『おたがいに修行をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、』
これは、『道をひらく』(松下幸之助)、におさめられている、
『恵まれている』
の中の一編。
今朝読んで、心にすーっと、沁みた。
文中にあるように、
人は日々家族や他人から、恵みを受けていきている。
日々、ただ死ぬ心配もせずに、「いかに成功するか」「如何に楽しく生きるか」だけを考えて生きていれるだけでも、恵まれているのは間違いない。
それでも、どうしても、「もっと成功したいのに成功できない」「あれもこれもしたいのにあれしかできない」という、できないのほうに目を向けてしまう。
「感謝してます!」と言ったそばから、一方でどこかに不満を抱えていたりするもの。
よく、電車の駅で駅員に詰め寄ったり、
レストランやお店で店員のサービスの質に文句をつけたり、
そういうことをやってプンプンしている人を見かけるが、
こういう人達は、自分は◯◯なサービスを受けるべきだと勝手に決めていて、それが提供されていないほうに目を向けている典型的な例と言える。
そういう状況を見ると、多くの人がその理不尽な要求ぶりに目をひそめて「そこまで言わなくてもいいのに」とは思う。
ただ、それは程度の差でしかなくて、こと、自分自身のことに関わるとなると、やはり多くの人が過大なことを期待し、それが提供されない不満のほうに目を向けがちになると思う。
結局、本質的には駅で駅員をどなりつけているイライラサラリーマンと何も変わらないんだろう。
自分は、
だからといって、
「ありのままの境遇をまず受け入れてみよう」
とか
「その中に楽しみを見いだす努力をしよう」
とかは言いたくない。
ただ、
自分のいまある環境は、
それがつつがなく動いていると自分が勝手に思いこんでいる部分については親、家族と社会に支えられていて、
そのつつがなさを超えて何かを成し遂げたいと思う部分については、
単純に自分自身の努力によるものだということを、
いつでも素直に受け止められて、
心と体が一体となった自然な行動を出来るようになりたいものだと、
あらためて思う。