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「コミュニティ」の前提とソーシャル

インターネットが出てきてから、ありとあらゆる形の「コミュニティ」サービスが誕生してきては衰退するというサイクルを繰り返している。

なぜ衰退を繰り返すのかなと考えていたら、ふと、コミュニティ作り、の考えの潜在意識の中の前提が間違っていたような気がしたので書いておく。

「コミュニティ」という言葉はもはやそれ自体が正義のワードとなっていて、もちろんその実態はとても曖昧な言葉ではあるけれど、「コミュニティ」という言葉には独特の=それができたら面白いよね、という引きがあり、「わたしはコミュニティを作りたい」というだけで正しい方向に向かっている気をおこさせてしまうので、これからも延々とこの文脈を標榜するサービスは出てくる気がする。もちろん自分もネット業界に入ってこのかた、メディア作りにおいてはコミュニティを意識しないことは無い。

ネットを離れて考えてみると、身の回りにはありと意識せずともあらゆる形のコミュニティがあって、それらは当たり前のように勝手に押し寄せてくる。家に住めばご近所さんが出来る。学校に子どもを通わせれば学校付き合いがでる。自分は下町に住んでいるがそこにはそこには町会がある。地域活動をはじめればそこにもチームができる。これらはすべてコミュニティであってその瞬間瞬間ではなにしろ時間を使って生で向き合うものなので、結構濃い付き合いのものとなる。

にもかかわらず、コミュニティはある時期が過ぎると突然活動レベルが落ち、消えてなくなってしまうものも多い。ママさんネットワークなんかはその最たるもので、まるで一生のお付き合いになるかのようにお付き合いしているのに、子どもが卒業すればスッと消滅する。たまに理解不能になるぐらいだ。

考えてみると、つまりコミュニティというものは、そもそも人間というのは欲求の塊で、本質的には複数の人が集まれば自然と争いを起こしてしまう生き物なのであって、そうならないようにお互いにうまく生きていき、自分と家族を守るための自然発生的な知恵なのだなということに思い当たる。それは実は、コミュニティという甘い言葉とは裏腹にとても面倒な存在だということになる。だから若者は町から出ていきたくなるわけで。

それが本当の酸いも甘いも吸収した上で、互いの生き様もある程度知り尽くした中で、「まあお互いがんばってきたね」ということを自然に思えるようになるには、コミュニティの活動が3-40年ぐらいの長い年月を経てホソボソと続いていく中で熟成されてくるものなのだろうと、身の回りの下町の生活を見ていると感じる。

そう考えると、核家族化する社会の中でコミュニティに対するノスタルジーな部分がクローズアップされる傾向の強いネット上のコミュニティが常に栄枯盛衰をたどる運命なのも納得できる。つまり、そもそもネット上の向こう側の人とは仲良くする必要が本質的に全く無い。

よく、ネットで争いが起きると「荒れる」という表現が使われるが、ここで、リアルコミュニティであれば、そもそもコミュニティは生きる知恵として存在しているもので、延々と続く(つきまとう)ものなので、仮に荒れても付き合って行かざるをえない。これがネットであれば、「退会」すればおしまい。荒れることは人が付き合いをすれば避けられない性質なので仕方がないが、そこに何の目的と意味があるのか、がネットコミュニティには存在しない。

ネット上でコミュニティを作る努力をする場合、どうしてもサービス運営側は「お付き合い上手の理想の人たちのあつまりの中から集合知が生まれてみんなでそれを高め合って延々と続いて。。」みたいな絵を描きがちだ。

実際にはネットコミュニティはリアル社会ではどうしても発生する葛藤のはけ口になりがちで、「たまたま同じ場所に住んでいる人ではない、理解してくれる好きな人とだけ付き合いたい」という目的で必至に場を探している。つまりノスタルジーの中で描かれる理想のコミュニティ=リアルの付き合いの中から熟成されていくもの、とはそもそも違うものを人は探してネットのコミュニティに来ているのだという前提に立ったほうが答えに近いのではないかと思う。

そう考えると、短絡的かもしれないけど理想の密なコミュニティを作ろうとしたmixiが、もっとドライで疎な誰でもデビュー可能な社交界としてのソーシャルネットワークであるFacebookにあっけなく負けたのも理解できるし、逆に誰にたいしてもコミュニティにおける一員としての自分を見せることを強要されるような感覚がFacebook離れを生むのも理解できる。あれは、あまりうざくない程度にネットワーキングされたマイクロブログの集合体なのだ。

