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日本の個人寄付市場拡大のカギを握る戦略は何なのか?

寄付集めの実績を誇らしげに掲げる寄付キャンペーン実施会社の看板@2012 NTEN in S.F.

寄付集めの実績を誇らしげに掲げる寄付キャンペーン実施会社の看板@2012 NTEN in S.F.

また、NPO/NGOと呼ばれる非営利業界のお話。

 

ちなみに、非営利業界というとそれは何を指しているのか、一体どういう企業体なのか、呼称として誤解/混乱を招きやすいので、僕は最近、パブリックセクター、という言い方をし始めている。

つまり、「公益」のための事業を行う民間団体なので、日本語にすれば民間公益業界、とでもなるかもしれない。

 

という前向きはともかく、最近始めようとしている、この、主に民間公益業界向けに提供していこうとしている事業の絡みで、一体、どういう水準の経済的成功をもたらせば、事業として成功基準と言えるのか?、ということを考えていた。

 

それを考えるとき、よく話しになるのが、日本では寄付市場が発達していないという話し。

引き合いとしてはよく、20兆円もの巨額な個人寄付マーケットが存在するアメリカが引き合いに出される。

そんなマーケットを比較に出されると日本だって3兆円5兆円みたいな世界にいけるのではないかとなんとなく安易な妄想に浸ってしまいそうになるが、果たして本当にそうか?、それは現実的なターゲットになりうるのか?、と思い、改めてラフではあるがマクロに分析してみることにした。

 

まず、寄付市場というとよくアメリカを引き合いに出すが、寄付がお祭り騒ぎすぎるし世帯の所得格差なども参考にならない新大陸国家なので、国の構造や文化として日本とより近い英国と比較してみる。

 

英国の寄付市場は2006年時点で1.5兆円。個人寄付はうち7割なので1兆円強である。

日本の市場は遅れていると言われているのだから、英国の2006年あたりと比較してもまずまず良い指標であろうということで、これをベースにしてみる。

 

そうすると、日本は人口は倍なので、単純計算して2兆円が寄付に行く余地があることになる。「文化の違い」を考慮して思い切り寄付率を差し引いて6掛けぐらいにしても1.2兆円ぐらいいけそうである。

実際には日本の寄付市場1兆円で個人寄付はうち5000億ぐらい。なので、追加で7000億円ぐらい引き上げる余地、つまり今の倍ぐらいに行くポテンシャルは本来あるということになる。でも、逆にいうと、3倍はともかく、4倍いくかどうかは微妙、ということでもある。こう見てみると、米国との比較なら50倍15倍に伸びる必要があるが、それはかなり夢物語だなあ、という現実ラインが見えてくる。ちなみにオンライン寄付額が、米国と同様の5%程度になるとすると、オンライン寄付市場は350億円ぐらいのマーケットになる。

 

次に、実際に誰が寄付するのか、ということを考えてみる。

もちろん、大学生以下に寄付を期待することはできない。ということで、日本の25才以上の人口は9500万人ぐらい。これがまず母体である。うち、子どもが社会に出て寄付余力がありそうな50才以上の人口は6000万人になる。よく言われるように、ここの年代がどんどん増えているのが日本の人口動向だ。

 

最後に、それらの寄付母体に対してアプローチすべき手段を考える。

いま、寄付文化を作ろうという動きがあるがそのメインはオンラインやソーシャルでの取組みばかりだ。オンラインサービスが発達して誰でも意思さえあればネットにアクセスできる時代がきているのだからこれは至極当然の流れである。

ただ、冷静に考えてみると、現時点でネット上の小難しい寄付サービスが、ターゲットに出来そうな25才〜39才の人口は2500万人しかいない。

その10%が継続的な寄付人口になるという驚異的な結果が仮に生まれたとしても、寄付余力としては年間5000円程度が関の山なので、総額で125億円の増加にしかならない。単純計算しても仕方ないが、これを全国5万の非営利団体が分かち合うと、なんと1団体あたり、25万円にしかならない(!)。

となると、いまの、クラウドファンディングだなんだという騒ぎは、この20-30代へ主にアピールしているため(しかできないため)、この25万円を分捕り合うための仕掛けにしかなっていないのだ、と考えてもそんなにズレは無いのではないだろうか。個々の団体でたまに成功事例があったとしても、トータルで考えればなかなか厳しい取りくみである。

 

実は、本当に寄付マーケットを伸ばしたければ、残りの7000万人。特に50代以上の支出余力がある6000万人の中高齢者マーケットにどうリーチし、寄付行為に対するどういうインセンティブを与えるのか。そこをソフトランディングさせる手段を考えなければ出口が無いのではないだろうか。

