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投資するということ。

3年前に僕は会社を作る、という選択を行い、そして失敗した。今、3期目の決算をしているが、おそらく、この会社の決算業務を行うのは今年が最後になるだろう。

失敗から学ぶことは多いというが、事業をたたむことになってから5ヶ月、まさに今、この3年あまりの間に繰り返してきた数々の失敗の意味を振り返ることができる自分がいる。

実を言うと、起業をするその直前まで、自分は起業ということをまともに自分事として捉えたことがなく、会社員としての人生が自分の人生だと何の疑いもなく考えていた。もっと厳密に言えば、起業してからもまだ自分事として捉えられていなかったというのが真実であり、失敗して初めてそのことを理解している。

会社を失敗させ、関係者、特に何人かの共同創業者の人生の1-2年を無駄に過ごさせてしまったという取り返しのつかない悔恨。妻と2人で築いた資産を大いに減らし、妻に不安な思いを抱かせるだけで何も返せなかった自分。自分は何の価値もない人間なのではないかという絶望に繰り返し襲われる日々。多分そんな日々はこれからも続くのだと思う。しかし、不思議なことに、そんな中で漸く起業する、ということの本当の価値、意義がうっすらと見えてきたように感じている。実際に起業しているときには不安しか感じなかったことに対して、また次の機会があればチャレンジしてみたいとも感じている自分がいる。ただし、自分という人間の本分、役割がより明確に解った今、仮にそのようなチャンスがあっても形も、入り方も、3年前とは違うことになると思うが。

失敗した人間に語る資格は無いが、これは未来の自分に対する戒め、アドバイスとして書き留めておきたい。

起業とは投資である。自分が持つ理想に対する投資であり、それは同時に社会が発展を続けていくという社会全体の期待に対する投資である。誰かに投資してもらうものではなく、自分が投資するものだ。

だからこそ起業家は頑張れるのであり、信じるものを広げられるのであり、その先には必ず誰かの役に立てる未来があると信じられるのであり、それに対して共感する仲間が集まれるのであり、みなで苦しい時を耐え、達成の喜びを分かちあえるものだ。

人にはそれぞれ関心事があり、それに応じて様々な起業の形があると思う。だが、自分は情熱を注げると感じられるだけのミッションを感じなければ動けないタイプの人間だ。

だが、理想はあれば叶うものではない。むしろ最初から徹底的につまづくもの。それは最初から覚悟して、常に大きな時間軸の中でのパルスだと捉え、長期的に着実に歩みを進めていく覚悟で望まなければならない。理想の達成はそんなに簡単なはずがなく、顧客の利益を考え、社会の利益を考えれば、理想を追うことは永遠に続くのであって、立ち止まる瞬間があるわけがないから。

自分の欠点は、サラリーマン根性が染み付いた結果、常にせいぜい2-3年程度のスパンでしか物事を考えていなかったということだ。実際は、本物の事業であれば100年単位、少なくとも10年スパンで考える必要がある。それが、顧客に対する責任というものであり、自分が信じる「誰かのため」には「それを提供し続ける」という責任が伴うことをリアリティをもって考えなければならない。イノベーションは、いつまでもイノベーションであってはならない。最後にはコモディティになるべきものなのだ。

振り返れば、ある会社の海外向け事業子会社をやったとき、不思議なほどに良い仲間が集まってきた。いい人だと思えば情熱を持って口説いたし、説得に失敗したことが無かった。会社は常に赤字で、傍から見れば厳しい事業だったが、自分自身は事業の将来性に対する確固とした見通しを持っていた。唯一懸念していたことは、その事業の見通しについての肌感を持てる人間が自分しかいないことが分かっていた中、適切な投資を適切なタイミングで実行できるように、経営層を説得し続けられるだろうか、という内部営業の部分だけであり、チーム内部からも不安が何度もあがってきていたが、対外的に最終的に成功するというイメージがそれによって揺らぐことはまるでなかった。

この数年、自分はあの時のうまくいっていたときのイメージを、単に自分は失敗を知らず、恐れを知らなかったためだと解釈していた。しかし、本当はそうではないことを最近思い出した。本当は、あのときの自分を迷いなく走らせていたのは、その子会社を設立したときに持っていた経営理念だったのだ。

