自民党憲法改正草案(平成24年4月27日)の要点を整理してみた

池上彰さんの「池上彰の憲法入門」を読んで、自民党の憲法改正案を知っておかなければと思い、早速、改正案を読んで、自分なりに気になった点を整理してみた。

自民党は今後も政権を長く務めるだろうし、彼らが目指す世界は限りなくこの草案の中に盛り込まれているはずなので、読んだことの無い人も是非読んでおいたほうがいいと思う。

自民党憲法改正草案(平成24.4.27)

・前文:伝統や歴史があること、それらへの誇りや尊重と継承が憲法の目的として新たに強調される。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないように」というくだりは削除されている。

・第1条:天皇は単なる象徴ではなく、日本の「元首」だと明記される

・第3条:国旗と国歌が明確になり、それへの「尊重」が国民に求められる

・第9条の1、2項:自衛権の行使は認められる。

・第9条の2:自衛隊は国防軍に変わる。

・第9条の2、5項:国防軍は独自の「裁判所」を持つ。

・第9条の3:領土の保全は国の義務となる

・第12条:自由と権利には公益に反しない「責任と義務が伴う」ことを自覚した行動が国民に求められる

・第21条の2:「公益」を害する活動、結社は表現の自由の対象外となり、禁止される

・第24条:「家族は互いに助け合うこと」が国民の責務になる

・第25条の2:国が「良好な環境」を提供するために「国民が協力すること」が義務になる

・第25条の3:在外国民の保護に努めることは国の義務になる

・第56条:議員の1/3の出席で議決ができる(↔過半数)

・第63条:大臣は議会から答弁を求められても欠席して良い場合がある

・第83条の2:「健全」な財政を維持することは国の責務として明記される。

・第92条の2:地方自治の公平な負担は住民の「義務」になる

・第92条の3:国と地方自治体は「協力しあうこと」が求められる

・第99条:「緊急事態」が宣言されたときには国民は国の指示に従うことが必要になる

・第100条:憲法改正は両議院の「過半数」の賛成で国民投票にかけることができ、「投票者の過半数」の賛成で成立する

・第102条:「憲法を尊重」することが国民の義務になる

良いか悪いかは実際の運用に依ることになるが、全体的に伝統的と言われる価値観の尊重や、国が進めることへの協力を地方や国民に対して求める項目が増えている。

また、戦争を引き起こした当事者だったのでその反省の中から憲法を作った、という考え方は、消えてしまったように見えなくもない。

追加されたり修正された理由がよく分からない条項もいくつかある。突然現れた必要性の低そうな条文で、背後にある各省の思惑を感じるものもある。

中身についてはこれを機に政治の流れも見ながら考えてみたいと思う。

ただ、自民党がいろいろな人の意見を取りまとる困難な作業を完遂し、具体的な改正案を作ったこと自体は、政治的リスクを踏まえてもやるという明確な意図を感じるし、それが政治だと思うので、素晴らしいことだと思う。

原爆投下を反省するべき的なもの

アメリカ国民5割原爆投下間違っていなかった。松本人志がキレて号泣。

定期的に出回る、「アメリカ人は原爆を反省していない」的なネタはなんなんだろう?

なんどアンケートとったところでその意識が変わるわけがないし、逆に、日本人は重慶爆撃を反省していますか?なんてアンケートは見たことがない。無差別爆撃という本質は何も変わらないのだけど、日本だけがアンフェアに叩かれたかのような見方こそが戦後から抜けられない=負けた=自分たちが間違っていた、ということを受け入れられないということに見えてならない。

日本でこの議論が巻き起こるとき、たいてい、原爆という兵器そのものに対する人道性を非難している論調なのだが、いまどき人道性にもとる兵器は地雷も含めて数多くあり、日本政府も原爆廃止に向けた強力な動きをしているとは思えない。実際には、このネタを話題にする人はアメリカ人が科学の圧倒的な力で日本を木っ端微塵にしたという事実に対して、論争を通じてアメリカ人に一矢報いたいだけだと思う。

戦争に関しては、敵も味方も沢山死んだのであって、どんな政治的状況にあっても、それが相手の謀略に乗せられた結果だとしても、トリガーを引いてしまった政府とその決裁者がその全責任を負うべき。どんな大義名分があったとしても、絶対にトリガーを引いてはいけない。それが簡単に力に頼ろうとしたのが戦前の日本だし、そういうことは断じてしてはいけなかったのだ、というのが戦争の教訓だと思う。過程に関する事情は理解することができても、決断は正当化できないのだ。