日本の朝と「社畜予備軍」を生産する仕掛け

日本の会社員の朝は遅い。

ちょっと以前は大半の会社が9時出社だったと思うが、大半の人がほぼきっかり9時に出社しようとする。朝は少しでも眠っておこうということだ。

これが最近は9時15分、9時30分、10時と、どんどん遅くなっている。朝の出社時間が遅くなることで喜んでいる若い人は多いと思う。逆に今の時代に9時出社ということでは採用も苦戦しそうな状況だ。

しかしよく考えてみると、朝の出社時間が遅くなるということは、そのまま夜の退社時間の定時も遅くなるということになる。ワークアンドライフバランスが叫ばれているご時世であり、社畜、ブラック企業などという言葉が氾濫していながら、退社時間が遅くなり、ゆったりとしたプライベート時間を持てる時間を削るような仕掛けを歓迎していては、何にしても夜型になりがちな若いうちはともかく、長い目で考えれば自ら仕事とプライベートのバランスを取れない状況に追い込んでいるようなものだと考えたほうがいい。

以前アメリカで仕事をしたときには、17時にはほぼ全員が退社。まだ外が明るい18時ごろには家族や友人とレストランで食事を楽しんだりコンサートに出かけたり、といった光景が日常だった。

でもその代わり彼らの朝は早く、8時や7時に出勤してくる。家に書斎がある場合も多いので、レジャーを楽しんだ後に自宅で仕事、という人も多かった。自分で自分の時間が持てるようにコントロールしている人は多い。

一方、何をバランスしたいのかは人それぞれだと思うが、例えば19時に退社すると、自宅に着くのは20時。そこから楽しめる家族との時間はせいぜい2-3時間。子どもとの会話は殆ど持てないし、夕食を食べる時間も非常に遅くなる。結局、18時ぐらいから21時ぐらいまでの間にどれだけ仕事以外のことに集中する時間を自分次第で持てるかどうかが、クオリティオブライフの向上にはとても大事なことではないかと思う。

朝、遅く出社するとすぐにお昼の時間になるので本来もっとも生産性が良いはずの午前中に、生産量の最大値が物理的に削られている。仲間と一緒にお昼を食べに出かければ眠くなるので午後の生産性も低い=仕事が遅くなり、帰れない。

定時が何であれ、仕事が遅くまでかかってしまうことは常ではありつつ、規定の出社時間が遅いことをもって会社が提供してくれた福利厚生的なものだと考え、嬉しいと考えるのは、「私はこれから社畜になります」と言っているようなものだと、若い人は認識したほうが良いと思う。

石原莞爾と最終戦争論

石原莞爾という人が昭和の軍部にいた。満州事変を起こした。ここまでは少し歴史が好きな人だったら頭の片隅ぐらいにはあると思う。学校で教えられたことは、「満州事変で中国との戦争を引き起こした、先のよめない頭のイカレタ軍国主義者」ぐらいだと思う。

それくらいの認識はあったこの人について、なぜかふと興味を持ち、「最終戦争論」というものにたどりついた。彼が1940年ごろに講演した内容を筆記したもので、余計な脚色のない、彼自身の肉声と言える。

あまり期待をせずに読み始めたが、これが、読んでみるとバカみたいに面白い。戦後の日本の世代に対してある意味封印されてきているのは仕方ないが仕方なくない、化け物みたいな内容である。少なくとも日本の政治家はみな読んでおいて損は無い内容ではないかと思う。

なぜ面白いかといえば、彼が感覚的にとらえている世界をまたにかけた歴史の流れ、それに基づく未来予想が、ことごとく現代にあてはまっているからだ。かつ、彼がこの話しをしたのが1940年、真珠湾攻撃のちょうど1年前ぐらいであり、既に欧州では第二次大戦が始まっている(もちろん日本自身も日中戦争の真っ最中)という、激動の最中に語られたもので、当時日本の政治や軍部に対して大変大きな影響力をもっていたということ。そういった背景を考えると、当時の日本のトップクラスの秀才が何を考え、語り、どう日本の行動に影響を及ぼしたか、どこが封殺されたのか、といったことを窺うことができる。

いくつかピックアップしてみる。

「今次日支事変の中華民国は非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の国民皆兵にはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来た漢民族の悩みは非常に深刻なものであります」

「大隊、中隊、小隊、分隊と逐次小さくなって来た指揮単位は、この次は個人になると考えるのが至当であろうと思います。、、(中略)その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。」