オンラインでの寄付募集活動以外に目立った突破口が見えない中、一方で大きな財布を持っているのは中高齢者であるというギャップにどうアプローチできるか。

テクノロジーソリューションの提供サイドにいる我々世代は、これを考えないといけない。

それが今日のところの結論。

完璧な感動:オーケストラを見にいこう

ベートヴェン『第九』特別演奏会 by 東京フィルハーモニー交響楽団 場所:東京オペラシティ Dec/21, 2012 大植英治指揮

ベートヴェン『第九』特別演奏会(大植英治指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)

心の底、むしろ全身から感動。

どこかの映画のパンフレットみたいだけど、感動に震えた。

 

12月21日(金)に、ご招待を受けて、東京フィルハーモニー交響楽団の第九のコンサートに行ってきた。

いくつか、小規模な音楽会、には行ったことがあるが、本格的なオーケストラの本格的な交響曲の演奏を聞くのはもう何年ぶりだかもう思い出せない。

 

場所は東京オペラシティコンサートホール

行ったことがある人からすればそんなことは何を今更、かもしれないが、アプローチからして素晴らしい。あの長い階段から既に演出が始まっている。そこを昇る他の方たちも、一緒にこれからコンサートを見るんだな、という微妙な一体感を味わいながらそこを昇る。横にエスカレーターもあるけれど、やっぱり、大きな空間に広がる階段を踏みしめながらアプローチするのが、オペラシティを設計した建築家の心意気が楽しめるのではないかと勝手に思う。

 

いや、絶対に階段を昇るべき。

建築家は故人で、名は、武満徹、というらしい。

 

ゲートをくぐり、レセプションエリアを入ると左手にホールがある。

何気なくホールの扉を抜けると、圧倒的な空間。これも、文字にしたくないぐらいだが、圧倒的。

 

オペラシティの公式サイトの写真が伝わりきらない気がするけど、仕方ないので載せておく。実際はこれの何倍もいい。何がいいって、床を踏んだときの感触が何とも言えずいい。そんなの写真で表現できるわけがないか。だから、行くしかない。

東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

ちなみにホール内は撮影禁止。撮影すると怒られますので注意。僕は見事に怒られた。。

 

有り難いことに招待券で凄く良い席に行かせて頂いたせいか、席に座ると、座席の周りの方はみな、何かしら成功したような人達ばかりで、「社長、うちの社員の人間が今回の衆院選で当選しまして」なんて話しが飛び交っていた。

 

客席の少し照明が暗くなると、オーケストラの方が入場してきて、続いて指揮者の大植さんが入場してくると、意外にすぐに演奏が始まる。曲目はモーツァルトから始まり、後半が第九。

 

演奏が始まってからしばらく、まずは物珍しさに目を凝らしてステージを見ていた。そのうち、視覚にとらわれているいるような気がした僕は、生意気にも耳だけで聞いてみけばもっと音を感じられるんじゃないか、と思って目を閉じてみた。

意外に気持ちに響かない。

 

目を開けてみると、バイオリンやコントラバスの弓の、旋律に沿った激しい動き。それぞれに演奏している方ひとりひとりの表情にある緊張感、特に自分のパートを弾き始める前の構えに入るときの緊張感。意味不明な高速な指の動き。そしてその全体のオーラを引き出している指揮者の全身の筋肉の躍動。こういうのが全部飛び込んでくる。

そういうこと、全体のその演奏の人間臭さも含めた上で完璧を求めていって、いまそこでステージの上でその最高レベルの結晶をただその表現することを目的に表現しようとして全員がそれに没頭している、そういう姿を見ていると、どうして人間は、ただ単に生きるということだけでなくこういうものを生み出したり理想を追究することに時間を費やしてきたんだろう、ベートーヴェンがこの曲を作ったときどういう気持ちで1つ1つの音符を譜面に書いていたんだろう、それを初めて演奏したときはどうやって楽団が組織され、初めてその譜面に向き合った人達は耳の聞こえないベートーヴェンの楽譜をどう読み込んで演奏にしたんだろう、そもそも長い歴史を経て色々な楽器やオーケストラが演奏されるような環境がヨーロッパで生まれて、それが長い年月を経て日本に渡ってきて、沢山の人がそこに未だに情熱を燃やしていて、いまこうやって僕らがその演奏を聞いてまた感動させられていて、とか、いろいろな思いを引き起こされる。

 

こっちも目、耳、皮膚に来る波動、こういうものを全部総動員して聞くから聞くのも結構疲れる。正直言うと、5分ぐらい音楽に没頭して、ふと疲れて、「あと何分で終わるんだろ?」って思ったりもするw。音楽に没入して、オーケストラで癒される、なんて話しがあるけれど、あれはウソじゃないの?と思う。あれは、音を表現してるというより音でストーリーを表現しようとしている尋常じゃない人の緊張パワーの塊が押し寄せてくるのだから、聞いてるこっちも緊張する。第九なんて70分もある。70分間、スパルタ教師の授業受けてるのと一緒。ゆっくりゆったりしてなんかいられない。だから、楽章と楽章の間に、沢山の人の咳払いが聞こえる。あれは、みなが緊張した後の緊張のほぐしに違いない。楽章の間の間がなかったら、みな、ヘトヘトなはず。