海外向け事業を始めるにあたり、まずマーケットを知ろうということで自分は各国の事前調査を行う出張をした。表向きの理由は市場感を知る、ということだったが、実は内心、当時既に国内外で何社も同じ事業で先行している会社がある中で、周回遅れで二番煎じな事業を始めることに大きな不安を感じていた。もともと商社出身でその海外展開の事例をいくつか見てきていた自分は、単に日本企業が現地企業と単なるシェア争いを繰り広げるような事業はやりたくなかったのだ。その思いは、出張を重ねるたびに強くなっていった。どこにいっても先駆者の存在があったからだ。

あるきっかけがあり、その気持ちがふっとかき消えた。それは、ソウルで「東横イン」を見たときだった。

東横インは、日本とほぼ変わらないあの箱舟のようなホテルを韓国で展開していた。韓国にも普通にありそうな格安ビジネスホテルが、海外展開することの意義を感じられなかった自分がそこに宿泊してみると、ホテルの部屋には、日本から持ち込んだ日本のままのあのコンパクトながら機能的で便利な部屋があり、そしてその快適さをぜひ味わってほしいという、ホテル側の思いが書かれたチラシが置いてあった。それを見て、自分の思いが急激にまとまったのを今も鮮明に覚えている。

一言で言えば、他社がどうだから、ということはどうでも良くなった。それよりも、日本で培ったノウハウを活かして、自分たちのサービスの利用者、顧客だけを見て、その人たちに対して最高の価値をもたらすものを提供することだけにフォーカスしようと思ったのだ。その当時の先行他社のサービスが、決して最高とは言えないことは明らかだった。

その結果できあがったのが、「Empower people, empower Asia」という、事業そのものとは一見まるで関係のないミッション・ステートメントだった。だが、自分にはこれこそがその事業を行う意味だった。僕達は、ただそこにマーケットがあるから事業をスタートするんじゃない。新しい価値を作って、アジアの人たちのため、アジアの発展のためにこの事業をやるのだという意味をこのメッセージに込めた。

その結果、全ての事業運営の軸にある理想は、このキーワードになった。このキーワードのもとにサービスを運営し、このキーワードのもとにチームを採用し、キーワードを体現するために必要な運営を行った。迷いが出てきたときにはここに立ち返ってメッセージを出した。このキーワードのもとに自分たちの意義を発信した。その時、取るに足らない小さなチームだったけど、自分たちのチームは業界で最高のチームだし、これからも発展していくという確信があった。中心にあった概念は「愛」だった。チームに対して愛をもち、ビジネスに対して愛を持ち、利用者に対して愛を持つ。これこそが、当時の自分を、足元の収益性がなかなか伴わない中で突っ走らせた土台にあったものだし、優秀なメンバーが入ってくれた源泉だったのだ。ただ、残念ながら、当時の自分には、投資の概念が決定的に欠けていた。自分が投資しているのだ、という考えがなかった。もともとこの事業をスタートしたいと考えたのは経営陣であり、会社が投資しているのだと思っていた。

問題が発生し、自分の愛情をかけて育てた子会社から自分が去らざるを得なくなったとき、自分の中身は空っぽになり、人生を賭けたものが奪われた怒りで気持ちは充満し、無気力になった。

次のやり甲斐を見つけなければいけないことは分かっていたが、人間、自分を賭けるべき大きなミッションをそう簡単に見つけられるものではない。会社からは次の機会を提示されたが、全くやる気が起きず、尊敬する知りあいの会社に転職した。

その時は新しい価値を提供するし、自分にはできると思っていたが、それは時期尚早だった。目標感を失った空っぽの器に子会社の社長をやっていたという無駄なプライドだけが残り、すぐに状況は悪化した。自分で会社をやりたいという考えが急浮上した。それは今思えば単なる逃げだった。起業することの本当の意味を理解しないまま、「金銭的に今なら可能である」「他にやりたいことがない」ということを主な理由として起業した。もちろん、それは考えぬいた上での自分に対する投資ではなかった。強いて言うなら、見返したいという気持ちはあったが、怒りや恨みに基づく感情がビジネスに良く働かないことぐらいは分かっていたから、それをモチベーションにすることは出来なかった。にも関わらず、古巣に対する意識は常に自分を蝕んでいた。