「この次の、ものすごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。」

「一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。」

「(最終決戦では)もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません。

「目下、日本と支那は東洋では未だかつてなかった大戦争を継続しております。しかしこの戦争も結局は日支両国が本当に提携するための悩みなのです」

「アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。」

「統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、安全弁を欠く結果となる。。(中略)統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。」

「最終戦争を可能にする文明の飛躍的進歩は、半面に於て生活資材の充足を来たし、次第に今日のような経済至上の時代が解消するであろう」

「人類の前史は将に終わろうとしていることは確実であり、(中略)今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります」

「人類が経済の束縛からまぬがれ得るに従って、その最大関心は再び精神的方面に向けられ、戦争も利害の争いから主義の争いに変化する、、(中略)即ち最終戦争時代は、戦争の最大原因が既に主義となる時代に入りつつあるべきはずである。」

「発明奨励の方法は官僚的では絶対にいけない。よろしく成金を動員すべきである。独断で思い切った大金を投げ出し得るものでなければ、発明の奨励はできない」

航空機の時代が来ていること、最終兵器≒原爆のようなものの登場が迫っていること、究極の戦争のあとには戦いに明け暮れていた歴史が変わること、経済発展がおき、利害を超えた主義の争いが勃発すること、発明は奨励されるべきで、発明の促進は民間の投資家によって行われるべきであること。これらの思想に石原莞爾が到達したのは1940年よりも大分以前のことのようで、その後の日本と世界の歩みを考えれば、2015年の今にまで通じる的確な予想だというしかない。

一方、明晰であるようで、あくまでも「天皇」が未来の世界の諸国民の中心にあると考え、そこに対する疑問がないこと、中国を讃えつつ今の「犠牲」は仕方がないものだと捉えていること、などは、当時の視野の限界なのか、それとも当時の環境にいればこう判断することが本当の大局だと考えても仕方のないものなのかは、現代に生きる自分達にはなかなか判断のつかないことだ。

そして、大きな戦略を描きながら、まるで曲芸のようにその激しい戦いを生き抜くための戦略を、国家戦略として描くということ自体が無理があるということに気づかないところが、満州事変を起こした彼の姿に透けて見える。

 

 

自民党憲法改正草案(平成24年4月27日)の要点を整理してみた

池上彰さんの「池上彰の憲法入門」を読んで、自民党の憲法改正案を知っておかなければと思い、早速、改正案を読んで、自分なりに気になった点を整理してみた。

自民党は今後も政権を長く務めるだろうし、彼らが目指す世界は限りなくこの草案の中に盛り込まれているはずなので、読んだことの無い人も是非読んでおいたほうがいいと思う。

自民党憲法改正草案(平成24.4.27)

・前文:伝統や歴史があること、それらへの誇りや尊重と継承が憲法の目的として新たに強調される。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないように」というくだりは削除されている。

・第1条:天皇は単なる象徴ではなく、日本の「元首」だと明記される

・第3条:国旗と国歌が明確になり、それへの「尊重」が国民に求められる

・第9条の1、2項:自衛権の行使は認められる。

・第9条の2:自衛隊は国防軍に変わる。

・第9条の2、5項:国防軍は独自の「裁判所」を持つ。

・第9条の3:領土の保全は国の義務となる

・第12条:自由と権利には公益に反しない「責任と義務が伴う」ことを自覚した行動が国民に求められる

・第21条の2:「公益」を害する活動、結社は表現の自由の対象外となり、禁止される

・第24条:「家族は互いに助け合うこと」が国民の責務になる

・第25条の2:国が「良好な環境」を提供するために「国民が協力すること」が義務になる

・第25条の3:在外国民の保護に努めることは国の義務になる

・第56条:議員の1/3の出席で議決ができる(↔過半数)