軍事施設だけを叩き合って決着がつく戦争なんてもう起きないのだから、原爆という一つの型の爆弾は、それが爆弾として人類の滅亡に直結する力を持っているだけであって、むしろそれは、腕力に頼る世界を繰り返してきた人間社会が、それをおいそれと使えなくしてしまったという意味では人間に対する究極のギフトですらあって、その善悪論は枝葉末節なのだ。

日本は集団的自衛権を考えている場合ではない。

いまの憲法は、アメリカによって作られたものだから日本人が変えなければいけないという議論があるが、何が起きても一切の武力行使を放棄し、諸国の国民の信義を信頼して行動する、という憲法の大方針は、アメリカ人に強制されたものではなく、それが、当時の日本人の心にとっても大いに受け入れられる結果だったのではないかと思う。

自分はいまの日本国憲法前文がとても好きだ。

Religions that drive the battles

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My view of simplified images of some religions and faiths that have been driving the world from the ancient.

It is so ironic that the religions are always the cause of troubles and bloody battles while all ask for a peace.

I feel I need to learn more especially about the truth of the Islamic world, behind many propaganda and news made for and by the western world.

アップル、グーグル、マイクロソフトの本質?

アップル、グーグル、マイクロソフトの3強の本質をマイクロソフトのCEOが解説したという、この記事。

MicrosoftのCEO、サティア・ナデラ、Apple、Googleと比較して自社の本質を的確に指摘

彼はAppleはデバイスを売る会社、Googleは検索エンジンの会社、マイクロソフトは開発する能力を与える会社だと言っていて、記事は本質を的確に言い当てているというような書き方になっているが、果たしてそうなのだろうか。むしろ殆どの人が違和感を感じるのではないかと思う。

マイクロソフトだけは誰かのためのプラットフォームを作っているんだ、みたいな言い方をしていて、ポーズなのかもしれないが、本質を語っているとは思えない。

自分が思うに、この3社は3社ともテクノロジーを売る会社なのだが、それぞれがテクノロジーを追求する目的がそもそもことなっているのであって、本質はこうではないかと思う。

 

アップルは、魔法を売る会社だ。

アップルはあらゆるテクノロジーを魔法でコーティングして出すことに長けていて、そもそも魔法を生み出したいという集団である。顧客はみなその魔法の一部になりたくて高い商品を買う。そういう意味ではこの会社はエレクトロニクス業界のディズニーである。魔法の化けの皮が剥がれたと感じさせたらこの会社はおしまいである。

しかしこれだけアップル製品が普及していても業務用の分野では依然としてアップルが普及しないのは、多くの人にとって魔法は不要なコストだから、ということに尽きるように思う。

 

グーグルは情報を売る会社だ。

この会社は人が知りたい情報を提供することを徹底的に追求していて、そのためのツールが検索エンジンだ。なので最悪検索エンジンがなくても情報さえ提供できれば会社としては存続意義があるが、実際には検索エンジンが無いとインターネットの情報の洪水の中では話しにならないので、やはり検索エンジンが大切な存在となる。そして人による情報の仲介を軸とするソーシャルはその対岸にある新型検索エンジンなので、ソーシャルをグーグルが欲しがるのは当然の成り行きということになる。

 

マイクロソフトは何だろう?自分はマイクロソフトは効率性を売る会社だと思う。

マイクロソフトの製品が今まで売れてきたのは、多少かっこ悪くても気にしない圧倒的な業務効率性を、誰でも簡単に扱えるレベル感で生み出してきたからだ。つまり新幹線ではなくて彼らは山手線をひたすら提供する。

マイクロソフトが落ち目になってきたのは、下手に「魔法」にあこがれてしまって、マイクロソフト製品も魔法を演出したいと思ってしまったことに尽きると思う。実際にはPCがなくなることはないのに、WindowsもOfficeも、中途半端な魔法へのあこがれのために、肝心の効率性の追求の部分がめちゃくちゃなことになってしまった。

彼らは徹底的にビジネス効率を追求してWindowsを設計するべきだったし、モバイルへの投資としてはNokiaではなくてBlackberryやMotorolaを買えばもっと良かったんじゃないかと思う。

若干リサーチ業界にも身を置いてきた人間としては、大量の調査予算を投入しているマイクロソフト社の調査依頼にたいして、リサーチ業界はいったいどんなアウトプットを返していたのだろうかとも思ってしまう。

 

己を知り、敵を知れば、百戦危うからず、というけれど、自分自身にしても、組織にしても、本当に己を知ることは難しい。

責任。

あまりにも刺さる言葉だったので全文メモ。

 