スタートが良くなくて成功するわけがない。形だけを整えてみても、以前とはうってかわり、組織モーメンタムを感じることもないまま、3年が終わった。

他にも沢山の理由がある。自分自身の適性というものもこの3年間、よく理解できた。でもそれは原点、自分がもともと認識していた自分への認識に戻ったというのに近い。

「投資」ということが何なのか。それは単なる博打ではないし、手堅くわかりきったことをやるということでもなく、ただ勢いで散剤することでもない。自分と、他人と、社会にとっての新しい価値の実現に向けて、資金とかけがいのない時間を費やすことだということ、その実現に継続してコミットすることが投資であり、それがビジネスそのものなんだということ。それは起業していても、会社員としてであっても、全く変わらず同じことなんだということ。

友人と、パートナーと、家族の、失われた3年間に対して返済していかなければいけないこれからの自分への、忘れてはならない戒めとして。そして、もしかして同じような状況で起業を考えているかもしれない誰かのために。

「コミュニティ」の前提とソーシャル

インターネットが出てきてから、ありとあらゆる形の「コミュニティ」サービスが誕生してきては衰退するというサイクルを繰り返している。

なぜ衰退を繰り返すのかなと考えていたら、ふと、コミュニティ作り、の考えの潜在意識の中の前提が間違っていたような気がしたので書いておく。

「コミュニティ」という言葉はもはやそれ自体が正義のワードとなっていて、もちろんその実態はとても曖昧な言葉ではあるけれど、「コミュニティ」という言葉には独特の=それができたら面白いよね、という引きがあり、「わたしはコミュニティを作りたい」というだけで正しい方向に向かっている気をおこさせてしまうので、これからも延々とこの文脈を標榜するサービスは出てくる気がする。もちろん自分もネット業界に入ってこのかた、メディア作りにおいてはコミュニティを意識しないことは無い。

ネットを離れて考えてみると、身の回りにはありと意識せずともあらゆる形のコミュニティがあって、それらは当たり前のように勝手に押し寄せてくる。家に住めばご近所さんが出来る。学校に子どもを通わせれば学校付き合いがでる。自分は下町に住んでいるがそこにはそこには町会がある。地域活動をはじめればそこにもチームができる。これらはすべてコミュニティであってその瞬間瞬間ではなにしろ時間を使って生で向き合うものなので、結構濃い付き合いのものとなる。

にもかかわらず、コミュニティはある時期が過ぎると突然活動レベルが落ち、消えてなくなってしまうものも多い。ママさんネットワークなんかはその最たるもので、まるで一生のお付き合いになるかのようにお付き合いしているのに、子どもが卒業すればスッと消滅する。たまに理解不能になるぐらいだ。

考えてみると、つまりコミュニティというものは、そもそも人間というのは欲求の塊で、本質的には複数の人が集まれば自然と争いを起こしてしまう生き物なのであって、そうならないようにお互いにうまく生きていき、自分と家族を守るための自然発生的な知恵なのだなということに思い当たる。それは実は、コミュニティという甘い言葉とは裏腹にとても面倒な存在だということになる。だから若者は町から出ていきたくなるわけで。

それが本当の酸いも甘いも吸収した上で、互いの生き様もある程度知り尽くした中で、「まあお互いがんばってきたね」ということを自然に思えるようになるには、コミュニティの活動が3-40年ぐらいの長い年月を経てホソボソと続いていく中で熟成されてくるものなのだろうと、身の回りの下町の生活を見ていると感じる。

そう考えると、核家族化する社会の中でコミュニティに対するノスタルジーな部分がクローズアップされる傾向の強いネット上のコミュニティが常に栄枯盛衰をたどる運命なのも納得できる。つまり、そもそもネット上の向こう側の人とは仲良くする必要が本質的に全く無い。

よく、ネットで争いが起きると「荒れる」という表現が使われるが、ここで、リアルコミュニティであれば、そもそもコミュニティは生きる知恵として存在しているもので、延々と続く(つきまとう)ものなので、仮に荒れても付き合って行かざるをえない。これがネットであれば、「退会」すればおしまい。荒れることは人が付き合いをすれば避けられない性質なので仕方がないが、そこに何の目的と意味があるのか、がネットコミュニティには存在しない。

ネット上でコミュニティを作る努力をする場合、どうしてもサービス運営側は「お付き合い上手の理想の人たちのあつまりの中から集合知が生まれてみんなでそれを高め合って延々と続いて。。」みたいな絵を描きがちだ。