・第63条:大臣は議会から答弁を求められても欠席して良い場合がある

・第83条の2:「健全」な財政を維持することは国の責務として明記される。

・第92条の2:地方自治の公平な負担は住民の「義務」になる

・第92条の3:国と地方自治体は「協力しあうこと」が求められる

・第99条:「緊急事態」が宣言されたときには国民は国の指示に従うことが必要になる

・第100条:憲法改正は両議院の「過半数」の賛成で国民投票にかけることができ、「投票者の過半数」の賛成で成立する

・第102条:「憲法を尊重」することが国民の義務になる

良いか悪いかは実際の運用に依ることになるが、全体的に伝統的と言われる価値観の尊重や、国が進めることへの協力を地方や国民に対して求める項目が増えている。

また、戦争を引き起こした当事者だったのでその反省の中から憲法を作った、という考え方は、消えてしまったように見えなくもない。

追加されたり修正された理由がよく分からない条項もいくつかある。突然現れた必要性の低そうな条文で、背後にある各省の思惑を感じるものもある。

中身についてはこれを機に政治の流れも見ながら考えてみたいと思う。

ただ、自民党がいろいろな人の意見を取りまとる困難な作業を完遂し、具体的な改正案を作ったこと自体は、政治的リスクを踏まえてもやるという明確な意図を感じるし、それが政治だと思うので、素晴らしいことだと思う。

原爆投下を反省するべき的なもの

アメリカ国民5割原爆投下間違っていなかった。松本人志がキレて号泣。

定期的に出回る、「アメリカ人は原爆を反省していない」的なネタはなんなんだろう?

なんどアンケートとったところでその意識が変わるわけがないし、逆に、日本人は重慶爆撃を反省していますか?なんてアンケートは見たことがない。無差別爆撃という本質は何も変わらないのだけど、日本だけがアンフェアに叩かれたかのような見方こそが戦後から抜けられない=負けた=自分たちが間違っていた、ということを受け入れられないということに見えてならない。

日本でこの議論が巻き起こるとき、たいてい、原爆という兵器そのものに対する人道性を非難している論調なのだが、いまどき人道性にもとる兵器は地雷も含めて数多くあり、日本政府も原爆廃止に向けた強力な動きをしているとは思えない。実際には、このネタを話題にする人はアメリカ人が科学の圧倒的な力で日本を木っ端微塵にしたという事実に対して、論争を通じてアメリカ人に一矢報いたいだけだと思う。

戦争に関しては、敵も味方も沢山死んだのであって、どんな政治的状況にあっても、それが相手の謀略に乗せられた結果だとしても、トリガーを引いてしまった政府とその決裁者がその全責任を負うべき。どんな大義名分があったとしても、絶対にトリガーを引いてはいけない。それが簡単に力に頼ろうとしたのが戦前の日本だし、そういうことは断じてしてはいけなかったのだ、というのが戦争の教訓だと思う。過程に関する事情は理解することができても、決断は正当化できないのだ。

軍事施設だけを叩き合って決着がつく戦争なんてもう起きないのだから、原爆という一つの型の爆弾は、それが爆弾として人類の滅亡に直結する力を持っているだけであって、むしろそれは、腕力に頼る世界を繰り返してきた人間社会が、それをおいそれと使えなくしてしまったという意味では人間に対する究極のギフトですらあって、その善悪論は枝葉末節なのだ。

日本は集団的自衛権を考えている場合ではない。

いまの憲法は、アメリカによって作られたものだから日本人が変えなければいけないという議論があるが、何が起きても一切の武力行使を放棄し、諸国の国民の信義を信頼して行動する、という憲法の大方針は、アメリカ人に強制されたものではなく、それが、当時の日本人の心にとっても大いに受け入れられる結果だったのではないかと思う。

自分はいまの日本国憲法前文がとても好きだ。

Religions that drive the battles

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My view of simplified images of some religions and faiths that have been driving the world from the ancient.

It is so ironic that the religions are always the cause of troubles and bloody battles while all ask for a peace.

I feel I need to learn more especially about the truth of the Islamic world, behind many propaganda and news made for and by the western world.

アップル、グーグル、マイクロソフトの本質?

アップル、グーグル、マイクロソフトの3強の本質をマイクロソフトのCEOが解説したという、この記事。

MicrosoftのCEO、サティア・ナデラ、Apple、Googleと比較して自社の本質を的確に指摘

彼はAppleはデバイスを売る会社、Googleは検索エンジンの会社、マイクロソフトは開発する能力を与える会社だと言っていて、記事は本質を的確に言い当てているというような書き方になっているが、果たしてそうなのだろうか。むしろ殆どの人が違和感を感じるのではないかと思う。

マイクロソフトだけは誰かのためのプラットフォームを作っているんだ、みたいな言い方をしていて、ポーズなのかもしれないが、本質を語っているとは思えない。

自分が思うに、この3社は3社ともテクノロジーを売る会社なのだが、それぞれがテクノロジーを追求する目的がそもそもことなっているのであって、本質はこうではないかと思う。

 

