カテゴリー別アーカイブ: 世界

レインボーマーク

米国で同姓結婚が合法化されたことを受け、巷にレインボーマークがあふれている。2年ほど前に、NYCでBanana RepublicのLGBT向けのCMを見て衝撃を受けたことを思い出す。この2-3年で世界は一気に変わった。

公序良俗、犯罪につながらない限り、嗜好が差別の原因になってはならない。だからこの流れは人権保護という観点で必然だろうと思う。ただし、結婚が合法になったからといって人の意識がすぐ変わるわけではない。

一方で、これによって、子どもと親の関係は今後どうなっていくのか、家庭とは何なのか?、その辺はまだどう考えていいのか正直よく分からない。だから一概に「良いこと」とは括れない自分がいる。社会の仕組み、自分たち自身も、本当に自分たちが主張している概念の進化に追いついているのだろうか?むしろこれから考えていくべきことが沢山あるように感じる。ここは新しい人類の試みのスタートラインに過ぎず、それをどう社会として本当の意味での意識改革に結びつけていくかはこれからの話し。

いずれにしてもLGBTと呼ばれてきた人たちの存在がますます大きくなり、それが社会全体の通念となり、普通になってきているし、多くの人がそれを歓迎しているという事実がある。この人たちの人口はどんどん増えているようだし、それを考えると、人類は豊かになった結果、子孫を残す、という生物の根源的な欲求と義務から解放されはじめていて、ますます精神的な存在になっているんだろうと思う。これは地球上に生物というものが誕生して以来の進化だし、もしかするとトランスジェンダー型の新しい世代の人類が誕生しつつあるのかもしれない。

ただ、こういう流れはいつも欧米から始まる。抑圧に対する権利。理想像を性急に判断して性急な変化を求める。たまに理解しがたい思想がある。

欧米の人権思想の根本にあるのは、キリスト教が課してきた義務的な人生観、性に対する抑圧、家族価値に対する厳しい規定にある気がしている。彼らは、キリスト教と教会の束縛から逃れるために様々な社会的仕組みを構築して、政教分離して、自由に息が吸える空間を確保してきた。

宗教から逃れるために多くの人が苦しみ、暴力に走り、陰湿で倒錯的な性癖に走ったのが欧米社会。それと比較すれば、日本をはじめとしてアジアはもっとおおらかで、自然な価値観の中で人生や社会を築いてきた歴史があると僕は思っている。いたずらに欧米の価値観を拾うことはとても危険だ。

アジアはアジアのスピードで実感して、自然と感じることだけを拾えばいいと思う。

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Stop fighting for the fight. Stop exporting of the weapons.

Yesterday was a national holiday of Japan celebrating the promulgation of our constitution in 1947.

No single word of the constitution has been changed or modified since then. It is a big body of the spirit of Japan where law prevails. No matter how the foreigners imagine about Japan and its past, Japan has declared its eternal abandonment of its right to fight with other countries by the armed force, and all the post-war generations has been taught the constitution is the country’s pride. The first draft was created by a team of US officers from GHQ, but its spirit is shared and accepted among Japanese as our standard language.

In 1950, Korean war broke out and the same US-lead GHQ ordered Japanese government to re-build its army. It was the beginning of the hard time for the Japanese government as the constitution was kept unchanged. While it clearly says we do not rely on any kind of military power, the reality implies it is a childish dream.

The existence of the Japanese military (or self-defence force,,) has been a good resource for China and Korea to show conflicts that they produce by themselves and unite their nations against the “enemy”. They keep sending hostile words to Japan while they keep receiving ODAs and other forms of financial assistances from Japan.

Even in a domestic political scene, the self-defence force has been a super-nice political agenda for the left-wing parties and the debate about its lawfulness has stopped our congress many times.

Now, our PM is trying to change the the country’s direction more clearly towards the so called “standard” nations. He thinks Japan should coop more positively with the global society for the peace which may include a military effort. I can understand his concern, and share a view that Japan must be a “positive” player for driving a peace.

However, here is my big question: “why don’t we Japan put more efforts on terminating the weapon exporting?”

We have to acknowledge the fact that almost every weapon exported to the developing world are manufactured by the permanent members of the UN Security Council. They are pretending they are fighting for the peace, it could be true, but why don’t they stop exporting the weapons? It will cease fires automatically as those weapon-importing countries usually have no weapon production facilities or have no ability to maintain it.

See this chart > US and Russia remain world’s biggest arms exporters – study

Japan must watch carefully on what is going on underneath. We are not fighting for a benefit of any specific country. We must fight for the better future where no war can happen as it is said in our constitution. It is how we can show our respect to the soldiers who lost their lives during WW2.

原爆投下を反省するべき的なもの

アメリカ国民5割原爆投下間違っていなかった。松本人志がキレて号泣。

定期的に出回る、「アメリカ人は原爆を反省していない」的なネタはなんなんだろう?

なんどアンケートとったところでその意識が変わるわけがないし、逆に、日本人は重慶爆撃を反省していますか?なんてアンケートは見たことがない。無差別爆撃という本質は何も変わらないのだけど、日本だけがアンフェアに叩かれたかのような見方こそが戦後から抜けられない=負けた=自分たちが間違っていた、ということを受け入れられないということに見えてならない。

日本でこの議論が巻き起こるとき、たいてい、原爆という兵器そのものに対する人道性を非難している論調なのだが、いまどき人道性にもとる兵器は地雷も含めて数多くあり、日本政府も原爆廃止に向けた強力な動きをしているとは思えない。実際には、このネタを話題にする人はアメリカ人が科学の圧倒的な力で日本を木っ端微塵にしたという事実に対して、論争を通じてアメリカ人に一矢報いたいだけだと思う。

戦争に関しては、敵も味方も沢山死んだのであって、どんな政治的状況にあっても、それが相手の謀略に乗せられた結果だとしても、トリガーを引いてしまった政府とその決裁者がその全責任を負うべき。どんな大義名分があったとしても、絶対にトリガーを引いてはいけない。それが簡単に力に頼ろうとしたのが戦前の日本だし、そういうことは断じてしてはいけなかったのだ、というのが戦争の教訓だと思う。過程に関する事情は理解することができても、決断は正当化できないのだ。

軍事施設だけを叩き合って決着がつく戦争なんてもう起きないのだから、原爆という一つの型の爆弾は、それが爆弾として人類の滅亡に直結する力を持っているだけであって、むしろそれは、腕力に頼る世界を繰り返してきた人間社会が、それをおいそれと使えなくしてしまったという意味では人間に対する究極のギフトですらあって、その善悪論は枝葉末節なのだ。

日本は集団的自衛権を考えている場合ではない。

いまの憲法は、アメリカによって作られたものだから日本人が変えなければいけないという議論があるが、何が起きても一切の武力行使を放棄し、諸国の国民の信義を信頼して行動する、という憲法の大方針は、アメリカ人に強制されたものではなく、それが、当時の日本人の心にとっても大いに受け入れられる結果だったのではないかと思う。

自分はいまの日本国憲法前文がとても好きだ。