実際にはネットコミュニティはリアル社会ではどうしても発生する葛藤のはけ口になりがちで、「たまたま同じ場所に住んでいる人ではない、理解してくれる好きな人とだけ付き合いたい」という目的で必至に場を探している。つまりノスタルジーの中で描かれる理想のコミュニティ=リアルの付き合いの中から熟成されていくもの、とはそもそも違うものを人は探してネットのコミュニティに来ているのだという前提に立ったほうが答えに近いのではないかと思う。

そう考えると、短絡的かもしれないけど理想の密なコミュニティを作ろうとしたmixiが、もっとドライで疎な誰でもデビュー可能な社交界としてのソーシャルネットワークであるFacebookにあっけなく負けたのも理解できるし、逆に誰にたいしてもコミュニティにおける一員としての自分を見せることを強要されるような感覚がFacebook離れを生むのも理解できる。あれは、あまりうざくない程度にネットワーキングされたマイクロブログの集合体なのだ。

アップル、グーグル、マイクロソフトの本質?

アップル、グーグル、マイクロソフトの3強の本質をマイクロソフトのCEOが解説したという、この記事。

MicrosoftのCEO、サティア・ナデラ、Apple、Googleと比較して自社の本質を的確に指摘

彼はAppleはデバイスを売る会社、Googleは検索エンジンの会社、マイクロソフトは開発する能力を与える会社だと言っていて、記事は本質を的確に言い当てているというような書き方になっているが、果たしてそうなのだろうか。むしろ殆どの人が違和感を感じるのではないかと思う。

マイクロソフトだけは誰かのためのプラットフォームを作っているんだ、みたいな言い方をしていて、ポーズなのかもしれないが、本質を語っているとは思えない。

自分が思うに、この3社は3社ともテクノロジーを売る会社なのだが、それぞれがテクノロジーを追求する目的がそもそもことなっているのであって、本質はこうではないかと思う。

 

アップルは、魔法を売る会社だ。

アップルはあらゆるテクノロジーを魔法でコーティングして出すことに長けていて、そもそも魔法を生み出したいという集団である。顧客はみなその魔法の一部になりたくて高い商品を買う。そういう意味ではこの会社はエレクトロニクス業界のディズニーである。魔法の化けの皮が剥がれたと感じさせたらこの会社はおしまいである。

しかしこれだけアップル製品が普及していても業務用の分野では依然としてアップルが普及しないのは、多くの人にとって魔法は不要なコストだから、ということに尽きるように思う。

 

グーグルは情報を売る会社だ。

この会社は人が知りたい情報を提供することを徹底的に追求していて、そのためのツールが検索エンジンだ。なので最悪検索エンジンがなくても情報さえ提供できれば会社としては存続意義があるが、実際には検索エンジンが無いとインターネットの情報の洪水の中では話しにならないので、やはり検索エンジンが大切な存在となる。そして人による情報の仲介を軸とするソーシャルはその対岸にある新型検索エンジンなので、ソーシャルをグーグルが欲しがるのは当然の成り行きということになる。

 

マイクロソフトは何だろう?自分はマイクロソフトは効率性を売る会社だと思う。

マイクロソフトの製品が今まで売れてきたのは、多少かっこ悪くても気にしない圧倒的な業務効率性を、誰でも簡単に扱えるレベル感で生み出してきたからだ。つまり新幹線ではなくて彼らは山手線をひたすら提供する。

マイクロソフトが落ち目になってきたのは、下手に「魔法」にあこがれてしまって、マイクロソフト製品も魔法を演出したいと思ってしまったことに尽きると思う。実際にはPCがなくなることはないのに、WindowsもOfficeも、中途半端な魔法へのあこがれのために、肝心の効率性の追求の部分がめちゃくちゃなことになってしまった。

彼らは徹底的にビジネス効率を追求してWindowsを設計するべきだったし、モバイルへの投資としてはNokiaではなくてBlackberryやMotorolaを買えばもっと良かったんじゃないかと思う。

若干リサーチ業界にも身を置いてきた人間としては、大量の調査予算を投入しているマイクロソフト社の調査依頼にたいして、リサーチ業界はいったいどんなアウトプットを返していたのだろうかとも思ってしまう。

 