アップルは、魔法を売る会社だ。

アップルはあらゆるテクノロジーを魔法でコーティングして出すことに長けていて、そもそも魔法を生み出したいという集団である。顧客はみなその魔法の一部になりたくて高い商品を買う。そういう意味ではこの会社はエレクトロニクス業界のディズニーである。魔法の化けの皮が剥がれたと感じさせたらこの会社はおしまいである。

しかしこれだけアップル製品が普及していても業務用の分野では依然としてアップルが普及しないのは、多くの人にとって魔法は不要なコストだから、ということに尽きるように思う。

 

グーグルは情報を売る会社だ。

この会社は人が知りたい情報を提供することを徹底的に追求していて、そのためのツールが検索エンジンだ。なので最悪検索エンジンがなくても情報さえ提供できれば会社としては存続意義があるが、実際には検索エンジンが無いとインターネットの情報の洪水の中では話しにならないので、やはり検索エンジンが大切な存在となる。そして人による情報の仲介を軸とするソーシャルはその対岸にある新型検索エンジンなので、ソーシャルをグーグルが欲しがるのは当然の成り行きということになる。

 

マイクロソフトは何だろう?自分はマイクロソフトは効率性を売る会社だと思う。

マイクロソフトの製品が今まで売れてきたのは、多少かっこ悪くても気にしない圧倒的な業務効率性を、誰でも簡単に扱えるレベル感で生み出してきたからだ。つまり新幹線ではなくて彼らは山手線をひたすら提供する。

マイクロソフトが落ち目になってきたのは、下手に「魔法」にあこがれてしまって、マイクロソフト製品も魔法を演出したいと思ってしまったことに尽きると思う。実際にはPCがなくなることはないのに、WindowsもOfficeも、中途半端な魔法へのあこがれのために、肝心の効率性の追求の部分がめちゃくちゃなことになってしまった。

彼らは徹底的にビジネス効率を追求してWindowsを設計するべきだったし、モバイルへの投資としてはNokiaではなくてBlackberryやMotorolaを買えばもっと良かったんじゃないかと思う。

若干リサーチ業界にも身を置いてきた人間としては、大量の調査予算を投入しているマイクロソフト社の調査依頼にたいして、リサーチ業界はいったいどんなアウトプットを返していたのだろうかとも思ってしまう。

 

己を知り、敵を知れば、百戦危うからず、というけれど、自分自身にしても、組織にしても、本当に己を知ることは難しい。

責任。

あまりにも刺さる言葉だったので全文メモ。

 

さて、時々「オレはこの仕事から降りる」なんていう人いますよね。
「こんなんじゃ責任取れません!」とか言ったり。
ぼくはこういう人をうらやましく思えます。
いいなー、すぐ降りられて。
なんちゃって。

そのそも責任って何でしょうか。
責任ある人ってどういう人なんでしょうか。
ぼくは、気楽に降りられないこと、なんだと思うんですよ。
降りられないから、仕方なくでも踏ん張らざるを得ない。
踏ん張るからなんとか責任を果たせる。

だから、安易に「仕事から降りる」という人は気楽に思えちゃうんです。
「責任取れない」という人は、もともと責任なんかない人なんですよ。
責任がないから気楽に降りることもできるんです。
その代わり、そんなことを繰り返しているといつまでたっても腕は上がらない。

降りられないから、踏ん張らざるを得ないから、泣きながらでも何か打開策を探る。
過去の経験を生かしたり、多くの人の力を借りたり、知恵を出して解決への道筋を見つけていかなくちゃならない。
そういう努力をするから、腕も上がっていくんだと思うのです。

藤原和博『新しい道徳』ちくまプリマー新書\760-にこうありました。

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あなたが「夢」を追うためにも、もっと「自由」になるためにも、技術と経験を蓄積するのが王道なのである。
このとき、大事な言葉がもう一つ。
「自由」の裏腹である「責任」という言葉だ。
「責任」を引き受ける仕事の仕方をしなければ「技術」は蓄積しないだろう。
「経験」の蓄積も豊かにはならない。(158p)
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誰だって逃げたくなるような仕事はあります。
自分がそうなら他の人だって逃げたくなっているんです。
それを踏ん張って解決するから、技術と経験は蓄積し、他の人からのクレジットレベルも上がる。
逃げていたらダメですよね。

技術と経験が蓄積し、他の人からのクレジットレベルが上がっていくと、やりたいことがやれるようにもなれます。
やりたいことがやれる、すなわち「自由」です。
世の中にはまったく同じことなのに、それが許される人と、お前がそれをやっちゃマズイぜ、という人がいます。
それはクレジットレベルの違いなんですよね。

