ち、利用者に対して愛を持つ。これこそが、当時の自分を、足元の収益性がなかなか伴わない中で突っ走らせた土台にあったものだし、優秀なメンバーが入ってくれた源泉だったのだ。ただ、残念ながら、当時の自分には、投資の概念が決定的に欠けていた。自分が投資しているのだ、という考えがなかった。もともとこの事業をスタートしたいと考えたのは経営陣であり、会社が投資しているのだと思っていた。
問題が発生し、自分の愛情をかけて育てた子会社から自分が去らざるを得なくなったとき、自分の中身は空っぽになり、人生を賭けたものが奪われた怒りで気持ちは充満し、無気力になった。
次のやり甲斐を見つけなければいけないことは分かっていたが、人間、自分を賭けるべき大きなミッションをそう簡単に見つけられるものではない。会社からは次の機会を提示されたが、全くやる気が起きず、尊敬する知りあいの会社に転職した。
その時は新しい価値を提供するし、自分にはできると思っていたが、それは時期尚早だった。目標感を失った空っぽの器に子会社の社長をやっていたという無駄なプライドだけが残り、すぐに状況は悪化した。自分で会社をやりたいという考えが急浮上した。それは今思えば単なる逃げだった。起業することの本当の意味を理解しないまま、「金銭的に今なら可能である」「他にやりたいことがない」ということを主な理由として起業した。もちろん、それは考えぬいた上での自分に対する投資ではなかった。強いて言うなら、見返したいという気持ちはあったが、怒りや恨みに基づく感情がビジネスに良く働かないことぐらいは分かっていたから、それをモチベーションにすることは出来なかった。にも関わらず、古巣に対する意識は常に自分を蝕んでいた。
スタートが良くなくて成功するわけがない。形だけを整えてみても、以前とはうってかわり、組織モーメンタムを感じることもないまま、3年が終わった。
他にも沢山の理由がある。自分自身の適性というものもこの3年間、よく理解できた。でもそれは原点、自分がもともと認識していた自分への認識に戻ったというのに近い。
「投資」ということが何なのか。それは単なる博打ではないし、手堅くわかりきったことをやるということでもなく、ただ勢いで散剤することでもない。自分と、他人と、社会にとっての新しい価値の実現に向けて、資金とかけがいのない時間を費やすことだということ、その実現に継続してコミットすることが投資であり、それがビジネスそのものなんだということ。それは起業していても、会社員としてであっても、全く変わらず同じことなんだということ。
友人と、パートナーと、家族の、失われた3年間に対して返済していかなければいけないこれからの自分への、忘れてはならない戒めとして。そして、もしかして同じような状況で起業を考えているかもしれない誰かのために。