己を知り、敵を知れば、百戦危うからず、というけれど、自分自身にしても、組織にしても、本当に己を知ることは難しい。

“海外事業”の型、人材、展開タイミング

Airport take off by Christian Haugen

Airport take off by Christian Haugen

国内からスタートして、後からグローバル展開する事業には主に2つの型があるようだ。

M&A戦略による取り込み型を除くと、自社展開としては1つは既存商品の営業範囲を広げるだけ、というレバレッジ型の事業。もう1つは、新規に商品から作っていく事業。この2つは、同じグローバル展開でも全然違う。

前者は、まず商品に対する投資がほぼ必要なく、いきなり販売を開始できる。つまり原則的には日本のコピー版組織を営業面にフォーカスして作っていけばよく、黒字化しやすく、ニーズのある無しも比較的早期につかみやすい。

後者は、商品から作る必要があり、かつ、現地需要に合わせていく必要がある。これは現地事情を肌感で理解できない「外国人」には基本的にハードルの高い作業となるし先行投資がかかるので重たい。

従って、この2つについては、投入するべき人材も違うんだなと、いろいろな会社の事例を見ていて感じる。

前者は勢いのある若手人材を抜擢するのが良さそう。シニアよりも若手が必要なのは、既存概念にとらわれることなく攻撃的にアカウントを開拓し、新しいニーズも拾いやすいから。根本的な商品価値は既に完成されているから、このほうが商品力を拡大する上でも意味がある。

後者については、可能な限り国内事業で大活躍した実績のあるエースクラスを当てるべきだと感じる。これにはいろいろな理由があるがまずそもそもニーズの把握から行う必要があるので経験値の高い人材のほうがどこにニーズがあるかを把握し、必要な事業スキームを組むなど、ゼロからある程度合理的だと考えられる形を作るのに短い時間で作りやすい。そもそもシニア人材でなければ現地の重要顧客が会ってくれない。などの理由がある。それに、海外展開するときにつきものになるリーガル対応、資金繰り、採用なども、シニア人材のほうが勘所があるから新規事業にあわせて作り上げていける。

しかし、エースクラスを投入する最も重要な意味は、所詮、グローバルでの事業展開という戦略が、国内でも熾烈な競争の中で日々奮闘している人達にはお遊びに見えてしまいがちなところを、それを、実績のあるエースが自らやっているという構図であれば、納得感も、恊働感も出せるというところかなと。

基本的にどのような会社にとっても、海外展開といっても社員にはピンとこないのが殆どの人の感覚だと思う。

良くて「ふーーん」、普通は「そんなこと必要あるの?」「もうかるの?」とみな内心思っているはず。

日本は国内市場が大きいし、何よりもそこには緊急性の高い課題が多いのだから、その反応は当たり前だと思う。

「そうだよ、やるべきだよ!」などと思う人はむしろ頭がおかしいか、海外バカか、状況を把握できていないだけかもしれない。

海外で事業を展開する人達は、そんな反応は当たり前のことだと思った上で、そんな反応をものともせずに、新しく独立した別会社、別チームを創業していく気合いが必要。

 

というわけで結論、ゼロベースの事業を作っていくならエースクラスな人がどんどん海外の成長市場に出ていき(海外がその会社にとって重要な成長市場だと思うなら、ですが)、自ら大きな布石を敷いていくべきだと感じる。そしてそこで得た体験を国内に持ち帰り、次のエースに伝えていく役割があるように感じるこの頃。

事情があって、エースクラスでそれができなければ、トップが自分で行くしかなさそう。つまりそれが出来るタイミングがグローバルに出て行く絶好のタイミングかもしれない。

ならではの価値、の落とし穴

Is marketing that important? Ask these 20 brands. They sell the same product. Marketing is their only differentiator.

新しいことを何か仕掛けようとするとき、「それ”ならでは”の真似できないことって何だろうね?」という議論は、発生しがち。

大体、人が新しい分野に入っていくときに、最初に存在するのは、一人の人間が持つ、「これ、面白そう。いけそう!」という直感。その熱い空気が周りに伝染することで、更に人が集まってきて、徐々にその直感の上に殻が作られていき、できあがってくる形自体が勝手に推進しはじめる。

上のような議論が発生するのは、大抵そんなタイミング。

ちょっと頭の良い人や、無駄にロジカルシンキング本をかじっているような人ほどこの議論を開始しがちです。少しブレーキをかけて周りを見つめ直したくなる。その議論を行う必要性があることは、大抵の場合正論に見えるため、その議論を開始すること自体を却下するのは非常に困難。