だって、結果に違いが出るからです。
クレジットレベルの高い人なら、困難があってもそれを克服して成功に導いてくれる見込みがある。
そうじゃない人は、またこの仕事から降りちゃうじゃないかって思われちゃう。

いい結果を出してくれる人と、中途半端で投げ出しちゃう人と、どちらに重要な仕事を任せるか、自明ですよね。
藤原さんはこうも言います。

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「責任」に裏打ちされていない「自由」は、ただの「奔放」にすぎない。(158p)
「責任」を引き受けて、はじめて、その「自由」な行動はクレジットに変わる。(159p)
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責任に裏打ちされていない自由なんか、意味がないってことですね。
子どもや若い人はよく「オレは自由に生きたいんだ」なんて言いますが、それは責任逃れでしかありません。
責任を引き受けて、嫌なこと、困難なことに出会っても、そこから逃げずに、ジタバタしながらも踏ん張って、知恵だし汗だしするから、自由も得られるということなんだと思います。

100年単位での都市開発と人の記憶

神戸ポートアイランド-ホテル付近空き地

神戸ポートアイランド-ホテル付近

自分の実家は神戸のポートアイランドにある。

ポートアイランドは、高度成長期に神戸市が可住地域の拡大を求めて計画し、80年代に完成した海上の人工島であり、東京のお台場などを含むその後のあらゆる日本の人工島/海上都市計画の模範となった場所である。当時、神戸市の大事業は、「山から海へ」ともてはやされたとされている、

1981年にはそのオープニングセレモニーとして「ポートピア博覧会」が開催され、海上に建設された当時としては圧倒的にモダンな高層マンション群には大量の住民がなだれこんだ。ポートアイランドには島内を巡る最先端の無人列車が走り、ポートアイランドの埠頭に建設された当時世界最大級のコンテナターミナルにはいくつもの巨大ガントリークレーンが設置されて大量の海上物流を支えた。その頃神戸市は絶頂期だった。

それだけではない。ポートアイランドに建てられた住環境と一体になった商業施設、よく設計された遊びやすい広大な公園、ヨーロッパなどの先端教育事情を学んだ校長を迎え、開放的な作りを取り入れた学校施設など、ソフト面でもポートアイランドは当時の最先端をいっており、それはおそらく、日本人にとって当時憧れだった「欧米風ライフスタイル」を体現した住環境だった。

その後、神戸市はポートアイランドよりも更に広大な敷地を持つ「六甲アイランド」を完成させ、それだけでもまだ足りないとばかりに1987年には「ポートアイランド二期工事」を開始する。完成したのは2005年。

いま、ポートアイランドは竣工後30年以上が過ぎ、高齢化が進んでいる。人口もピーク時より減少に転じ、第1期工事区内にあった島内の商業店舗はその大半が閉鎖され、閑古鳥が鳴いている。大規模な商業施設としては今はダイエーが1軒、細々と営業を続けているだけだ。

ポートアイランド2期工事によって拡張された区域に関しては開業当初から惨憺たる有様となっており、膨大な空き地が広がっている。2期工事区域だけでなく、その沖合にある神戸空港の敷地も含め、資産処理に困った神戸市が実績作りのためだけに土地を叩き売っているが、それでもまるでテナントが入らない状況がもう10年以上続いているのが現状だ。

先端医療研究都市という標語を掲げる一方で、すぐ横にある旧「神戸市民病院」は、メンテナンスも滞って民間に売却され、現役の病院でありながらまるで廃墟のような外壁を晒す姿に変わってしまった。

確かに、1995年に発生した阪神大震災は、神戸市の事業計画を大きく狂わせたのは間違いない。復興が必要になっただけでなく、その間に産業や物流拠点としての神戸の役割が失われ、神戸に対する人の憧れも過去のものになった。それでも、今、ポートアイランドに見られる空虚な環境は、地震の災害による影響だけによるものではない。未だにこの土地の店舗閉鎖は続いており、年々空疎化が進んでいる。それは、神戸市の本土地域においてかつてとは違う形とはいえ、復興が進んでいるのとは対照的な状況だ。

今、ポートアイランドにあるのは、誰の帰属意識もない「住んでるだけ」「働いてるだけ」「通学してるだけ」という土地に見える。お金を追い求めて行われた野放図な開発行政の一方で、本来あるべきコミュニティ作りという部分が疎かになり続けた結果が、今のポートアイランドだ。