そうこうしている間に、ラストのクライマックスへ。

 

最後は、剽軽な大坂のおじさん、みたいに思った、指揮者の大植英次さんの小柄な体が爆発するように激しく動き、それはまるで最後に大玉の花火がドカン!と打ち上がったような感じで、それに即応で会場側からも新年明けの爆竹のように拍手が湧き起こり、鳴り止まなかった。そこにいた全ての人の心がつながった瞬間だった。

指揮者は、いったんステージにあがったら、あれは指揮しているのではなくて、自分のパートの音でしか表現できない演奏者1人1人の気持ちを、体全身で代弁してあげることで応えてあげるというのが最後の役割なような気がした。大植さん、最高。

 

完璧な感動。

 

日本は感性の国だから、オーケストラはこれからも世界水準だろう。また行こうと思う。

Googleはなぜキングなのか。

最近、GoogleのLarry Pageのインタビューを読む機会があり、見事にブレないなと思わされたところ。

そして、今日もそう思わせる記事がリリースされていた。(写真をクリック)

Google to Tackle Mobile’s Fat Finger Proglem

Googleが、モバイル端末上でユーザが間違って広告を押してしまうことにより、意図せず広告サイトに遷移してしまう問題を解決するため、AdMobに新しいテクノロジーを導入し、広告に触れたときに本当にそれが意図的なものなのかどうかを確認するステップを入れられるようにした、というリリース。

Googleが、単に検索エンジンの王者なのではなく、なぜネット広告業界のキングであり続けるのか。

ネット広告ビジネスが次から次へと生まれるのに、結局のところ、Google一社でいいんではないの?と思わせる要因はどこにあるのか。

その答えの1つがここにあると思う。

つまり、普通のネット広告事業会社は、「いかにクリックさせるか」という視点でプロダクトを開発するのに対して、Googleは、「いかに”無駄な”クリックをさせないか」という視点でその広告商品を開発している(ように思える)。

このGoogleのアプローチと、同じアプローチを根本思想にもって広告商品を開発している会社は他にあまり無いのでは?と思う。

これからモバイル広告が増々収益の柱と化していくであろうこの時期に、今回のリリースのような手を打ってくるところが、やっぱりいいPhilosophyを持った会社だ。結局こういうところにその事業そのものが持つエンゲージメント力が内在されるのは疑い無い。

信道の精神で、見習いたいと思います。

われわれが開発しているものは何なのか?

Image

「今後の施策をみなで考えよう」

こういってプロジェクトメンバーで一緒に集まり、みなで考える。

みなでウンウン唸って考える。考える。

何も出てこない。

5時間たち、やっぱりまだ何も出てこない。

出てきたものはありきたりでいまいちみな自分自身納得しきれていない。

まあでもとりあえずこれで進もう。きっとこれが一番のはずだ。よし。取り敢えず走ろう。

 

センセーショナルなデビューを飾ったとしても、それを継続できるチームは少ししかいない。一方、地味にずっと業界をリードし続けている企業や事業は知らないだけで沢山ある。

レディーガガはあっという間に世界の音楽シーンのトップに立った。しかしそれを続けることのほうが大変だ。それを過酷な競争環境の中で何年も続けているのだからレディーガガ・チームはスーパーチームに違いない。

 

おそらくWebサービスに限った話しではないが、プロダクト開発をしはじめると、想定していた利用者の反応と実際が違っていたり、思ったように利用者が集まらなかったり、どこかで一度暗礁に乗り上げるときがある。

一度盛り上がったサービスも、ユーザが飽きてきて、新しい何かを提供しなければいけないのに、みんなで考えてもナイスなアイデアが浮かばない。

そうこうしているうちに事業モーメンタムが縮小していく。売上も下がる。諦めの気分が広がる。短期的な施策を実施し、短期的な結果で終わる。自転車操業のようにまた短期的な施策を考えて実施する。

「もう結構頑張ったし、コンセプトを変えてまた新しいことやろうか」

よく起きることだと思う。

なぜこんなにアイデアに枯渇するのか。前進感なく流されるようにチームは自転車操業を続けるのか。

 

一方で、まるで毎月のように着々と新しい改善を加え、驚くような施策をうってくるサービスもある。アイデアに枯渇している事業は、残念ながらいつまで経っても万年フォロワーである。そんな考えがあったのか!とその成功モデルを取り入れることに一生懸命になる。

なぜリーダーになれる事業とフォロワーになる事業は固定化されるのか。

 