今まで、そういう議論を何度も見てきたけれど、回を重ねるごとに結果として感じているのは、「”ならではを追究する議論”にはあまり生産性がないなぁ」ということ。

2000年頃、無線LANホットスポットという概念が米国で誕生し、3Gなどの高速な携帯電話のパケット電話網が無かったし、家庭のインターネットも殆どがダイアルアップ回線だった時代に、当時としては画期的な高速インターネットが楽しめるものとして、スターバックスや空港などで、ビジネスマン向けに急速に普及を始めていた。日本でもこの概念に飛びついて、NTTグループや当時の日本テレコム、Yahoo!BBなどの通信大手が場所の争奪戦を繰り広げ始めていました。

当時自分がいた職場でも、海外無線LANスタートアップとの提携の検討が始まり、国内のロケーションオーナーへの営業活動を行った。が、結局、その事業は日の出を見なかった。

その時繰り広げられた議論が、「コンテンツを充実させないと」という話し。

当時は、ソニーのコンテンツビジネスが脚光を浴びるなど、ハードからソフトへ、エレクトロニクスの時代は終わり、コンテンツがキングだという発想が爆発的に世の中で取り上げられていた時代だったので、自分がいたチームでも、「無線LANは誰でも設置できる」。だから、「そこで流すサービスこそが鍵だ」、というテーマで議論が何度も繰り返された。

無線LANホットスポットならではの地域限定コンテンツを、、ホットスポットで楽しめるゲームサービスを、、そこで広告配信を、、そんな議論が交わされたということ。

結局、そんな良いアイデアが出るはずもなく、そうこうしているうちに全体のモーメンタムは下がり、海外の提携予定先の事業も変わり、プロジェクトは殆ど何もしないまま頓挫した。

誰も分からなかった「コンテンツ戦略」や、無線LAN「ならでは」のものが何か必要でしょう、という議論。

その場にいたアメリカ人はシンプルにこう主張していたことを今でもよく覚えている。「無線LANのキラーアプリは電子メールなんだ」と彼は言っていた。

しかし日本側チームは、「電子メールなんて当たり前過ぎるから何か差別化要素を考えないと。それは無線LANの特性を活かしたコンテンツなんだよ」「アメリカは遅れている(当時はブロードバンドでは完全に出遅れていた)けど、日本はコンテンツビジネスなんだよ」と、いかにもありそうな机上の空論を述べてそのアメリカ人の主張をいなしていました。

いま、振返れば何の事はない。無線LANがもたらしたものは、安価で高速なネット回線そのものであって、それを使う人たちが何よりもそこでやりたいことはメールのやり取りと自由で快適なネットサーフィンというごくごくシンプルなことであることは明白なわけです。日本の未だに不便な無線LAN環境と、海外の快適な無線LAN環境を比較すると、ビジネスマンであればみな感じていると思います。これは、ブロードバンド回線に無線LANアンテナを設置すれば即座に提供可能なサービスであり、ビジネスとして見れば、コンテンツはネットの向こう側にいる人たちにお任せし、それを極力シンプルなステップで高速に提供すること、コンテンツ戦略よりも、たんにキーとなる場所をたくさん押えて面を広げることがサービスの利便性を実感してもらうために最も大事な戦略だったのに、このシンプルな事実が、「誰でも出来て当たり前すぎる」ということで無視され、難しい理由を考え出そうとみなで無駄な苦労をしてしまったのです。

確かに、端末を一台設置して無線サービスを開始することは誰にでもできます。しかし、それを何万カ所でやろうとすればそれは誰でもできることではないという、今考えれば簡単なことを、当時そのチームでは、誰も重要視しなかったということです。

この手の議論は頻繁に発生し、「ならではの価値はなんですか?」と言われて無理な理由をつけたくになったり、つけないと前に進めないという状況に追い込まれる事業リーダーは多いと思います。

でも、本当に大事な「ならでは」は、単にスケール性だったり、ものすごくシンプルなものであって、無理に「ならではの価値=永遠に存続しそうな差別化要因」なんてものを考えると気持ちが萎えてろくな結果にならないことのほうが多い。

新しいことをやるときには、最初に思った「いける!」を大事にして、シンプルにそれを実現するためにまず大海原に石を投げつづけることを優先し、難しく考えて時間を使わないよう、気をつけなければと思います。自分もそういう傾向が無い人間ではないので。