かつて大量の人がショッピングに訪れ、にぎわったショッピングセンターは閉鎖され、島のシンボルだったホテルの周りは空き地になってしまった。冒頭の写真がその空き地の様子。

なぜこんなことになってしまったのか。

人工島は、行政にとってはビジネスを目的とした土地でしかなく、保護すべき土地としては考慮されていない可能性がある。しかし、そこで育った人間にとっては故郷であり、幼少時の記憶が詰まった土地だ。それが無惨な姿になっているのを実家に帰るたびに見るのは、非常にせつないものがある。

とはいえ、商業施設には栄枯盛衰があり、多少の入れ替えも仕方ない局面もあるのだが、もっとせつないのは、子どものころの記憶と連結したものが消失してしまっているという事実に直面することだ。

南公園

南公園

この写真はポートアイランドのかつての沿海部にあった「南公園」の残骸である。正確にいえばそこは今も南公園なのだが、この写真の手前にあった「ポートピア遊園地」は閉鎖され、代わりに巨大な「IKEA」が立っている。しかしそれよりも悲しいのは、この写真に見える道路だ。この道路は、かつて一続きにつながっていたこの公園を情け容赦なく直線的に分断し、向こう側を広大な野球場に変えてしまった。

かつてこのポートアイランドを設計した人は、島内の全ての公園を実に美しく仕上げていた。この公園にも、斜めにくねった散歩道が整備され、手前に見える青い部分はその終端部に位置し、神戸の海岸線の美しさを示す噴水になっていた。そして、公園からはすぐ南側に広がる海を見ることが出来、カップルやファミリーのくつろぎの場になっていた。

しかし、ポートアイランド二期工事が始まり、南側の海は遥か遠くへと遠のいてしまう。かつて海の波を防いでいた巨大な堤防は単なる陸上の障害物になり、その向こうに土地が延伸された。

本来、海上の景色と一体になってその存在価値を示していたこの公園は、ただの中間地点になり、人通りが途絶えた。公園に隣接していた遊園地も「海が見える」という特徴が失われ、大きく魅力を減らした。二期工事後の土地が全く売れず、土地が余っている様子を覆い隠すように付け刃的に南公園の南側に更に別の公園が作られた結果、公園自体の姿が大きく変容してしまい、施設の密度も無くなり、何のコンセプトも無い野原になった。広すぎる公園に対して適切な管理を施すことが困難となり、草むらはジャングルに変わっていく。更に人口減少と高齢化が始まり、人が来なくなってしまった。

それでも、子どものころ、この公園に学校の遠足で何度も来ていた自分にとってはここは思い出のある土地だった。が、その土地を容赦なく直線で横切る道路に、自分は衝撃を受けた。写真だけではそれは分かりにくいが、そこで育った記憶がある人がそこに立てば分かるはずだ。まるで、幼少時代の自分自身を斧でまっぷたつに断ち切られたような感覚を覚えた。だから、自分は、戦後の混乱の中で壊滅した都市から新しい町を作り上げていく中で大量の記憶を失ってしまった人達のことが想像できる。例え生活の向上が引き換えに実現されたとしても、生きている間に記憶の中にあったものが失われ、何の感傷要素も無く上書きされることはなかなか耐え難いものだ。

このポートアイランドの現状は、都市計画というものがどうあるべきかを、端的に示すものだと思う。

町は、それが町であり続けるためには、常に活力の源である人が流れ込む必要がある。一定の人の密度がなければ町は成り立たない。そして町には、そこに住む古い人、新しい人の双方にとって、常に記憶の拠り所となる「何も変わらないもの」が必要だと思う。それが、文化であり、土地の帰属意識の軸となる。それが無ければ土地に対する愛着は生まれず、土地を育てていこうという気運も生まれない。

この、帰属意識をどう育て、捨て難い記憶にし、伝えていくのか。町の建設計画は常にどういう人の記憶と文化を作っていくのか、ということと一体になっていなければいけない。そこは決して変わってはいけない。20年30年の月日とともに、世代の記憶が積み重ねられ、年が経つほどに増々魅力が増し、また新しい若い世代が育って新たなよりどころにしていけるようなものを作らなければいけない。