 

ウェブサービスに限らないと思うが、プロダクト開発をしばらく続けていると、開発しているのは機能ではないということに気付かされる。

開発しているのはそれを使う側の人の豊かになる気持ちだったり、そこにアプローチしてくる人のマインドだったり、新しい学びだったり、そういう派生していく内側のものをサービスを通じて開発している。

ここに気付いているチーム、何を開発しているのかをビジョンとして描いているチームは、機能の次元のアイデアに枯渇することは無い。寧ろ、実現できていない施策の山に常に埋もれている。

人の内側にしっかりと刻まれる記憶を開発する。それがまるで一つの生き物のように定期的にシグナルを発する記憶を刻む。

それが究極のビジネスモデル。

ウェブサービスは特に、五感で感じることが難しく、機能開発も簡単に出来てしまう。そのため、「マッシュアップ」したりちょっと手を加えることで開発だと捉えてしまいがちな部分があるように思う。

しかしそれは開発しているのではなく、綺麗に整頓しているだけだ。

 

ウェブ業界に入って8年ほどになるが、サービスにしろ広告商品にしろ、組織体制にしろ、あらゆるものがマッシュアップされ、それを開発だ、企画だ、と言うことが多い。

 

先日プロダクトデザインの現場に入っていったデザイナーの方と話しをする機会があった。

プロダクトデザインはウェブデザインと異なり、まずそもそも三次元になる。

三次元になるとどういうことが起きるかというと、手でさわったり、口で触れたり、体ごとそこに乗っかったり、そういうことが出来るようになる。つまりプロダクトを全身で体感することになる。

同じ用に形を作っても、素材の耐久性や柔軟性、感触など、いろいろな要素があり、それらを学んだ上で適切な選択をしなければならない。そこから既にデザインが始まっている。

それらを全て含んだ上での利用者体験を開発していることになる。

マッシュアップ、しただけでも製品は作れるだろうけど、すぐにそれは在庫の山となって破綻する。ウェブサービスの場合は積み上がる在庫という恐怖が無いので、簡単に隠れ在庫を作ってしまえる。

 

面白いだけでも、便利なだけでも不足している。

人が自然と温かく、心地良くなれるような、気持ちそのものに焦点を当てて、そのための手段としてサービスを作る。

そういうプロダクトは自然とリーダーになる。仮に他に競合がいても、市場を引っ張る双璧、と言われてお互いに切磋琢磨するだけのこと。施策に困ったり、競合に追われたり、市場環境の変化についていけずに自転車操業になることもない。施策は溢れ出る。悩むのはそれをどう実行するか、の部分。

これがビジネスのコアモデルであり、Engagement開発のベースモデルではないだろうか。

開発しているのは機能ではなく、人の内側にあるポジティブな記憶だと思うと、なぜあのサービスは常に先を走り、あのサービスは停滞しているのか、それが分かるように思う。

マッシュアップをしているうちは何も進化していない。そこでのスピード感は、根本的に何も前進していないのだからスピードではない。

人の気持ちのひだに跡をつけるスピードがどうなのかを、意識したい。

Wealth Creation is all about.

(pic from tweet of @benioff)

一度は大統領候補とも噂されたコリン・パウエル元国務長官。如何にも聡明そうで、落ち着きを感じさせるけど、ちょっと茶目っ気もありそうなその顔を、湾岸戦争の頃は何度もテレビで見たもの。

そのパウエル氏がSalesforce社が開催したCloud Force Japanの会場に来場するというので、ちゃんとこの目で見ておこうと思い、割とミーハーな私は行ってこの目で確かめてきました。

Salesforce社の演出はド派手で素晴らしいものでしたが、会場に入ってきたパウエル氏は、まったく気負ったところがなく、爽やかな空気とともにやってきました。

パウエル氏をSalesforce社がわざわざ東京の会場に引っ張ってきた意図はよく分かりませんでしたが、やはり元軍人、政治家らしく、ちょっと普通のビジネスパネルとは違ったレベルの話しがそこでは展開されたように思います。生々しい仕事があって来たのに、仕事から離れた自分たちの人生、仕事の意義を考えさせられる、そこの会場にいたビジネスマンの多くが、話しを聞きながらそんな感覚を味わったのではないかと思います。

あそこで話された話題について、さまざまな感想がtwitterなどであがっていましたが、自分が一番印象に残ったのは、テクノロジーの進化などに伴い、世界のあり方がどうなっていくかについてマーク・ベニオフから問われたパウエル氏が、”wealth creation”が重要なことだと、自然な口調ではあるけれども何度も繰り返していたことです。

世界の全て。企業も、教育も、政府も、テクノロジーも、イノベーションも、人々を貧困から救い、社会の底辺を引き上げ、豊かにするために存在している、という話しでした。それこそが一番大事なミッションだ、ということを言っていました。