ならでは論は常にまきおこるので(コミットしているチームならそれが起きないのも変)、それが、何か事を起こした後のフィードバックを元にした話しなのか、事を起こす前に概念のみで話しをしようとしているのかを整理してみるのが良いかもしれません。前者なら、議論する価値がありそうですね。

ワークアンドライフバランスよりワークプロダクティブリィ

photo by a200/a77Wells

photo by a200/a77Wells

海外の人と話していて、日本人は本当によく働くね、と言われた。

よくあることだが、実際には、その裏には「そんなに遅くまで何をしてるのか分からない」というニュアンスが含まれていた。つまり大したアウトプットが出て来ないのになんだかよく働いている、という感じ。

彼が続けて、日本人は私生活のことをどう思ってるんだ、仕事の後に飲みに行く回数もやたらと多いし、と言うので、「日本人は仕事が充実しないと私生活も充実できないことを知ってるんだよ」とちょっと日本人のことを美化して返しておいた。その捉え方はあながち間違っていないとも思うが、実際、日本人がオフィスにいたり会社の人と一緒にいる時間はかなり長いのは事実だと思う。散々残業したあげくに更に飲みに行こうとするのは日本人ぐらいだろう。仕事と私生活の分離も何も、もはやオフィス生活が私生活そのものであり、会社員としての自分が自分の全てに近いのが多くの人にとっての実態ではないかと思う。

自分は、「ハードワーク」は嫌いじゃないし、寧ろ、ハードワークからしか得られないものがあると思っている口なので、近頃の「ワークアンドライフバランス」のような、ワークとライフは別物で天秤にかけられるような錯覚を与える言い方が嫌いだったりするのですが、それでも日本人の仕事の仕方に対して海外の複数の人が疑問を持っているのは事実なので、何がおかしいのかと考えてみると、日本人はWork hardをWork productivelyに置き換えることが必要ではないかと思い当たった。

Productiveに働くには意味のある明確な目的と、それに沿った目標が必要で、それを合い言葉にすると仕事が目的と目標から逆算で設定できるので無駄な仕事が減らしやすい。ProductiveではないのにHardに働こうとすると実際にはそれは出口のない仕事になっているので、みな憂鬱になり、ワークアンドライフなんとかという話しになる。Productiveというのは気持ちの話しではなく、具体的で意味のあるProduct=アウトプットの生産効率のことであり、当然評価にも直結するのでProductiveであれば生活も快適になる。

更に、個々の社員がProductiveに働ける環境にしようとすると、自ずと、事業自体が顧客や社会に対してどういうアウトプットを出したいのかという意思とそのための最低限の戦略、目標設定がなければいけないので、Productiveかどうかを共通の合い言葉にすることは、事業体自体の存在意義とProductivityを見直すことにもつながる。マネジメントにとって、事業自体の存在意義を考え、1人1人がProductiveに働けるように環境を整えることは大変高度で難しい仕事だが、それを放棄していてはマネジメントとして失格なのでそれこそハードに考えぬいて設定しなければならない。

ここまで書いてみて、1つ思い出したことがある。それはある日本の伝統工芸の職人にインタビューをしたときのことだが、その職人は「繊細な細かいところに徹底的にこだわって技を磨くのが職人でしょうか」と聞かれて、「職人ていうのは機械では出来ないレベルの製品を均一な精度でどれだけ沢山量産できるかどうかがが職人の技なんだよ」と回答していた。それは思いもかけない視点だったが、結局高品質の製品を作ることが目的ではなく、より多くの人に高品質な製品を使ってもらうことで多くの人に良さを知ってもらい、それで自分たちも稼ぐことが目的なのであって、ただ単に技を追究したいというナイーブな話しではないということだった。その話しは、正に、Productiveかどうか、という話しに直結するように感じる。高度なProductivityの中に本当の技があるというのは、日本にも元々ある考え方なのかもしれない。よくよく考えて見ると、英語の「Work」は、ただ働くことではなくて、出来上がった作品のことも指すことに思い当たりました。日本人のイメージする「ワーク」と、英語ネイティブの人の「Work」はそもそもニュアンスが異なる可能性が高いですね。

ということで、You work very hard!と自分や他人を褒めるのではなく、You are so productive!と褒める思考を、個人的にもマネジメントとしても、より強く意識していこうと思います。