さて、時々「オレはこの仕事から降りる」なんていう人いますよね。
「こんなんじゃ責任取れません!」とか言ったり。
ぼくはこういう人をうらやましく思えます。
いいなー、すぐ降りられて。
なんちゃって。

そのそも責任って何でしょうか。
責任ある人ってどういう人なんでしょうか。
ぼくは、気楽に降りられないこと、なんだと思うんですよ。
降りられないから、仕方なくでも踏ん張らざるを得ない。
踏ん張るからなんとか責任を果たせる。

だから、安易に「仕事から降りる」という人は気楽に思えちゃうんです。
「責任取れない」という人は、もともと責任なんかない人なんですよ。
責任がないから気楽に降りることもできるんです。
その代わり、そんなことを繰り返しているといつまでたっても腕は上がらない。

降りられないから、踏ん張らざるを得ないから、泣きながらでも何か打開策を探る。
過去の経験を生かしたり、多くの人の力を借りたり、知恵を出して解決への道筋を見つけていかなくちゃならない。
そういう努力をするから、腕も上がっていくんだと思うのです。

藤原和博『新しい道徳』ちくまプリマー新書\760-にこうありました。

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あなたが「夢」を追うためにも、もっと「自由」になるためにも、技術と経験を蓄積するのが王道なのである。
このとき、大事な言葉がもう一つ。
「自由」の裏腹である「責任」という言葉だ。
「責任」を引き受ける仕事の仕方をしなければ「技術」は蓄積しないだろう。
「経験」の蓄積も豊かにはならない。(158p)
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誰だって逃げたくなるような仕事はあります。
自分がそうなら他の人だって逃げたくなっているんです。
それを踏ん張って解決するから、技術と経験は蓄積し、他の人からのクレジットレベルも上がる。
逃げていたらダメですよね。

技術と経験が蓄積し、他の人からのクレジットレベルが上がっていくと、やりたいことがやれるようにもなれます。
やりたいことがやれる、すなわち「自由」です。
世の中にはまったく同じことなのに、それが許される人と、お前がそれをやっちゃマズイぜ、という人がいます。
それはクレジットレベルの違いなんですよね。

だって、結果に違いが出るからです。
クレジットレベルの高い人なら、困難があってもそれを克服して成功に導いてくれる見込みがある。
そうじゃない人は、またこの仕事から降りちゃうじゃないかって思われちゃう。

いい結果を出してくれる人と、中途半端で投げ出しちゃう人と、どちらに重要な仕事を任せるか、自明ですよね。
藤原さんはこうも言います。

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「責任」に裏打ちされていない「自由」は、ただの「奔放」にすぎない。(158p)
「責任」を引き受けて、はじめて、その「自由」な行動はクレジットに変わる。(159p)
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責任に裏打ちされていない自由なんか、意味がないってことですね。
子どもや若い人はよく「オレは自由に生きたいんだ」なんて言いますが、それは責任逃れでしかありません。
責任を引き受けて、嫌なこと、困難なことに出会っても、そこから逃げずに、ジタバタしながらも踏ん張って、知恵だし汗だしするから、自由も得られるということなんだと思います。

100年単位での都市開発と人の記憶

神戸ポートアイランド-ホテル付近空き地

神戸ポートアイランド-ホテル付近

自分の実家は神戸のポートアイランドにある。

ポートアイランドは、高度成長期に神戸市が可住地域の拡大を求めて計画し、80年代に完成した海上の人工島であり、東京のお台場などを含むその後のあらゆる日本の人工島/海上都市計画の模範となった場所である。当時、神戸市の大事業は、「山から海へ」ともてはやされたとされている、

1981年にはそのオープニングセレモニーとして「ポートピア博覧会」が開催され、海上に建設された当時としては圧倒的にモダンな高層マンション群には大量の住民がなだれこんだ。ポートアイランドには島内を巡る最先端の無人列車が走り、ポートアイランドの埠頭に建設された当時世界最大級のコンテナターミナルにはいくつもの巨大ガントリークレーンが設置されて大量の海上物流を支えた。その頃神戸市は絶頂期だった。

それだけではない。ポートアイランドに建てられた住環境と一体になった商業施設、よく設計された遊びやすい広大な公園、ヨーロッパなどの先端教育事情を学んだ校長を迎え、開放的な作りを取り入れた学校施設など、ソフト面でもポートアイランドは当時の最先端をいっており、それはおそらく、日本人にとって当時憧れだった「欧米風ライフスタイル」を体現した住環境だった。