Wealth creationというと単に資本主義的に「富を創造」という意味に捉えそうになってしまいますが、パウエル氏が語る口調を聞いていたことで、それが全く違う意味であることを瞬時に捉えることができ、この一言を聞くためだけにでも、わざわざお台場に行った価値があったと思います。

たしかに、なぜ人はこんなに一生懸命働いているのか。

それは自分達自身がより豊かな生活を送り、社会が豊かになり、より理性的で、賢明で価値のある人生を送るために社会全体が一生懸命に働いているし、子どもを教育しているし、経営者は企業を運営しているし、納税者は政府という組織を作り出して支えているんだよ。そういうことが、スーッと心の中にイメージされました。

テクノロジーも、ただ単に便利にしている、ということではなく、何かを豊かにして、新しい文化を創造する一役を担っているからこそ、テクノロジーとなる。そう、私は解釈しました。

人間は素晴らしい。ダメなところも失敗することもあるけれども、それでも1人1人が何とか前に進もうとし、その力の集まりが結果として、ほぼ無意識ではあるけれど、社会の長期的な発展・進化を実現していく。そういう力学を生来の性質としてもっているのだということを、パウエル氏がそれを気付かせてくれたように思います。

人は、人生の中で、何度か思いもよらないタイミングで心に刻まれるような体験をしたり、言葉に出会ったりするものですが、今日の「wealth creation」という言葉は、自分にとってそんな言葉の一つになったように感じます。

感動したので、早速、パウエル氏の本を読んでみることにしました。本を通じて、じっくりその思想に触れてみたいと思います。

マイ・アメリカン・ジャーニー

2012年衆議院選挙:各政党のマニフェストを一部比較してみた

まにふぇすと

一応、今の政権党のポスターですけど、何か色調が暗い。

民主党ただでさえ危機的なのに、このポスターだと希望を感じないなあ。せっかくならもう少し明るいデザインで攻めれば良かったのに。

今回は大事な選挙なのにマスコミの報道は原発とTPPの話しばっかりで全く政策が分からないので、ちゃんと改めて政策を確認しておこうということで、マニフェストを比較してみた。

農業も原発も大事な政策ですが、長期的な日本の成長にとって本当に重要じゃないのかと個人的に思うのは税と経済政策、政府の古い権威構造だという気がするので、その辺りを比較してみたら各党の方針は結構違うようです。

・ネット選挙運動の解禁を明記:
民主/自民/みんな
・歳入庁の設置を明記
民主(2015年準備開始)/維新(時期明記なし)/みんな(時期明記なし)
・経済成長目標値を明記
みんな(年4%)/民主(年3%)/自民(年3%)/維新(年3%)
・法人税率の削減
みんな(20%)
・国会議員削減数を明記
みんな(衆参-322議席)/民主(衆参-115議席)/維新(3〜5割減)
・郵政民営化やJTなどからの経営撤退(株売却)
みんな

議員定数については、今は衆議院480、参議院242となっているので、日本維新の会の定数削減目標は、200〜350議席ぐらいの削減、ということになります。ただし、定数削減だけでなく、参議院廃止まで視野に入れているところが他党と違います。

さらに、「検討」とか「注力」とかそういうことではなく、各党が明確に「廃止」としているものに着目すると結構面白いです。政府は小さければ小さいほどいいという観点でいうとここが大事だと思うのですが、自民党の政策には廃止というキーワードは無いようでした。対象が曖昧なものは省略。

・民主:後期高齢者医療制度、政府系金融機関による中小企業融資への個人保証、連帯保証人制度
・自民:なし
・未来:核燃料再処理工場、、後期高齢者医療制度
・維新:参議院、教育委員会、人事院、地方交付税、公務員の身分保障
・みんな:独立行政法人のすべて、天下り退職金、いくつかの議員特権、減反政策、公務員の年功序列、電力の地域独占、核燃料サイクル、地方交付税、国の出先機関、、等々

など。
地方行政については自民だけ逆で、新しい交付金の創設とか予算倍増、とかが目白押し。やっぱりそこは自民党の考え方なのかなと。

民主党 http://www.dpj.or.jp/special/manifesto
自民党 http://www.your-party.jp/policy/manifest.html
日本未来の党 http://www.nippon-mirai.jp/promise/index.html
日本維新の会 http://j-ishin.jp/pdf/honebuto.pdf
みんなの党 http://www.your-party.jp/policy/manifest.html

ユーザーエンゲージメントとは?

