81歳の語録と「粋」。

81歳の職人にインタビューをして、韓国の若い人たちのネットの使い方は凄いね!と語られた。

どうしてそんなことを知ってるんですかと聞くと、テレビを見ていれば情報は入ってくるし、後は直感だと言う。小さな2畳の工房から世界を見ている。頭脳明晰。

諦めとは、「明目」だと言う。明らかに見えること。そこで初めて、諦め、諦観の境地に。明らかに見えるまでやりきって、深く究めてみて、初めて諦めという概念が出てくる。昇るまでは大変だ。根性で突き詰める。昇ってみたら小川だよ。諦めじゃなくて、明らかに見えている、ということ。

今でも仕事したいんだ。一時間でもいいから仕事したいんだ。職人は作るんですよ。詰まるところてめえが食えればいいんだ。商人は儲けるのが仕事だ。そこが違う。

コンピューターは、1から1000までいくらでも作れるけど、0から1を作れるのは人間だけなんだ、とも。

ちょこまか落ち着きのない小学生だって、教えてやるからそこ座れ、と言えばちゃんと座って話しを聞く。自分がやりたいことを教わろうとする人は、素直なんだよ。

なんでも夢中になるんだよ。

こんなことを、たくさん。

言っていることは、全部受け売りなんだよ、と笑っていたけど、全部受け売りで全然いいと思った。

大事なのはその思想、受け取った人の衝撃、自分事に置き換えられたときの思想の進化が、次に伝わっていくこと。そこで救われる人がいること。伝えることをやめて、自分だけのものにして、途切れて、知恵が失われることのデメリットより余程いい。表層の受け売りは問題じゃない。中身がその人自身の体験に置き換えられていれば、それはもう受け売りじゃない。

他人様の考えを、自分が考えました、人がやったことを、自分がやりました、みたいに言う、リスペクト精神の無い人もたくさんいるけれど。

人生とは蓄積だと思った。蓄積された結果のその人の知恵、世界観、歴史観についてのバランス感覚、いろんな問題も人の感情も、理解し、自分自身のこともよく知り尽くした上での、素の自分への許容、人を受け入れる気持ち、それでいて、本質に一歩でも近づこうとする厳しい心、静かで、人を傷つけることの無い、目的に対する、本人だけが持っている激しい情熱。

そういう、深い内面にあるあらゆる経験と考え抜いた思想を踏まえた上でなお失われない若さ、チャレンジ精神を感じさせるもの、それが、人の「粋」なんだと感じた。

最高に楽しい90分。人から人への贈り物。

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