その後、神戸市はポートアイランドよりも更に広大な敷地を持つ「六甲アイランド」を完成させ、それだけでもまだ足りないとばかりに1987年には「ポートアイランド二期工事」を開始する。完成したのは2005年。

いま、ポートアイランドは竣工後30年以上が過ぎ、高齢化が進んでいる。人口もピーク時より減少に転じ、第1期工事区内にあった島内の商業店舗はその大半が閉鎖され、閑古鳥が鳴いている。大規模な商業施設としては今はダイエーが1軒、細々と営業を続けているだけだ。

ポートアイランド2期工事によって拡張された区域に関しては開業当初から惨憺たる有様となっており、膨大な空き地が広がっている。2期工事区域だけでなく、その沖合にある神戸空港の敷地も含め、資産処理に困った神戸市が実績作りのためだけに土地を叩き売っているが、それでもまるでテナントが入らない状況がもう10年以上続いているのが現状だ。

先端医療研究都市という標語を掲げる一方で、すぐ横にある旧「神戸市民病院」は、メンテナンスも滞って民間に売却され、現役の病院でありながらまるで廃墟のような外壁を晒す姿に変わってしまった。

確かに、1995年に発生した阪神大震災は、神戸市の事業計画を大きく狂わせたのは間違いない。復興が必要になっただけでなく、その間に産業や物流拠点としての神戸の役割が失われ、神戸に対する人の憧れも過去のものになった。それでも、今、ポートアイランドに見られる空虚な環境は、地震の災害による影響だけによるものではない。未だにこの土地の店舗閉鎖は続いており、年々空疎化が進んでいる。それは、神戸市の本土地域においてかつてとは違う形とはいえ、復興が進んでいるのとは対照的な状況だ。

今、ポートアイランドにあるのは、誰の帰属意識もない「住んでるだけ」「働いてるだけ」「通学してるだけ」という土地に見える。お金を追い求めて行われた野放図な開発行政の一方で、本来あるべきコミュニティ作りという部分が疎かになり続けた結果が、今のポートアイランドだ。

かつて大量の人がショッピングに訪れ、にぎわったショッピングセンターは閉鎖され、島のシンボルだったホテルの周りは空き地になってしまった。冒頭の写真がその空き地の様子。

なぜこんなことになってしまったのか。

人工島は、行政にとってはビジネスを目的とした土地でしかなく、保護すべき土地としては考慮されていない可能性がある。しかし、そこで育った人間にとっては故郷であり、幼少時の記憶が詰まった土地だ。それが無惨な姿になっているのを実家に帰るたびに見るのは、非常にせつないものがある。

とはいえ、商業施設には栄枯盛衰があり、多少の入れ替えも仕方ない局面もあるのだが、もっとせつないのは、子どものころの記憶と連結したものが消失してしまっているという事実に直面することだ。

南公園

南公園

この写真はポートアイランドのかつての沿海部にあった「南公園」の残骸である。正確にいえばそこは今も南公園なのだが、この写真の手前にあった「ポートピア遊園地」は閉鎖され、代わりに巨大な「IKEA」が立っている。しかしそれよりも悲しいのは、この写真に見える道路だ。この道路は、かつて一続きにつながっていたこの公園を情け容赦なく直線的に分断し、向こう側を広大な野球場に変えてしまった。

かつてこのポートアイランドを設計した人は、島内の全ての公園を実に美しく仕上げていた。この公園にも、斜めにくねった散歩道が整備され、手前に見える青い部分はその終端部に位置し、神戸の海岸線の美しさを示す噴水になっていた。そして、公園からはすぐ南側に広がる海を見ることが出来、カップルやファミリーのくつろぎの場になっていた。

しかし、ポートアイランド二期工事が始まり、南側の海は遥か遠くへと遠のいてしまう。かつて海の波を防いでいた巨大な堤防は単なる陸上の障害物になり、その向こうに土地が延伸された。

本来、海上の景色と一体になってその存在価値を示していたこの公園は、ただの中間地点になり、人通りが途絶えた。公園に隣接していた遊園地も「海が見える」という特徴が失われ、大きく魅力を減らした。二期工事後の土地が全く売れず、土地が余っている様子を覆い隠すように付け刃的に南公園の南側に更に別の公園が作られた結果、公園自体の姿が大きく変容してしまい、施設の密度も無くなり、何のコンセプトも無い野原になった。広すぎる公園に対して適切な管理を施すことが困難となり、草むらはジャングルに変わっていく。更に人口減少と高齢化が始まり、人が来なくなってしまった。