最近、「顧客作りと情報発信」をテーマとしていろいろな会社や団体を回ったり、話しを聞く機会があるのですが、それを繰り返していると、顧客作りにたいする潜在的な欲求がいくつか見えてきました。

 

その中の1つに、「出来るだけ楽に顧客を作りたい」という欲求があります。

顧客作りを担当している担当者はみな非常に忙しいので、出来るだけ楽に顧客作りをしたいと思うのは当たり前のことだと思います。

また、「ソーシャルが出来たので顧客作りが簡単になる」という期待感も多いようです。

取り敢えずやってるというところは多いですが、方針決定をする人達が現場で苦労する人達のことをあまり理解できないまま、ソーシャルやれば何とかなると思ってしまっている例も多そうです。

 

本当にソーシャルは顧客作りを楽にしてくれるのか?

この辺りの、ソーシャルを通じた顧客形成のキーワードとして、最近海外から「ユーザーエンゲージメント」という考え方が入ってきていると思うのですが、少し分かりにくい英語で、少なくとも自分は最初聞いたときは???でした。

試しにエンゲージメントという言葉を検索してみたら、facenaviさんから、Facebookエンゲージメント調査結果、というものが発表されていました。これによれば、エンゲージメントとは、実際にアクションが取られたかどうかの指標だ、ということです。

これについてはマーケターとしては何か分かりやすい数値的指標が必要ということだと思いますが、前提となるエンゲージメントの概念についてはこれから仕事において追究していくテーマにも含まれるものなので、自分なりの解釈を書いておこうと思います。

 

現在、エンゲージメントという言葉が日本でどれくらい市民権を得ているかまだ分かりかねていますが、僕がこの言葉に始めて出会ったのは2010年でした。

そのとき担当していたリサーチ事業において、ボストンで行われた業界カンファレンスに出席したのですが、今後のマーケティングにおいてはBrand engagement, customer engagementが極めて重要であり、リサーチ事業においても、このengagementを生み出す人の気持ちの源泉を探るようなリサーチをしなければいけない、これからはそういうものが顧客に求められるという話しが強調されていたのです。既にそのテーマだけで1つのセッションコースが出来ているほどでした。

自分はそのとき、engagementという英語の言葉の意味がいまいち掴みきれなかったのですが、実は、その時は会場にいた米国の業界の人達も、その意味をはっきりと分かっている人は多くはなかったようです。

有名リサーチャーの講演会場は満席で、会場からも盛んに質問が飛び出していましたが、英語の世界でもこのengagementという言葉を明快に解説する説明は出てこず、伝えたいことや、何となくみなが共通に感じる課題意識はあるのですが誰もうまく説明できない状態でした。まだまだ言葉先行という雰囲気が濃厚に漂っていたのです。

 

なぜ、2010年のリサーチ業界でcustomer engagementという言葉が大きなテーマになっていたのか?

それはfacebookの社会インフラ化が、人々の情報消費行動を大きく変えるとともに、元々存在していたengagementという概念を具体的に実行できてしまう環境を整えつつある、という認識があったことに大きく関連していました。リサーチ業界が上客とする消費材メーカーを中心に、商品展開をする上で商品開発そのものよりもその後のブランドコミュニケーションが重要であると考えはじめていたこと、ブランドコミュニケーションの根本をマスマーケティングではなく個人毎の嗜好に心地良く響くパーソナルマーケティングに置く必要があると考え、自ら実行する事例が多く出始めていたのです。

そこで鍵となったのは、単に「顧客の嗜好に合わせる」ということに加え、「顧客が進んで選択してくれる」ための日々の顧客の生活の中に入り込んだ接点の構築であり、琴線に触れる開発ストーリー作りであり、それを「すぐ隣にいる信頼できる普通の人」が媒介してくれることでした。そして、これら一連のものを全て含む概念としてcustomer engagement、brand engagementという言葉が使われていたのだと、今振返ってみると思います。 単に「顧客嗜好を知る」ということではなく、「顧客自身も嗜好を知らない」「現状にそれほど大きな不満は無い」「嗜好に合わせた商品を提示されるだけでは実は退屈していて、行動には移らない」といった状況に対して、更に一歩踏み込んだマーケティングが必要になっているという時代背景があるように思います。

リサーチ業界において、MROC(Marketing Research Online Community)と呼ばれる調査手法が盛んに研究されるようになったのは、まさにこの一連の流れが出来る過程を経過観察する中から必要なdeep insight(心理洞察)を抽出することが必要だという認識があったからです。リサーチが、決められたテーマに沿ってリサーチするだけで終了するのではなく、その後の企業のマーケティング活動全体と直接連動することを意識した提案が出来るリサーチに変わっていくし、そうなっていかなければ業界価値そのものが失われる可能性がある、リサーチ自体も、エンドの消費者と直接コミュニケーションをしていく中でブランドと消費者の間にengagementが生まれる過程の琴線に触れるスキルを持った専門家集団になっていかなければならない、そういう危機感が満載だったのです。