これに関連して、日本では、「神社」がその大きな役割を果たすという話しを聞いたことがある。

実際に、新しいニュータウンが建設されたとき、そこに神社を作った場合と、神社が無い場合では、その後の土地の盛衰に大きな影響を及ぼすらしい。神社があれば、土地に対する土着的な愛着と信仰の拠り所になり、祭りも生まれ、大切にしようという気持ちが生まれる。これは、日本人が古来持っていた知恵なのかもしれない。

今度、神戸で地域政党が立ち上がる。

東北の震災はまだ復興の途上。

そして、東京都知事選では、オリンピック「後」についてのケアを求める声があがっていた。

“オリンピックで経済を活性化させるのは良いが、閉幕後の東京もしっかりと考えてもらいたい。壊して、作って、壊しての繰り返しは見たくない。

まさにそう思う。

都市開発計画を建てるあらゆる行政、政治家、建設会社の方には、ぜひ、ポートアイランドの惨状を視察してほしい。そして、あれを繰り返さないようにしてほしい。100年単位で何世代に渡って積み重ねられる人の記憶と文化の育成を、都市計画の中心に据えてほしいと思う。

“海外事業”の型、人材、展開タイミング

Airport take off by Christian Haugen

Airport take off by Christian Haugen

国内からスタートして、後からグローバル展開する事業には主に2つの型があるようだ。

M&A戦略による取り込み型を除くと、自社展開としては1つは既存商品の営業範囲を広げるだけ、というレバレッジ型の事業。もう1つは、新規に商品から作っていく事業。この2つは、同じグローバル展開でも全然違う。

前者は、まず商品に対する投資がほぼ必要なく、いきなり販売を開始できる。つまり原則的には日本のコピー版組織を営業面にフォーカスして作っていけばよく、黒字化しやすく、ニーズのある無しも比較的早期につかみやすい。

後者は、商品から作る必要があり、かつ、現地需要に合わせていく必要がある。これは現地事情を肌感で理解できない「外国人」には基本的にハードルの高い作業となるし先行投資がかかるので重たい。

従って、この2つについては、投入するべき人材も違うんだなと、いろいろな会社の事例を見ていて感じる。

前者は勢いのある若手人材を抜擢するのが良さそう。シニアよりも若手が必要なのは、既存概念にとらわれることなく攻撃的にアカウントを開拓し、新しいニーズも拾いやすいから。根本的な商品価値は既に完成されているから、このほうが商品力を拡大する上でも意味がある。

後者については、可能な限り国内事業で大活躍した実績のあるエースクラスを当てるべきだと感じる。これにはいろいろな理由があるがまずそもそもニーズの把握から行う必要があるので経験値の高い人材のほうがどこにニーズがあるかを把握し、必要な事業スキームを組むなど、ゼロからある程度合理的だと考えられる形を作るのに短い時間で作りやすい。そもそもシニア人材でなければ現地の重要顧客が会ってくれない。などの理由がある。それに、海外展開するときにつきものになるリーガル対応、資金繰り、採用なども、シニア人材のほうが勘所があるから新規事業にあわせて作り上げていける。

しかし、エースクラスを投入する最も重要な意味は、所詮、グローバルでの事業展開という戦略が、国内でも熾烈な競争の中で日々奮闘している人達にはお遊びに見えてしまいがちなところを、それを、実績のあるエースが自らやっているという構図であれば、納得感も、恊働感も出せるというところかなと。

基本的にどのような会社にとっても、海外展開といっても社員にはピンとこないのが殆どの人の感覚だと思う。

良くて「ふーーん」、普通は「そんなこと必要あるの?」「もうかるの?」とみな内心思っているはず。

日本は国内市場が大きいし、何よりもそこには緊急性の高い課題が多いのだから、その反応は当たり前だと思う。

「そうだよ、やるべきだよ!」などと思う人はむしろ頭がおかしいか、海外バカか、状況を把握できていないだけかもしれない。

海外で事業を展開する人達は、そんな反応は当たり前のことだと思った上で、そんな反応をものともせずに、新しく独立した別会社、別チームを創業していく気合いが必要。

 

というわけで結論、ゼロベースの事業を作っていくならエースクラスな人がどんどん海外の成長市場に出ていき(海外がその会社にとって重要な成長市場だと思うなら、ですが)、自ら大きな布石を敷いていくべきだと感じる。そしてそこで得た体験を国内に持ち帰り、次のエースに伝えていく役割があるように感じるこの頃。

事情があって、エースクラスでそれができなければ、トップが自分で行くしかなさそう。つまりそれが出来るタイミングがグローバルに出て行く絶好のタイミングかもしれない。