それでも、子どものころ、この公園に学校の遠足で何度も来ていた自分にとってはここは思い出のある土地だった。が、その土地を容赦なく直線で横切る道路に、自分は衝撃を受けた。写真だけではそれは分かりにくいが、そこで育った記憶がある人がそこに立てば分かるはずだ。まるで、幼少時代の自分自身を斧でまっぷたつに断ち切られたような感覚を覚えた。だから、自分は、戦後の混乱の中で壊滅した都市から新しい町を作り上げていく中で大量の記憶を失ってしまった人達のことが想像できる。例え生活の向上が引き換えに実現されたとしても、生きている間に記憶の中にあったものが失われ、何の感傷要素も無く上書きされることはなかなか耐え難いものだ。

このポートアイランドの現状は、都市計画というものがどうあるべきかを、端的に示すものだと思う。

町は、それが町であり続けるためには、常に活力の源である人が流れ込む必要がある。一定の人の密度がなければ町は成り立たない。そして町には、そこに住む古い人、新しい人の双方にとって、常に記憶の拠り所となる「何も変わらないもの」が必要だと思う。それが、文化であり、土地の帰属意識の軸となる。それが無ければ土地に対する愛着は生まれず、土地を育てていこうという気運も生まれない。

この、帰属意識をどう育て、捨て難い記憶にし、伝えていくのか。町の建設計画は常にどういう人の記憶と文化を作っていくのか、ということと一体になっていなければいけない。そこは決して変わってはいけない。20年30年の月日とともに、世代の記憶が積み重ねられ、年が経つほどに増々魅力が増し、また新しい若い世代が育って新たなよりどころにしていけるようなものを作らなければいけない。

これに関連して、日本では、「神社」がその大きな役割を果たすという話しを聞いたことがある。

実際に、新しいニュータウンが建設されたとき、そこに神社を作った場合と、神社が無い場合では、その後の土地の盛衰に大きな影響を及ぼすらしい。神社があれば、土地に対する土着的な愛着と信仰の拠り所になり、祭りも生まれ、大切にしようという気持ちが生まれる。これは、日本人が古来持っていた知恵なのかもしれない。

今度、神戸で地域政党が立ち上がる。

東北の震災はまだ復興の途上。

そして、東京都知事選では、オリンピック「後」についてのケアを求める声があがっていた。

“オリンピックで経済を活性化させるのは良いが、閉幕後の東京もしっかりと考えてもらいたい。壊して、作って、壊しての繰り返しは見たくない。

まさにそう思う。

都市開発計画を建てるあらゆる行政、政治家、建設会社の方には、ぜひ、ポートアイランドの惨状を視察してほしい。そして、あれを繰り返さないようにしてほしい。100年単位で何世代に渡って積み重ねられる人の記憶と文化の育成を、都市計画の中心に据えてほしいと思う。

“海外事業”の型、人材、展開タイミング

Airport take off by Christian Haugen

Airport take off by Christian Haugen

国内からスタートして、後からグローバル展開する事業には主に2つの型があるようだ。

M&A戦略による取り込み型を除くと、自社展開としては1つは既存商品の営業範囲を広げるだけ、というレバレッジ型の事業。もう1つは、新規に商品から作っていく事業。この2つは、同じグローバル展開でも全然違う。

前者は、まず商品に対する投資がほぼ必要なく、いきなり販売を開始できる。つまり原則的には日本のコピー版組織を営業面にフォーカスして作っていけばよく、黒字化しやすく、ニーズのある無しも比較的早期につかみやすい。

後者は、商品から作る必要があり、かつ、現地需要に合わせていく必要がある。これは現地事情を肌感で理解できない「外国人」には基本的にハードルの高い作業となるし先行投資がかかるので重たい。

従って、この2つについては、投入するべき人材も違うんだなと、いろいろな会社の事例を見ていて感じる。

前者は勢いのある若手人材を抜擢するのが良さそう。シニアよりも若手が必要なのは、既存概念にとらわれることなく攻撃的にアカウントを開拓し、新しいニーズも拾いやすいから。根本的な商品価値は既に完成されているから、このほうが商品力を拡大する上でも意味がある。

後者については、可能な限り国内事業で大活躍した実績のあるエースクラスを当てるべきだと感じる。これにはいろいろな理由があるがまずそもそもニーズの把握から行う必要があるので経験値の高い人材のほうがどこにニーズがあるかを把握し、必要な事業スキームを組むなど、ゼロからある程度合理的だと考えられる形を作るのに短い時間で作りやすい。そもそもシニア人材でなければ現地の重要顧客が会ってくれない。などの理由がある。それに、海外展開するときにつきものになるリーガル対応、資金繰り、採用なども、シニア人材のほうが勘所があるから新規事業にあわせて作り上げていける。