気がついたらかなりリサーチの話しに寄ってしまいましたが、engagementという言葉が従来のブランドマーケティングに新しく加えた要素は何か。それはつまり「時間」なんだと解釈しています。

わかりやすい例で言えば、婚約をすると、engage ringを交換しますが、engagementというのはつまりそういうことです。長期的に相手に対してコミットするということです。

 

facebook勃興以前から盛んに言われていたバズマーケティング、と呼ばれるものと、customer engagementが生まれる過程やそのためのマーケティングが違うのはつまりそういった部分にあります。バズマーケティングというものが一過性の口コミの拡散であり、衝動的な欲求を生むことを目的にしているという意味ではテレビコマーシャルと大した変わりが無いのに対して、customer engagementという概念に基づくマーケティングでは、長くじっくりと関係を作っていき、信頼を生んでいくことを重視します。それは、もともと大事なことでブランド構築担当者であれば誰でも意識していることだと思いますが、facebookが、その関係値をより日常的で、直接的な距離感のものにしてしまいました。

 

なので、冒頭の期待感に戻ると、確かに、facebookなどは顧客にアクセスする確率を上げました。そういう意味では、楽になっています。また、一旦顧客を囲い込むと、殆どお金を使わずにコミュニケーションが可能になります。そういう意味では、金銭的にはとても楽です。特に中小企業にとってのメリットは膨大です。

しかしここで注意しなければいけないのは、顧客にアクセスできるということと、顧客との距離を縮めるというのはまるで別のことだということ。

そこでは長期的なcustomer engagementが必要で、これは多大な労力が必要です。

但し、大企業も中小企業も、ここのテーマにおいてはみな同じスタートラインに立っているどころか、中小企業のほうが社員からトップに至るまで個人個人の顔が見えやすいので、寧ろ有利に立っている部分もあります。あとは如何にその機会を活用できるか、ということになります。

 

平凡な結論ですが、結局、ソーシャルが可視化したcustomer engagementの世界には、機会の平等はあっても結果の平等はもちろん無いし、新しくやっていかなければいけないことは、お金で解決できるものではない分、却って面倒なものになっているとも言えると思います。後はそれをやりきるだけの覚悟と、本当に自社のサービスを広めたいという夢の本物ぶりが試されることになると思います。長期的に信頼を構築していくことが簡単に出来るわけがないということですね。

 

ところでこの中で具体的なツールとしてfacebookについては上げたのですが、twitterは取り上げませんでした。これが何故かについてはまたどこかでまとめてみようかなと思います。

会社のタイプ考

会社にはさまざまな側面がありますが、事業に対する参入スタンスという観点からも、それぞれの会社の性格を表すことができると思います。

様々な事業を展開している会社であっても、それぞれの事業への参入にあたっての考え方は、それが経営陣の考え方を色濃く反映することから、あまり違わないように思います。

 

という観点から、少し分類を書いてみました。

細かい差はあっても、基本的な行動スタンスとしては、おおよそ、これらのどれかにあてはまるのではないかなと思います。

 

 

パイオニア = 本当にラボ型のベンチャーがこれに当てはまると思います。しかし稀に、大企業であってもパイオニアであり続ける会社があります。そういう会社に根付いている強いDNAは尊敬します。Dream-driven teamと名付けてみました。

カンパニーA = 常に先端市場にアンテナを張っていて、まだ市場があるかないかも分からなくても成長性に焦点をあてて誰よりも早くリスクを取る会社です。Risk-takerです。

カンパニーB = ちょっとでも市場が見えてきたら、あまり大きな絵とかを描くよりもすぐに動いてしまう軽快な会社です。スピード勝負のOthers-driven playerです。

カンパニーC = 市場を見守っていて、それが継続的なビジネス領域となることが見えたころに満を持して一気にセンタープレイヤーを狙いにいく会社です。資本力や強力な営業網をもっていて、既成市場を覆す力をもっているか、そうでなくても持久戦を厭わない会社です。常に長期的なビジネスを見ているBusiness-driven companyです。

カンパニーD = 市場が出来てから、あまりリスクを負わずにうまくその一角に腰を落ち着ける場所を作ることに長けている会社です。小さくても堅実なキャッシュフローを生み出せるMoney-driven companyと言えるかと思います。

 

カンパニーDなど、「いいところ取り」と書いてしまったので悪い感じがあるかもしれませんが、決して、どれがいい悪いという事ではないです。

どんな戦略を取ろうが、それぞれの会社が持つDNAを真っ正面から追究していれば、会社はそこに向かって最適化され、そこに携わる人はみなハッピーになれると思ってます。

事業に対する確信

事業というのは、何かを実現するための手段だという考え方も出来ますが、僕は事業をやるというのは手段であると同時に、限りなく目的そのものだと考えています。

何か社会に対する価値のあるものを達成するという目的があってそれがそのままビジネスになったものが最高の事業であり、だからこそそれに対しては他の何かを犠牲にするだけの愛を注げるし、どれだけやっていても飽きるという事がなく、アイデアはとめどなく湧いてくる。