しかし、エースクラスを投入する最も重要な意味は、所詮、グローバルでの事業展開という戦略が、国内でも熾烈な競争の中で日々奮闘している人達にはお遊びに見えてしまいがちなところを、それを、実績のあるエースが自らやっているという構図であれば、納得感も、恊働感も出せるというところかなと。

基本的にどのような会社にとっても、海外展開といっても社員にはピンとこないのが殆どの人の感覚だと思う。

良くて「ふーーん」、普通は「そんなこと必要あるの?」「もうかるの?」とみな内心思っているはず。

日本は国内市場が大きいし、何よりもそこには緊急性の高い課題が多いのだから、その反応は当たり前だと思う。

「そうだよ、やるべきだよ!」などと思う人はむしろ頭がおかしいか、海外バカか、状況を把握できていないだけかもしれない。

海外で事業を展開する人達は、そんな反応は当たり前のことだと思った上で、そんな反応をものともせずに、新しく独立した別会社、別チームを創業していく気合いが必要。

 

というわけで結論、ゼロベースの事業を作っていくならエースクラスな人がどんどん海外の成長市場に出ていき(海外がその会社にとって重要な成長市場だと思うなら、ですが)、自ら大きな布石を敷いていくべきだと感じる。そしてそこで得た体験を国内に持ち帰り、次のエースに伝えていく役割があるように感じるこの頃。

事情があって、エースクラスでそれができなければ、トップが自分で行くしかなさそう。つまりそれが出来るタイミングがグローバルに出て行く絶好のタイミングかもしれない。

ならではの価値、の落とし穴

Is marketing that important? Ask these 20 brands. They sell the same product. Marketing is their only differentiator.

新しいことを何か仕掛けようとするとき、「それ”ならでは”の真似できないことって何だろうね?」という議論は、発生しがち。

大体、人が新しい分野に入っていくときに、最初に存在するのは、一人の人間が持つ、「これ、面白そう。いけそう!」という直感。その熱い空気が周りに伝染することで、更に人が集まってきて、徐々にその直感の上に殻が作られていき、できあがってくる形自体が勝手に推進しはじめる。

上のような議論が発生するのは、大抵そんなタイミング。

ちょっと頭の良い人や、無駄にロジカルシンキング本をかじっているような人ほどこの議論を開始しがちです。少しブレーキをかけて周りを見つめ直したくなる。その議論を行う必要性があることは、大抵の場合正論に見えるため、その議論を開始すること自体を却下するのは非常に困難。

今まで、そういう議論を何度も見てきたけれど、回を重ねるごとに結果として感じているのは、「”ならではを追究する議論”にはあまり生産性がないなぁ」ということ。

2000年頃、無線LANホットスポットという概念が米国で誕生し、3Gなどの高速な携帯電話のパケット電話網が無かったし、家庭のインターネットも殆どがダイアルアップ回線だった時代に、当時としては画期的な高速インターネットが楽しめるものとして、スターバックスや空港などで、ビジネスマン向けに急速に普及を始めていた。日本でもこの概念に飛びついて、NTTグループや当時の日本テレコム、Yahoo!BBなどの通信大手が場所の争奪戦を繰り広げ始めていました。

当時自分がいた職場でも、海外無線LANスタートアップとの提携の検討が始まり、国内のロケーションオーナーへの営業活動を行った。が、結局、その事業は日の出を見なかった。

その時繰り広げられた議論が、「コンテンツを充実させないと」という話し。

当時は、ソニーのコンテンツビジネスが脚光を浴びるなど、ハードからソフトへ、エレクトロニクスの時代は終わり、コンテンツがキングだという発想が爆発的に世の中で取り上げられていた時代だったので、自分がいたチームでも、「無線LANは誰でも設置できる」。だから、「そこで流すサービスこそが鍵だ」、というテーマで議論が何度も繰り返された。

無線LANホットスポットならではの地域限定コンテンツを、、ホットスポットで楽しめるゲームサービスを、、そこで広告配信を、、そんな議論が交わされたということ。

結局、そんな良いアイデアが出るはずもなく、そうこうしているうちに全体のモーメンタムは下がり、海外の提携予定先の事業も変わり、プロジェクトは殆ど何もしないまま頓挫した。

誰も分からなかった「コンテンツ戦略」や、無線LAN「ならでは」のものが何か必要でしょう、という議論。

その場にいたアメリカ人はシンプルにこう主張していたことを今でもよく覚えている。「無線LANのキラーアプリは電子メールなんだ」と彼は言っていた。

しかし日本側チームは、「電子メールなんて当たり前過ぎるから何か差別化要素を考えないと。それは無線LANの特性を活かしたコンテンツなんだよ」「アメリカは遅れている(当時はブロードバンドでは完全に出遅れていた)けど、日本はコンテンツビジネスなんだよ」と、いかにもありそうな机上の空論を述べてそのアメリカ人の主張をいなしていました。

いま、振返れば何の事はない。無線LANがもたらしたものは、安価で高速なネット回線そのものであって、それを使う人たちが何よりもそこでやりたいことはメールのやり取りと自由で快適なネットサーフィンというごくごくシンプルなことであることは明白なわけです。日本の未だに不便な無線LAN環境と、海外の快適な無線LAN環境を比較すると、ビジネスマンであればみな感じていると思います。これは、ブロードバンド回線に無線LANアンテナを設置すれば即座に提供可能なサービスであり、ビジネスとして見れば、コンテンツはネットの向こう側にいる人たちにお任せし、それを極力シンプルなステップで高速に提供すること、コンテンツ戦略よりも、たんにキーとなる場所をたくさん押えて面を広げることがサービスの利便性を実感してもらうために最も大事な戦略だったのに、このシンプルな事実が、「誰でも出来て当たり前すぎる」ということで無視され、難しい理由を考え出そうとみなで無駄な苦労をしてしまったのです。

確かに、端末を一台設置して無線サービスを開始することは誰にでもできます。しかし、それを何万カ所でやろうとすればそれは誰でもできることではないという、今考えれば簡単なことを、当時そのチームでは、誰も重要視しなかったということです。

この手の議論は頻繁に発生し、「ならではの価値はなんですか?」と言われて無理な理由をつけたくになったり、つけないと前に進めないという状況に追い込まれる事業リーダーは多いと思います。

でも、本当に大事な「ならでは」は、単にスケール性だったり、ものすごくシンプルなものであって、無理に「ならではの価値=永遠に存続しそうな差別化要因」なんてものを考えると気持ちが萎えてろくな結果にならないことのほうが多い。

新しいことをやるときには、最初に思った「いける!」を大事にして、シンプルにそれを実現するためにまず大海原に石を投げつづけることを優先し、難しく考えて時間を使わないよう、気をつけなければと思います。自分もそういう傾向が無い人間ではないので。

ならでは論は常にまきおこるので(コミットしているチームならそれが起きないのも変)、それが、何か事を起こした後のフィードバックを元にした話しなのか、事を起こす前に概念のみで話しをしようとしているのかを整理してみるのが良いかもしれません。前者なら、議論する価値がありそうですね。

ワークアンドライフバランスよりワークプロダクティブリィ

photo by a200/a77Wells

photo by a200/a77Wells

海外の人と話していて、日本人は本当によく働くね、と言われた。

よくあることだが、実際には、その裏には「そんなに遅くまで何をしてるのか分からない」というニュアンスが含まれていた。つまり大したアウトプットが出て来ないのになんだかよく働いている、という感じ。

彼が続けて、日本人は私生活のことをどう思ってるんだ、仕事の後に飲みに行く回数もやたらと多いし、と言うので、「日本人は仕事が充実しないと私生活も充実できないことを知ってるんだよ」とちょっと日本人のことを美化して返しておいた。その捉え方はあながち間違っていないとも思うが、実際、日本人がオフィスにいたり会社の人と一緒にいる時間はかなり長いのは事実だと思う。散々残業したあげくに更に飲みに行こうとするのは日本人ぐらいだろう。仕事と私生活の分離も何も、もはやオフィス生活が私生活そのものであり、会社員としての自分が自分の全てに近いのが多くの人にとっての実態ではないかと思う。

自分は、「ハードワーク」は嫌いじゃないし、寧ろ、ハードワークからしか得られないものがあると思っている口なので、近頃の「ワークアンドライフバランス」のような、ワークとライフは別物で天秤にかけられるような錯覚を与える言い方が嫌いだったりするのですが、それでも日本人の仕事の仕方に対して海外の複数の人が疑問を持っているのは事実なので、何がおかしいのかと考えてみると、日本人はWork hardをWork productivelyに置き換えることが必要ではないかと思い当たった。

Productiveに働くには意味のある明確な目的と、それに沿った目標が必要で、それを合い言葉にすると仕事が目的と目標から逆算で設定できるので無駄な仕事が減らしやすい。ProductiveではないのにHardに働こうとすると実際にはそれは出口のない仕事になっているので、みな憂鬱になり、ワークアンドライフなんとかという話しになる。Productiveというのは気持ちの話しではなく、具体的で意味のあるProduct=アウトプットの生産効率のことであり、当然評価にも直結するのでProductiveであれば生活も快適になる。