例えば、子どもを育てるという行為は、何かそれによってリターンを得るという手段ではなく、子どもを育てることそのものが目的ですが、それと同じことだと思います。だからこそ、育児というのは、人にとって最高の事業なんでしょう。その結果、親が何かを得るのではなく、子が社会の中で小さくてもいいから1つの役割を果たし、愛される存在になる。それが一番の結果だと思います。

だとすれば、事業も同じで、事業の規模を問わず、しっかりと社会の中でそれが1つの役割を果たし、関係者から愛される存在になることが、事業をやる上で一番のリターンなのだと思います。

 

とはいえ、事業にもいろいろな起源があったり、やむを得ずやっているというようなものも沢山ありますが、我が子が不良であってもいずれそれなりの大人になってくれるように育てるという方針があればいずれしっかりとした大人になってくれるように、例え事業の現状が目を覆うようなものであったとしても、絶対にそれを変えて、素晴らしいものにしていくということに対する信念と自信があれば、現状は全く問題ではないはずです。

そして、そういう信念と自信をまず事業責任者が持っており、かつそれをチームみなの信念に変えていく中で、事業自体がみなの目的へと変化させていくことが、責任者の大きな役割。

 

そういう意味で、ふと共通項についての整理ができたので、事業の現状というものに全く関係なく、事業組織が落ち着いているべき内面の状態について自分が大事だと思うことを記載しておこうと思う。

 

・事業の役割が何であるかについて確信があり、それが、何かにとってのより良い何か、につながっていることについて確信がある

・事業がいずれその役割を果たすための十分な活動を行っており、いずれ役割を果たす日がくるであろうことに対して確信がある

・どんなに競合がいても、自分たちが常に顧客や社会に対して最高の存在であるための努力を続けており、最高であり続けることに対して確信がある

・その事業の役割に対して携わっている日々が誇りである

 

自分も過去には、いくつかの事業を担当する中で、自分自身は確信を持っていても、なかなかそれをチーム全体の確信に変えることが出来ない、という失敗を経験した。伝えるべきものを適切に伝えるということにおいて、未熟な失敗を数多く犯した。当たり前だと思っていた信頼が崩れ、愛が届かず、心の軸が折れそうになったこともある。いや、折れていたかもしれない。責任者の確信は漠然とした大局観に基づくものであることも多いと思うので、ここのギャップを埋められるかどうかは、ある意味、他の何よりも責任者のスキルそのものと言える。

とはいえ、全ての1つ1つの事業に対して、まずは責任者自身がこの確信を持てるかどうか。それはやはり非常に大事なことだと、失敗から少し時間を経た今、あらためて思う。コミュニケーション力やマネジメント力というのは、その場をうまく治めていくための気合いや調整力とか、信頼を軸に本当の課題を暗黙に先送りすることを受け止めさせてしまうようなスキルではなく、その根底にあるのは事業の将来性、それが果たす役割に対する確信であって、それを素直に表現できていれば、賛同してくれる人も必ず現れる。何よりも、それがあってこそ、1つの方向に向かって黙々と改善と時にはジャンプを重ね、地位を築いていく事業ができあがる。やはり、それが無くては何も進まない。少なくとも自分はそういう人間のよう。

 

迷わず、「信道」の精神で。

平清盛

平清盛。

今年のNHK大河ドラマを、毎回欠かさず見ている。

 

命を懸けた戦乱と権力闘争を、

何十年にも渡って生き抜き、

頂点に上り詰めた人の姿、強烈な信念。

それを取り巻く政治の頂点の人達の立ち居振る舞い、

トップを支える家人の人達の行動、

側にいる家族のあり方。

自分のこれまでの生き方、感じてきたものに照らしてみて、

得るものが毎回非常に多い。

 

今日、8月19日の会で、

遂に太政大臣に昇りつめた清盛。

100日後に自らその職を辞職したというように描かれている。

 

全てが1つの目的のためにあり、

その為に何年も途方も無い深慮の中、張り巡らした戦略、耐え抜いた屈辱。

大きな夢、志のために払った犠牲。

運が自分を向くよう、忍耐を重ね、大義を貫き、

一方でしっかりと実績を上げ、責任を果たす。

 

大きな何かを見据えるということ、

それでいながらその根元は身近な小さなものをしっかりとした愛情で守ることにあるということ、

この2つを妥協せずにひらすらに求め続けるところから、

迷いない進む力が生まれるということを、

感じずにはいられない。

 

自分が何を感じているのかまだうまく言葉にできず、

ただ、学ぶべき題材は世の中に溢れている。