更に、個々の社員がProductiveに働ける環境にしようとすると、自ずと、事業自体が顧客や社会に対してどういうアウトプットを出したいのかという意思とそのための最低限の戦略、目標設定がなければいけないので、Productiveかどうかを共通の合い言葉にすることは、事業体自体の存在意義とProductivityを見直すことにもつながる。マネジメントにとって、事業自体の存在意義を考え、1人1人がProductiveに働けるように環境を整えることは大変高度で難しい仕事だが、それを放棄していてはマネジメントとして失格なのでそれこそハードに考えぬいて設定しなければならない。

ここまで書いてみて、1つ思い出したことがある。それはある日本の伝統工芸の職人にインタビューをしたときのことだが、その職人は「繊細な細かいところに徹底的にこだわって技を磨くのが職人でしょうか」と聞かれて、「職人ていうのは機械では出来ないレベルの製品を均一な精度でどれだけ沢山量産できるかどうかがが職人の技なんだよ」と回答していた。それは思いもかけない視点だったが、結局高品質の製品を作ることが目的ではなく、より多くの人に高品質な製品を使ってもらうことで多くの人に良さを知ってもらい、それで自分たちも稼ぐことが目的なのであって、ただ単に技を追究したいというナイーブな話しではないということだった。その話しは、正に、Productiveかどうか、という話しに直結するように感じる。高度なProductivityの中に本当の技があるというのは、日本にも元々ある考え方なのかもしれない。よくよく考えて見ると、英語の「Work」は、ただ働くことではなくて、出来上がった作品のことも指すことに思い当たりました。日本人のイメージする「ワーク」と、英語ネイティブの人の「Work」はそもそもニュアンスが異なる可能性が高いですね。

ということで、You work very hard!と自分や他人を褒めるのではなく、You are so productive!と褒める思考を、個人的にもマネジメントとしても、より強く意識していこうと思います。

81歳の語録と「粋」。

81歳の職人にインタビューをして、韓国の若い人たちのネットの使い方は凄いね!と語られた。

どうしてそんなことを知ってるんですかと聞くと、テレビを見ていれば情報は入ってくるし、後は直感だと言う。小さな2畳の工房から世界を見ている。頭脳明晰。

諦めとは、「明目」だと言う。明らかに見えること。そこで初めて、諦め、諦観の境地に。明らかに見えるまでやりきって、深く究めてみて、初めて諦めという概念が出てくる。昇るまでは大変だ。根性で突き詰める。昇ってみたら小川だよ。諦めじゃなくて、明らかに見えている、ということ。

今でも仕事したいんだ。一時間でもいいから仕事したいんだ。職人は作るんですよ。詰まるところてめえが食えればいいんだ。商人は儲けるのが仕事だ。そこが違う。

コンピューターは、1から1000までいくらでも作れるけど、0から1を作れるのは人間だけなんだ、とも。

ちょこまか落ち着きのない小学生だって、教えてやるからそこ座れ、と言えばちゃんと座って話しを聞く。自分がやりたいことを教わろうとする人は、素直なんだよ。

なんでも夢中になるんだよ。

こんなことを、たくさん。

言っていることは、全部受け売りなんだよ、と笑っていたけど、全部受け売りで全然いいと思った。

大事なのはその思想、受け取った人の衝撃、自分事に置き換えられたときの思想の進化が、次に伝わっていくこと。そこで救われる人がいること。伝えることをやめて、自分だけのものにして、途切れて、知恵が失われることのデメリットより余程いい。表層の受け売りは問題じゃない。中身がその人自身の体験に置き換えられていれば、それはもう受け売りじゃない。

他人様の考えを、自分が考えました、人がやったことを、自分がやりました、みたいに言う、リスペクト精神の無い人もたくさんいるけれど。

人生とは蓄積だと思った。蓄積された結果のその人の知恵、世界観、歴史観についてのバランス感覚、いろんな問題も人の感情も、理解し、自分自身のこともよく知り尽くした上での、素の自分への許容、人を受け入れる気持ち、それでいて、本質に一歩でも近づこうとする厳しい心、静かで、人を傷つけることの無い、目的に対する、本人だけが持っている激しい情熱。

そういう、深い内面にあるあらゆる経験と考え抜いた思想を踏まえた上でなお失われない若さ、チャレンジ精神を感じさせるもの、それが、人の「粋」なんだと感じた。

最高に楽しい90分。人から人への贈り物。